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SF読書交換日記 第2回 宮内悠介「盤上の夜」

面白い。が、なにが面白いのかを端的に表現することが難しい。この再読が何度目になるのかはわからないものの、読むたびに面白く読んでいることは確かだ。

語り手は<わたし>。記者である<わたし>の目線を通して、読者は後天的に四肢を奪われた異形の囲碁棋士灰原由宇の足跡を追うことになる。

これは本作のあらすじとしてさほど的を外してはいないはずだ。まとめてしまうとひどく簡単なように見え、実際に読んでみると、やはりずれを覚えずにはいられない。しかしながら、読み通してみてなにか驚くべき秘密であるとか、あるいは冴え渡るような解決があったわけではなく、ひとりの人間の足跡を客観的に追っていくことが面白く、何度目かの読み直しであった今回もまた、面白く読んだ。これはなんなのだろうか。わたしにはわからない。

わたしが心惹かれたのは、碁盤を感覚器とする人間というアイディアだった。異形の棋士由宇を異形たらしめるのは身体的特徴そのものではなく、その身体による思考の異形さ。異形な思考空間を張る基底が並の言語でないことは当然だろう。ここから翻って、その異形かつ高度に抽象化された思考の持ち主を、一貫して客観的に、ジャーナリスティックに描いているのが本作の特徴だと言えよう。異形の輪郭を浮き彫りにする筆致が、物語が、快い。

このような物語を描く細緻な手腕に憧れはするが、わたしはどちらかといえば異形でありたい。わたしにしか理解できなくていい。そのかわり、わたしにしか書けない物語を書けるものでありたい。そのためになにをすればいいだろう。たぶん、書くことしか道はないのだとは思う。

面白い。しかしその面白さがどこからくるものなのかを把握できない。それゆえまた読み返す。おそらく、それは言葉にできない、言葉にしてはならないものなのだろう。本作のような言葉にできない作品こそ、一堂に会して論じるべき作品なのではないかと、いまになって思う。

感想をうまく言葉にできないならば、なにか作品について気の利いた解説でも、と思ったが、わたしは碁についてまったく知らないのでこれも書けない。わざわざここに書かなくてもいいようなことをあえて書くなら、また直接集まって、麻雀でも打ちながらこの作品を話せる日が早く来てほしい、とか。じつのところ「盤上の夜」より「清められた卓」が好みである、とか。畢竟、また麻雀を楽しく打ちたい、ということ。

感想を書いてくれとの話だったので好きに書かせていただいた。こんなものでよろしいだろうか。

次の担当者は一周して下村。課題作はルーシャス・シェパード「竜のグリオールに絵を描いた男」(竹書房文庫、同題短編集表題作)。最近はずいぶんとハードSFに入れあげているように見える。たまには趣を変えてみるのはいかがだろう。別段深慮は求めていない。ただ楽しんで書いてくれさえすれば、それでいい。

(壁石九龍)

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