続けたことは心身を助ける(こともある)(随筆)
日清のソース焼きそばは、昔から変わらず一袋に麺が3玉と粉末ソースが3つ付いている。子どもの頃の休日に何度も作った、ソース焼きそば。母が野菜を切って、私が調理する。お肉と野菜とちくわとかの練り物を強火で炒めて、麺を入れてソースを入れる。まごまごすると野菜が焦げるし、やる気をいれて混ぜないと味が均一にならない。ジャン!と強気の強火で炒めないと、麺がぶよぶよになっちゃうし。ホットプレートでやればいいのだけれど、大きいフライパンの中で家族4人分の焼きそばを調理するのは結構大変なのだ。
その上ね、なんだか幼心に覚えているのは、休日のお昼ご飯作りはお腹が空いて徐々にみんな殺気だってしまい、気持ちばかり焦って口喧嘩をよくしていた気がする。
昨日、そんな幼い頃の休日を思い出しながら、家でソース焼きそばを作っていた。2人家族で、一人で過ごす休日だけど、一気に3人前を。日曜日の3月31日なんて、焼きそばだな!と思ったのだ。具材調達も、野菜を切るのも、炒めるのも、盛るのも、食べるのも私ひとりぼっち。それでも、幼い頃に作ったそれよりもおいしく感じて。慣れたキッチンで作る焼きそばは、キャベツもピーマンもしんなり焦げもなくやわらかくて、お肉もカリッとよく焼けていて、ソースも均一に混ざっていて、箸は進めど、部屋に柔和な春の日差しが射し込んでいても、それらがとてもとても全て虚しいなと思った。ひとりぼっちのつまんない休日であるということに対して感じる虚しさではなく、もっと大きな魚影の虚しさだったな。過ぎた時間の経過とか、この後の人生の不明瞭な長さとか、そういうタイプのんでもなくてね、もっと、地球と太陽の間にシロナガスクジラが横切って光が見えなくなるみたいなやつ。
つまり、このシロナガスクジラはとても可愛いのだ。愛でたいタイプのクジラさんなのだ。
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今日、昨日作った焼きそばをタッパーに入れて職場に持って行った。4月1日月曜日。近年稀に見る「はじまりに最もふさわしいはじまりの日」みたいな暦まわりですねなどと思いながら、職場の電子レンジでチンしてお昼にデスクで食べた。
一日おいた焼きそばは、味がぼんやりとしている。でもおいしい。手作りの味がした。麺のコシがしんでることだけがワロスで、さながら味のついた輪ゴムみたいな食感だったけど、それはそれで悪いと思うほどではなかった。デスク周りでソースが香ったらどうしよう!と思ったけれど、近くの席の人がシーフードヌードルを食べていたから大丈夫だったし、昼食の主旨としては日清という点において、ほぼお揃いだった。
上司が、コンビニで買ってきた野菜ジュースとおにぎり(裏向いてたから味は不明)とでかい菓子パンとシュークリームとざるそばとアルフォートをデスクに並べたまま、そのまた上司に呼び出されて長いこと離席していた。今食べたいものを買ってきたんだなあと思わせるあまりに奔放な食べ合わせで、思わず近くの席の人に「机の上なかなかカオスですね」と話しかけてしまった。健やかならええじゃないか。話しかけた相手は、来月にはもう辞めていなくなる寂しい。
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ぼんやりな焼きそばを食べて、ぼんやりとした昼休みを過ごしていた。思い出した。焼きそばを作ったのは、かなり久しぶりだった。記憶に残る限り、ちょうど6年前ぶりだ。noteをし始めた27歳の4月に、暇を持て余した私は、何を思い立ったか焼きそばパンの研究をしたことがあったのだ。その時ぶりだった。
この記事の構成はこうだ。
1.焼きそばパンはなぜパシリの代名詞なのか
2.近所にどのくらい焼きそばパンが売っているのか(浜松駅周辺のデパ地下やスーパー、家の最寄駅や近所の大型スーパーやコンビニに実際に見に行って、何品番・何個売っているかを調査しに行った)
3.おいしい焼きそばパンはどれか
4.記事総括
当時から今に至るまで、特別に評判が良かったわけではない。検索したらヒットするのか閲覧数はまあまあ多いが、いいねがたくさんついたわけでもない。なぜよく覚えているかと言うと、この記事を書いた当時がとても楽しかったからだ。noteのフォロワー数も、いいねの数も今よりもとても少なかったけど、毎日のように飽きずにnoteを書いて、とても楽しかった。日記だとかエッセイだとか、そういうハッシュタグをつけていたことも恥ずかしいぐらいの散文だった。(今もか。)毎日毎日、一日の終わりに何らかを眠くなるまで、意識の残る限りに書き散らして、楽しかったし、あの時の私も、多分そして今も、確かに豊かだったし、豊かだ。トトロのメイちゃんがトトロにもらったどんぐりを庭に埋めて、芽が早く出ないかとそわそわしていたみたいな日々だったように記憶している。
焼きそばを上手に作れる私は、焼きそばを食べて虚しくも懐かしくもなれるし、焼きそばパワーで午後からも頑張れたし、焼きそばを食べたことを自分の言葉で日記に出来るし、焼きそばパンを研究したことがある。
noteを丸6年続けた私は、noteを書いて楽しくも悔しくもなれるし、noteを書きたいパワーで頑張れる日もあるし、noteを続けたことで得たものもあるし、きっときっと人生のどこかでnoteという媒体で書くことを辞めたとしても、どこかでまた書きたくなるぐらいには書いてきたように思う。
ああ、私は(続けるという選択に明確な意志や趣向があったかどうかは別として)、心が救われるぐらいに、どうしようもなく続けてきたのだなと、4月1日から幸せの破片を飲み込んだよ。
毎日を「なんかええ感じ」にしようとしていた6年前の思い出をたまには取り出しながら、また今日からの新しい年度も、「なんかもっとええ感じ」に、なればいいなあと思いながら暮らしたいな。
過去の私、色々試行錯誤して生き続けてくれて、暮らし続けて来てくれてありがとう。未来の私、もし悲しいことがあっても、太陽が見えないぐらいの大きな魚影が頭上を横切ったとしても、暮らしを続けてきたことに胸を張って、自分なりの「ちょっと前よりええ感じ」を模索していこうぞ。
最後に、「なんかええ感じ」を試行錯誤したであろう、6年前の懐かしい写真(主観)とともに今日はバイバイです。なんか訳のわからん文章だけども、きっと未来の私にとって、この生きた4月1日のありのままの文章は大切な存在になると思っている。
明日は、まだ残っている3玉目の焼きそばを食べる。また食べた頃には、気持ちや心の向きが変わっているかも。
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