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小匙の書室270 ─QJKJQ─

 その一家は、全員が猟奇殺人鬼である。
 それぞれに“その者”としての行動学がある。
 家族の長女・アリアは、ある日、自宅で惨殺された兄を見つける。彼女はやがて、自身の父に疑いの目を向けるのだが──。


 〜はじまりに〜

 佐藤究 著
 QJKJQ

 第62回江戸川乱歩賞受賞作
 著者の作品はこれが初読みです。
 とはいえ、「この作品から著者を知っていこう」と思ったわけではなく──。

 私はまず、(文庫化を機に)第165回直木賞受賞作『テスカトリポカ』を読もうと思ったのです。
 ただその頃とある方(名前を出して良いかわからないので仮にTさんとします)から「QJKJQもオススメ」と聞き及びまして

 なんとなくタイトルは知っていたので作品について調べてみますと、なんと『QJKJQ』『Ank : a mirroring ape』『テスカトリポカ』が〈鏡三部作〉の位置にあることが判明したのです。

 もちろんテスカトリポカ単体で読んでも面白いのでしょうが、「三部作とあるからには、前二作をすっかり読了してから手に取った方がより面白くなる」と思い、本作から着手するにしたのです。

 帯に付された「私の家族は全員、猟奇殺人鬼。」というフレーズに、タイトル『QJKJQ』の意味に、非常に興味を惹かれる。

 というわけで早速、読んでいきましょう──。


 〜感想のまとめ〜

 ◯猟奇殺人鬼として家庭を営む一家。もうこの時点で、既に作品に漂うダークな側面を味わうことができた。
 父、母、兄、妹。それぞれがそれぞれに狩場があり、方法があり、快楽がある。それはかくも悍ましいのだが、視点人物である妹・アリアはある種の透徹された信念を持っており、これが残酷さの中に清々しさを生んでいるのだ。

 ◯人の道理を外れた彼女たちにとっての、普通の日常。ただ、そこに発生した「いつもと違う」がやがては不可解な事象を呼ぶ
 突然消失した身内。しかしその方法が霧のように掴めない。これがミステリギミックとして機能していた。
 狩る側が狩られる側に転換したとき。いつもが──今の一秒が安全だから次の一秒も安全だという思考が断ち切られ、アリアの本能が首をもたげ、いっそう不穏になっていった。

 ◯読む前から気になっていたタイトル──『QJKJQ』の意味が最初に開示されたときには、「なるほどここから来ていたのか」と得心。
 それはまるで異様な静けさの中に響くテノールのようで、忘れ難い余韻として私の心に沁み込んでいった。

 ◯困惑の事態がアリアの見る世界の信頼を揺らがせる。きっかけは小石に過ぎないのに、落下場所が含む位置エネルギーが大きな波紋を作るように、思わぬ方向へ展開する物語に驚いた。
 登場人物の遺伝子に根付いているのは狩り──すなわち殺人であるために、作品のそこここに“ぷん”と血の香りが漂っているのだ。

 ◯家を離れ、真実を探ろうとするアリアに絡み付いていく“本当のこと”。鳩ポンの調べでまざまざと蘇ってくる記憶──。
 ベリベリと引き剥がされていくのは眼前の現実を覆う皮であり、その実、足元に穿たれた穴に追いやられている。ゾッとする場面がいくつもあった。

 ◯父との対話は深淵を覗き込むに等しく、それでいて容易く呑み込まれそうになった。QJKJQの意味、メタファーとしての鏡の要素、倫理的に狂気なる信念に組み込まれた理性。
 なぜ、殺人は起きるのか? 殺人の原初とは?
 文体はするりとしているのに、体に沁み入るにつれて毒されていくような、そんな不思議で怖い味わいがある。
 殺人一家の娘として生まれてしまったアリア。そんな彼女が、鏡写しに得た人生の締め括りと、幻想に響く父の声。
 徹頭徹尾“人を殺めること”への探究を極めた作品だ。


 〜おわりに〜

 何度も語られ続けてきたテーマに新たな側面を与えながら、一定のリズムで読者を物語の海原へ誘う。それがどれだけ凄いことであるか。

 哲学的で、しかし現実から逸脱しすぎず、最後にはアリアという一個の人間に収斂する『QJKJQ』。
 いやはや、すっかり、衝動とダンスに心を掴まれてしまった。

 ここまでお読みくださりありがとうございました📚

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