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植物を育てることと ひとと関わること

植物を育てることと
ひとと関わることは
似ている気がするんです。

各々の、各々から差し出されたもの、がないと
どちらもうまくいかない。

こちらの感覚だけで完結してしまっては
植物は枯れていくし
ひととは、知らない間にすれ違う。

植物とは
土を触って、陽が差せば窓際へ
というように
日々様子をうかがって
関わり合うようにしています。

ひととは。
関わりたいひとほど、うまくいかない。

最近気付いたことは
自分を覆う分厚いもの。

思い込みによってつくりだされた
社会性?
私的に培われたコミュニケーションの術?
経験からうみだされた私的計算式?

こういうものは根強くて
もう日常化しているので
気付くことさえなかったけれど。
あらためて自問自答するとき
自分の本心が覆われて
わからなくなっていることに気付いて
はじめて、ようやく途方にくれたのです。

それがわからないと
ひと、と本心で関われない。
その実感がない。

ひとと関わるということを
実感したい、のだと思います。

ただ、それには
自分と対峙しなければならないと
感じています。
だから、
自分に対して
「 何故?」と問いかけ続けること。
必要なことだと思っています。

それでも
出会うことは、止めたくない。
思いがけないことがあることを
体験として知っているから。

いただいたお花の茎の根本から、あらたな芽が。
びよんびよんと。どうなっていくのだろう。


それが、結果的に
自分の表現にも繋がっていくのだと
思っています。

経験は、宝です。
かけがえのないもの。

私に出会ってもらえることに
感謝しています。
ありがとう。



シラハタショウコ




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