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397同居孤独死3都市552人

生活の基本は家庭。その意味で独居者、特に独居高齢者への対策が急がれる。それがどれほど急務であるか。
孤独死は普通、独居老人の身に起きることだと考えられる。ところが同居者がいても孤独死が起きているのだ。
産経新聞が3都市(東京23区、大阪市、神戸市)の監察医事務所に、死亡から発覚まで4日以上が経過した遺体の取り扱い状況などについて取材したところ、そのうち同居者がいた者がかなりの数に上ることが分かった。その数は平成29年から令和元年の3年間で552人。東京448人、大阪90人、神戸14人だったという。

同居者がいても孤独死になるのはなぜか。事例では同居者に認知症であったとか、引きこもり状態であったなどが挙げられており、なかには当事者に続いて同居者も死亡状態で発見される共倒れもあったという。

なぜ、こんなことになるのか。福祉というと貧困が取り上げられ、経済支援の充実が叫ばれるが、やっていることの本質が違うのではないか。
わが国の現代的課題は少子化。社会の基本に関わる構造変化のただ中にある。少子化とは、ずばり無子や一人っ子の増加であり、必然的に縁戚がいない者の増加につながる。独居者でも、「自由のための一人暮らし」と「縁者がいない故の一人暮らし」は根本的に異なるのだ。
血縁者がいなくても地縁ができていれば代替される。これにはだれもが同感だろう。

397社協の認知度

ところがこの近所付き合いがはなはだ低調なのだ。グラフはある自治体(茨城県竜ケ崎市)のアンケートだが、「あなたは普段隣近所とどのような近所付き合いをしていますか」への回答で、「困ったときには手助けし合う」は13.2%、「お互いの家を行き来している」は5.6%、「親類なみの付き合いをしている」は1.3%に過ぎない。
若い世代、居住年数が短い人、都市化が進んだ区域で顕著とのことで、全国どこでも共通な現象と思われる。
「遠くの親戚より近くの他人」という。近所同士でお互い助け合えばよい。頭ではわかるが、「隣は何をする人か」という怖れもある。近所付き合いを活発化するには、きっかけを提供し、ルールを提示し、仲裁をする仕組みが必要だ。単なるボランティア団体には荷が重いし、揉(も)場合の責任を採れない。公権力が背後に控えている仕掛けが必要だ。
この場合、わが国にはとっておきのシステムが存在する。それが社会福祉協議会だろう。専門職員を多数抱え、活動資金は自治体から支援される。しかるに先の自治体調査では、社協をよく知っている市民は12%に過ぎないのだ。福祉の普遍化という要請にはまったく対応できていない。

397社協の認知度2

社協はさまざまな事業を行っていると主張するだろうが、社協の福祉サービス利用経験の有無では、「ある」という回答はわずか5%で、「ない」という回答が85.2%。地縁の薄さは市民共通の心配ごと、そしてどのように参加、構築すればよいのかで悩んでいる。しかるに社協が手助けしてくれるとの期待を持てない。
そういうことだろう。生活の不安をなくすのが福祉であるとするならば、自治体も社協も地縁の再構築に注力すべきなのだ。カネや物品を配ればいいだろうという方式は方向違いである。社会福祉に必要なのは「カネの配分」ではない。「ヒトの関係」なのだ。

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