小匙の書室138 ─両手にトカレフ─
依存症の母を持つミアは、ある日図書館で『カネコフミコ』の書籍と出逢う。
小説に感化され、「ここではない世界」を目指すミアはやがて、ラップの誘いを持ちかけられて──。
〜はじまりに〜
ブレイディみかこ 著
両手にトカレフ
以前ポプラ社さんで購入した本の福袋に入っていた一冊。みかこ先生は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は知っていたものの未読であり、本作が初読みでした。
表紙に描かれた二人の少女と、両手にトカレフというタイトル。色遣いもポップだけれど、あらすじや帯に寄せられたコメントを読む限り重たさのある話なのだと察せられます。
だけど同時に、やがては光が灯されているのかもしれない、とも。
何はともあれ、私は物語へと足を踏み入れていきました。
〜感想〜
生半可な気持ちで読んではいけない。
そう、思わされる作品はたくさんありますが、本作もその部類に入ると思いました。
以下、本作のまとめです。
◯創作とリアルが混じる、半ノンフィクション。
ミアが図書館で出逢った、『カネコフミコ』にまつわる書籍。それは作中のために存在するのではなく、現実に存在した金子文子に関する内容が記されているのです。
だから半分フィクションという形が成されており(あくまでも私なりの表現)、「ここではない世界」を目指した少女期のフミコの視点は、ミアだけでなくリアルな実感を伴って読者にも影響を与えるのではないかと思いました。
◯ミアの抱える社会問題。
依存症の母を持ち、ヤングケアラーでもあり、ソーシャルワーカーとのやり取りに気を張るミア。
冒頭から彼女の辛い境遇が露わとなり、およそミアのような年齢の少女が背負うべきではない問題の数々が、都度私の胸を締め上げました。
どんなことがあっても、折れようとしないミア。その姿が余計に痛々しく思えて、子供を守るべき『大人』の立場になっている私は、「どうすれば彼女は幸せになるのだろうか」と考えさせられたのです。
また、本来正しく機能すべき機関が起こす当事者との空回りが、現実のそれに肉薄した描写のようであり、深く深く物語に沈んでいくことになりました。
少しでも理解するように私は研鑽を積まなければならない……。
◯ここではない、世界。
カネコフミコが目指し、それに影響を受けたミアが望んだ「ここではない世界」。
私も常にどこかへ行きたいと心の片隅で思っているけれど、現実に何も変化を期待できない──似たようなことをミアも考えているから、大きな共感を貰いました。
ただ、世界と聞けば大袈裟に感じられるけれど、手元を探れば意外とそこへ向かう手掛かりは無数に転がっているのかもしれない。
ミアにとってその一つとなるのがラップだったのです。
でも、決して彼女はラップをやりたいと思っていたわけではなくて……。
読後、私は自分の内側に無意識に溜めているかもしれないミアにとってのラップのような何かを探していました。
◯そこにある言葉を活かすこと。
小説でもリリックでも、ただの文字列と捉えるかしたためた人間の心情が籠っていると捉えるかで、得られる『糧』は変わっていきます。
同じ意味でも、多面的になる言葉。
恐れ多くも読書家を標榜している私は、既にエンドマークの打たれた物語を嗜むことしかできません。だからこそ、きっちり手元に届けられる物語を昇華したい。そして広めたいと思うのです。
作中におけるミアについても同級生のウィルによって言葉の変貌を体験しており、『伝わる』ことの大切さが身に沁み入ってきました。
◯ 大人たちに振り回される子供のミアは何ができるのか。
頼れる大人がいなくて、信じている人に裏切られて、それでも守るべき人がいて、だけど子供にできることは限られていて。
「ここではない世界」と「生きていかなければならない世界」とで板挟みになるミアの心情が丁寧に紡がれているから、最後の最後で提示されるミアがすべきことには首がもげそうなほどに頷きました。
そう、そうなんだよ。
ネタバレになるのでいえないけれど、本来はそうあるべきなんだよ……。
〜おわりに〜
ポップな装画と違って、内容は比較的ハード。
そこには、大人だからこそ読むべき描写が散りばめられているように思いました。
両手にトカレフは、なにも物騒な表現じゃない。
ミアの、偽らざる意志なのだ。
彼女の、NOばかりの世界にたくさんのYESが舞い込んでくれますように。
ここまでお読みくださりありがとうございました📚
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