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383著名投資家の倫理と罪

今日の読書は、ジョン・キャリールー(関美和・櫻井祐子訳)の『BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル全真相』(集英社2021年)。
アメリカのサンフランシスコ近郊のシリコンバレーはベンチャーを志す若者の夢の地だ。Appleのスティーブ・ジョブズ、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Googleのラリー・ペイジなどアメリカンドリームを掴んだ億万長者が夢を現実にしようと走り出した聖地である。
しかし中には怪しげなものもある。玉成混交なわけだが、無数のベンチャーのどれに投資するか。一般人が参考にするのが、著名人がその事業をどう評価しているかだ。
著者のキャリールーが2015年秋にウォール・ストリート・ジャーナルで暴いたことから事態が動き出す。「指先から無痛の針刺しで滲み出させた1滴の血液であらゆる病気を発見できる夢の技術」として売り込んだセラノス社のすべてがインチキの積み重ねという記事だった。
問題のセラノスを創業したのはスタンフォード大学を2年生で中退した19歳のブロンドの少女、エリザベス・ホームズ。「病気で静脈がボロボロになった患者の腕に太い針を刺して、検査のために大量の血液を抜くなんてひどくないですか。私の叔父の悲劇を繰り返したくないのです」などと、投資家の目を見つめ、女性らしくない低音の声で断定的に言われるとたちまち信じ込んでしまうのだという。
大手スーパーや全国展開のドラッグストアが会員制の血液診断事業展開を夢見て店舗内のコーナーを設置した。製薬企業は薬剤開発の際の治験システムを構想した。陸軍は負傷兵の迅速な治療に役立つと考えた。
多方面から投資が行われ、セラノスは1兆円の企業価値があるとされた。CEOであるエリザベスは株式の半数を保有したから個人で5000億円の金持ちになった。
だが血液検査は検査項目ごとに必要な血液成分や量が異なるもの。一歩下がって常識的に考えれば、そうそう簡単に完成する技術ではないらしい。採取と診断を即時にできるとの触れ込みのコンパクト装置は、延期の連続で最後まで完成していない。怪しいとの噂は初期からあったが、彼女は疑問を持った社員を片端から解雇し、弁護士と探偵を使って、尾行と文書で、口外しないよう脅しをかけていた。
こうした悪行にもかかわらず、なぜ多くの投資が集まったのか。
その理由の一つは、同社の人脈。社外取締役等には、ヘンリー・キッシンジャー国務長官(ニクソン政権)、ジョージ・シュルツ国務長官(レーガン政権)、ウィリアム・ペリー国防長官(クリントン政権)等錚々(そうそう)たる面々が並んでいた。当時の中央軍司令官ジェームズ・マティス(後のトランプ政権で国防長官)もエリザベスを絶賛していて軍部内で疑問をさしはさめなかった様子が記されている。
著者のジョン・キャリールーが調査を始めるきっかけの一つは、セラノスを不当に解雇され、その後も黙っているように脅され続けたジョージ・シュルツ氏の孫からの情報提供であった。しかし投資家でもあったシュルツ老人はエリザベスの肩を持ち、孫息子のセラノスへの背信行為として責め続けたという。記事の後、徐々に発言する者が増え、セラノスとエリザベスは逆に追い詰められ、刑事被告に身を落とすが、先に挙げた著名政治家等は責任を問われていない。
それがアメリカ的ということなのだろうか。著者のキャリールーは、本件のあくどさは、投資家をだましたことではなくて、健康に関することで一般国民を危険に陥れたことであるとする。セラノスのインチキ血液検査が大々的に普及していたら、ほんとうの病気を見落とす(偽陰性)ことで治療機会を逃し命まで危険にさらされる人、病気ではないのに(偽陽性)不要な治療でかえって健康を害する人が続出していたことだ。投資のけん引役として名を貸した著名人たちの無答責でいいのだろうか。
ほかに本書から感じることが二点ある。
一つは大口投資家が実はほとんど損をしていないことだ。数千億円の資産家にとって10億や20億ははした金。ところが有能な税理士の手により、損失処理として節税材料として活用し損失を取り戻しているとしている。
もう一つは裁判制度が悪徳者に有利になっていること。セラノスがシュルツの孫などを脅した武器が、言いがかりの訴訟で天文学的な賠償請求訴訟(秘密保持義務違反など)を仕掛けること。個人の側は応訴の弁護士費用で対外個人破産に追い込まれる。これらはアメリカの病理であると同時に明日の日本の姿であるかもしれない。
写真の出典: エリザベス・ホームズ - Wikipedia

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