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どうか過去になっていますように(雑記)

 事務員の仕事をはじめて、丸三年が経ちました。この仕事をする前は、服とか服飾小物などを売る販売員の仕事を、六年間していました。
 私は日に日に、やたらと事務員めいてきて、みるみると販売員だったことが過去になっています。同期の名前も、社内用語も、レジの応酬話法とかもだんだん忘れてきて、仕事に対して憤っていたこととか後悔とかも、どんどん澄んだ色に、もはや透明になってきました。大切なことは忘れたくないけれど、もう持てない記憶に関しては、それでいいよね。
 関連して、中学生のときの初恋の子が夢に出てくることもめっきりなくなったし、ピーマンも食べられるようになりました。ただ、夢に、今の職場の人が出てきてつらいなあって夜はあります。夢の中でも電話に出てたり、夢の中でもエクセルが消えちゃったりねえ。あはは。しかし、それはそれで「今」を生きてるのかなあって、そんな感じはします。嫌な気はしません。

 前職の販売員をしている頃、七月・八月といえばそれはそれは繁忙期でした。夏。夏物衣料はもちろん、水着、浴衣、旅行や帰省需要のトラベル用品、お盆用のブラックフォーマル。試着や接客が必要となる商材がメインの売上を占め、それはそれは大忙し。ティーンからシニアまでひっきりなしにご来店され、朝から晩までてんやわんや。土日は特に忙しくて、一年目の頃は、帰宅後に床で全裸で果てる、という日もありました。

 「仕事をやめる」と決めた四年前の夏。浴衣を買いに来てくれた、あるお客さんのことがよく記憶に残っています。忙しかった日中のお祭り騒ぎが嘘みたいに感じる、静まり返った夜の八時頃。東海地方に大型の台風が接近していて、普段よりもお客さんがうんと少ない日曜日の夜のことでした。

 中学生か高校生ぐらいの女の子と、その子のお母さんが、浴衣売り場をメンテナンスしている私に話しかけてくれました。華奢というよりはガシリとした健康的な体型で、顔も手も足もよく日焼けしており、顎ぐらいの長さの綺麗な黒髪があどけない印象を与える子。思春期特有のはにかみ目線と、生意気な唇のちぐはぐさが可愛くて、隣にいるお母さんとはそっくり、まさに瓜二つ。高校一年生なんだって。可愛い。私もこんなに幼かったろうか。でもね、その子がね、スマホの画面を私に差し出して、こう言ったのです。

 「この子に絶対に勝てる浴衣が欲しいんです。」

って。

 画面の中の女の子は、弊社が今年イチオシの浴衣を着ていて、モデルさんさながらの表情で、愛らしいポーズを取っていました。大人っぽい雰囲気で、しかし笑顔が可愛らしく、目鼻立ちがすっきりとした端正な顔立ちに、スラリとした手足。ああ、思い出した。この子、この前私が浴衣を売った子だわ。この年頃にしては珍しく、商品を選ぶのにほとんど迷われなかったから、なんだかよく覚えていました。

 嵐の中に来られた可愛いお客さんは、こう続けました。
 画面の中の女の子は、私の親友で、幼なじみ。ただ、この春から別々の高校に行くことになって、可愛くなって、SNSでフォロワーがたくさん増えたり、彼氏が出来たりで、中学生の頃より遊ぶ頻度が少なくなった。夏休みに一緒に花火大会に行く約束をしていて、一緒に浴衣を買いに行く話もしてたのに、先に買われてしまった。悔しい。花火大会の日が近づいてきたのに、LINEもよく無視をされる。もう、私のことを友達と思ってないのかも。花火大会も一緒に行けないかも。そうだったら悔しい。だから、せめてこの子に「勝てる浴衣」が欲しい。……というような主訴でした。

 はにかみながら、時に感情をあらわに、むき出しにしながら、そう語ってくれる女の子。
 隣で困った顔をしながら、うんうんと頷く女の子の母親。
 結果から申し上げると、私はこの接客に、販売員人生で一番燃えてしまいました。この瞬間のために、今までの六年間、販売員を続けていたんだなと、あとあとにも思い返すくらいに燃えました。この子の気持ちを味わったことがあったから、燃えたのだと思います。
 友達と自分を意図せず比べてしまう気持ち。なんだか、少し蔑ろにされているように感じる気持ち。仲の良かった友達が、うんと遠くに行ってしまうように感じる憤りのような、寂しさのような気持ち。抱いたまま、そのまま傷になって、あとあと痛むような気持ち。脱げない仕様の比較級付きの気持ち。
 
 「その子に勝てる」……かは、正直わからないけれど、このお客さんに一番似合う浴衣を選ぼう。満足してもらいたい。満足してもらおう。できれば、そのお友達と二人で花火大会に行けるといいな。いや、そうじゃなくても、浴衣が夏の思い出になるといいな。そんな想いを、商品を選びながら、たくさんこめた。浴衣のみならず、下駄もヘアアクセサリーも楽しく選んだ。お客さんはとても喜んでくださり、一度退店されたかと思ったらまたすぐに店内に戻ってこられて、今度はメイク用品を選んで欲しいと申し出てくれた。とても嬉しかった。販売員冥利に尽きるなって、死ぬほど思った。メイク用品は売場担当じゃなかったけど、プチプラのアイシャドウとティントリップ、私が当時愛用していたモテマスカラのボリュームマスカラを買ってもらったっけか。

 ……なのに、なのにさあ。今ふと気づいたけど、その子がどんな浴衣を買ってくれたのかは、もうすっかり忘れてしまった。いつ、どこのタイミングから思い出せなくなっていたのだろう。でも、もう、それはそれでいいんだと思う。

 お客さんの女の子も、二十歳になる歳だろう。あんなにおぼこかったのに、もうとっくに成人している。あの日、二十七歳のおねえさんと選んだ浴衣のことは、もう忘れてるかも。忘れててもいいよね。そんな、「大好きな友達に勝てる浴衣」を探しに親と出かけた夏なんてさ、辛いかもしれないよね、その子にとっては。花火大会は楽しかっただろうか。友達と一緒に行けたのかな。友達とは今も仲良くしてるんだろうか。もしかしたら、浴衣もメイク用品も、お母さんと台風の夜に買い物にきたことも、思い出したくない苦い過去になってるのかな。懐かしい過去になってるのかな。クスッと笑える過去だろうか。思い出しもしないぐらい、小さな夜だろうか。知る由もないもんね。
 名前も知らない、普通のお客さんと、普通の販売員の私の物語が交わったのはあの日だけ。探偵!ナイトスクープとかに依頼しない限り、きっと会うこともない。

……ああ、あーあ。知らないうちに、四年も経ったのだ。私も三十一歳になり、色々順当に、健康的に忘れてきた。刻みつけてきた想いも、言い聞かせるように連ねてきた言葉も、そのうち私の皮膚の一部になって、身体に吸収されてゆくよね。

 noteを書き始めてからも、四年が経った。夏換算すると、五回目の夏である。私の気持ちも変わってきて(どう変わったかわからないが)、まわりもずいぶん変わってきた(これまたどう変わったか説明が難しいが)。私はどうやって、この先を生きてゆこうかな。事務員を続けるんだろうか。いつか母親になるんだろうか。旅人になるんだろうか。いつまで生きるだろうか。生きられるんだろうか。生きることを望むだろうか。なにを残してゆくだろうか。なにか残すだろうか。残したいんだろうか。
 noteをやめよう、とは思わないのだけれど、やめてしまったらここにいる人たちと二度と会うこともないんだろうなと思うと、とても、とてつもなく寂しいし、さすがに探偵!ナイトスクープに依頼はできないから(笑)、ここで静かに息をしていたいと、今は願っているよ。四年前とは確実に変わった気持ちを携えて。あー、暑いよー。

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