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3.空白の1か月を過ごした高校生活 Part2

(Part1から見ることをお勧めします)

どこにも属さない1か月

 こうして私は突然学校に行けなくなり、高校に行かない日々が始まったのだ。始めの1週間こそ、ただメンタルを復活させるように家族も今後については特に触れなかった。しかし、ずっと休んでいるというわけにもいかない。私の心の中にも「これからどうするのか」「学校に復帰するのか」「他に転校するのか」色々な選択を考えた。他の全日制に転校できるのかさえ知らなかった。どうしようかとグルグル思考を巡らせるも、一人ではどうしようもできなかった。

 休んでいる最中、家で仕事をしている母とはポツポツと話していた。私自身がどうしたいのか。グルグルと悩んだものの、意外と早くに私の頭の中には1つの答えにたどり着いた。それは「転校」という選択だった。この選択には金銭的な問題もあるため、一人では決められない。そのため、母に相談した時、恐らく母はとても悩んだに違いない。私立の女子校で安くない授業料を両親は払っていたのだ。しかし、悩む素振りをあまり見せることなく母は私の選択を尊重してくれた。後に聞いた話だが、「本人がそう強く希望しているなら、そうするしかない」と思っていたらしい。

 ここから私と母は、転校先の高校探しに奔走した。母の休みの度に学校見学や個別相談に行った。
 転校するにあたり、条件があった。

・大学受験対策を積極的に行っている
・ある程度登校して勉強ができる

 転校は通信制高校に絞った。当時は毎日登校して行ける自信もなく、全日制に途中から入学する勇気もなかったため、転入が多い通信制にした。
 資料請求は5、6校くらいしていただろう。通信制について何も知らない私と母は資料を取ったほとんどの高校に行き、どういう仕組みか、どんな勉強か、雰囲気は、など沢山聞いた。毎週の休みを私の高校探しに使ってくれた母には感謝してもしきれない。

 母の協力もあり、11月の下旬には転校先を決め、12月から新たな高校に入学した。1か月間の不登校期間だった。

 転校先の高校を探しているとき、ほとんどの時間を家で過ごし劣等感を強く感じていた。学校見学以外に外に出ることはあまりなく、ずっと家にいた。勉強もやる気が起きなかったが、それまで寝る間も惜しんでやっていた記憶から「やらなきゃ」という気持ちになり、少しやっていたような気がする。
 休んでいる間は女子校に形式として所属していたのだが、どこにも所属していないような空虚を感じていた。
 この間に地元の友人と一回会ったような気がする。普段と変わらず接してくれる友人がそこにいた。今でも繋がっている友人だ。この縁には感謝してもしきれない。

新たな高校生活と受験勉強

 新しく入った高校はあっという間だった。初めこそ友人が出来るのだろうか、と不安に思っていたが大学4年になった今でも月に1回会うほどの友人にも出会えた。
 私が転入学した高校は、転入で入ってきた人ばかりであった。それぞれ他人には分からないバックグラウンドを抱えている、そのことを誰もが分かっていた。だからこそ、深入りしない線引きも持っていた。その雰囲気と多様な価値観や人間関係が私には心地良かった。
 雰囲気に馴染むのに加え、自分自身が不登校を経験したこともあり、いろんな人がいるのだと知り多様性への理解が深まったのも、この新たな高校に転入したからであろう。

 通信制高校の生活は順調だった。受験勉強はつらいこともあったが、今となってはいい思い出で経験だ。受験のために毎日登校して、友人と話し、先生に質問をして、時に面談で打ちひしがれる……素直に「今しんどいです」ということも話せていて、約1年ちょっとの充実した高校生活だった。

 もちろん、全てが良かったわけではない。宿泊行事や模試、入試本番、志望校不合格など様々なことはあったし、悩みもあった。通信制の高校は性に合っていて好きではあったが、全日制に通う地元の友人との違いも感じていたし、大学の友人と比べてもいわゆる「普通」のような高校生活ではなかった。
 大学入学直後も、4年間通い続けることが出来るのかと不安でたまらなかった。(大学1年のほとんどをリモートで過ごし、本当にコロナに救われたと思う)
 就職活動の中で転校した理由を問われれば、緊張であまり上手く話せないかもしれない。

 しかし、私にとって高校に行かない1か月も、女子校の1年半も、通信の1年すこしも、全て合わせて「私の高校生活」であり、学生生活、学生時代の一部なのだ。そこに恥じているつもりはない。むしろ、この選択は正しかったのだ。(と、言えるような人生を送りたい)
 高校を卒業して、本当に転校してよかったと思うし、友人に出会えてよかったと思うし、恩師と呼べる先生方に出会えてよかった。

 空白の1か月間が、私にとっての人生のターニングポイントであった。だから、今も多種多様な人々が混在する学部で学生生活を送れているのかもしれない。



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