97歳の祖母「シャバの空気を吸うのはこれが最後」
2月から入院している97歳の祖母が、半年ぶりに病院の庭に出れることになった。
「シャバの空気を吸えるのはこれが最後だわ」と言って喜んだらしい。
ブラックすぎて笑いにくいが、彼女なりのジョークだ。
病院の敷地内で開催していた夏祭りが4年ぶりに再開するから、車椅子に座って短時間なら見てきていいよと医師から許しが出たのだそうだ。
見舞いもNGだったため、私が祖母に会えたのも半年ぶりだった。
「シャバの空気はどう?」
「いいです、いいです。最高です」
あまり暑い日じゃなくてよかった。
それにしても祖母はラスト・シャバだというのにあっさり病院の中に戻っていった。
電話もいつもすぐ切る。
その日はみんな、直接会えるのは本当に最後かもしれないと覚悟していたから、もう少し別れを惜しむものと思っていたのだけど。
「あんたたち、もう帰んな。早く帰んな。あたしももう戻る。じゃあね」
と言ってとっとと病棟に入っていった。
車椅子をおしてくれていた看護師さんが「え、もういいんですか…」というなんともいえない顔をしていた。
夫である私の祖父が死んでから23年間、祖母はひとり暮らしをしてきた。
娘夫婦が同居を誘っても、息子夫婦が誘っても、ひとりがいいと断ってきた。
私に対しては、数年前まで「彼氏は?結婚は?」とせっついてきていたが、1926年(大正15年!)生まれの彼女がもし現代に30代だったら、仕事一筋でチャキチャキなんて生き方もあったんだろうな。
そうしたら私は生まれていないか、生まれていても琵琶の師匠になってたのだろう。
(祖母の生家は楽器の琵琶の師匠だった。)
コラムニストのジェーン・スーさんは、
というようなことをよくおっしゃっていて、私もそれを痛感している。
戦争中20代だった祖母には、どれだけの選択肢があったのだろう。
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