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【小説】ラヴァーズロック2世 #03「ロック」

あらすじ
憑依型アルバイト〈マイグ〉で問題を起こしてしまった少年ロック。
かれは、キンゼイ博士が校長を務めるスクールに転入することになるのだが、その条件として自立システムの常時解放を要求される。
転入初日、ロックは謎の美少女からエージェントになってほしいと依頼されるのだが……。

注意事項
※R-15「残酷描写有り」「暴力描写有り」「性描写有り」
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※連載中盤以降より有料とさせていただきますので、ご了承ください。


ロック


教室へと続く長い廊下を歩く。

少年の前にはアレクサンダー・キンゼイ校長の背中。擦り切れた白衣の裾から生えたシワだらけの手は後ろで組まれ、歩行のテンポに合わせ交互に軽く握り合っている。その握り加減の微妙さが正直何とも薄気味悪い。

廊下の右側は大理石の壁が延々と続いていて、数は少ないが小ぶりなアンモナイトが点在していた。

老人の速度に合わせて歩くロックの人差し指と中指の先端は、冷たい大理石の上を興味なさげに走り続ける。

ときおり化石に混じって灯台の地図記号、生徒たちから〈ルドンの眼〉と呼ばれている落書きが現れるが、かれは全く興味を示さない。

キンゼイ校長も何やらぶつぶつと独り言のように話しているのだが、これもロックの耳には全く入ってこないのだった。

それでも校長の話が急に途切れると、あーこれは質問の答えを待っているのだな、と察知することはできる。

「えーと、それは……どういう意味ですか?」

話を全く聞いていなかったくせに、逆に質問で返してしまうロック。

「だから想像もできないくらいの大昔、太古の出来事は、どちらかというと過去よりも未来に近いんじゃないかってことだよ……君のような若者にとっては」

だが、キンゼイの言葉を少年はもう聞いていない。大理石の壁に現れた大きめの〈パイライト・サン〉に、歩きながらも目が釘付けになってしまっているのだ。

放射線状に広がる白鉄鋼のきらめき。同質異像の太陽神。生物かどうかもハッキリしないところが著しくロックを魅了する……この美しい偽化石奴が!

首がねじ切れそうになるまで名残惜しそうにパイライト・サンを目で追っていたロックが、ついにあきらめて顔を進行方向に戻すと、キンゼイ校長の姿は消えていた。

かれは立ち止まり、大理石の壁の上に黄ばんだ白衣と同じ色彩がないかどうか、とっさに探し始める。

次の瞬間、聞き覚えのあるしわがれ声が、どこからか聞こえてきた。

「ロック君、こっち……」

縦長の長方形に収まったキンゼイ校長が手招きをしている。

教室内の照明が明るすぎるからなのか、教壇に立った校長の姿が、白みがかって見える。

ロックは急ぐことも、あえてゆっくりと歩むこともせず、要するに、いたって普通に教室に入っていった。

幾度も経験した身を切るような心地よさ……あのプロローグとしての沈黙の中へと……。




皆が同じ方向を見ている。当たり前だが全員がこちらを見ていた。

ロックはうつむくこともせず、後ろの掲示物に視線を向けることもしない。そもそも掲示物などひとつもない。

机や椅子はありきたりのものだが、内装は壁も床も真っ白。天井に照明機器は認められず、天井の壁全体が白く発光していた。

かれは無遠慮に視線を向けてくるクラスメイトひとりひとりを、順番に穏やかに睨み返す。そして、たまらずに視線を逸らしたりするものをみつけると、薄笑いを浮かべるのだった。

男女比がほぼ半々のクラスメイトたちは、おもいおもいの私服を着ていて、クラスの風土なのだろうか、わりと自己主張の強めなスタイルが多いように見えた。

個性的な服装の上に個性的な顔がのっかってはいるが、皆一様に幼さの特権である正義感に満ち溢れた柔らかい頬を持っていた。

クラスメイトたちが実際よりも幼く見えてしまうのは、ロックの心が年老いてしまっているからかもしれない。

その精神的加齢の原因は、憑依型アルバイト〈マイグ〉のせいでは決してなく、常軌を逸した膨大な読書量によるものだった。

そのほとんどは小説で、自分自身をすっかり〈無〉にして、主人公や話者の世界観、観念に身をゆだねきらないと本当の意味で〈読む〉ことのできないようなたぐいの小説……そんな作品が大半を占めていた。

他者の価値観で小説世界を生きること。それは、1冊読むたびに見ず知らずの他人の人生を生きること。単純な〈追体験〉ではなく、文字通りの〈生〉として……。

付き合いで仮想/拡張現実系のゲームをプレイしたこともあるが、いまいちのめり込めなかった。

どんなに能力の高い勇者や、最強無敗の格闘家になろうとも、結局中身はどこまで行っても自分自身。暴力性が増幅されたり、今まで気づかなかった自身の思いもよらぬ気質を発見したりすることはあっても、自分のパーソナリティを空っぽにして、他人の価値観や行動原理をそっくり受け入れる、あの圧倒的な危うさを感じることはついにできなかったのだ。

「すでに担任の先生からお話があったと思いますが、今日から皆さんのクラスに仲間入りすることになる転入生を紹介します」少々上ずった声のキンゼイ校長。

後ろ側の席で腕組みをしたモヒカンと、椅子の上で立ったり座ったりを繰り返しているお調子者。最前列には妙に肌艶の良いメガネのガリ勉タイプがふたり……ロックは左を天才、右を秀才と名づける。

かれの直観によると、どうもこのクラスはキンゼイ校長をなめ切っているように見える。

ロックは、とりあえずは名前と転出先の学校名をいうと「よろしくお願いします」とたんぱくに頭を下げた。

ちょっとした沈黙。

「えーと……」この後をどのように進めてよいかわからないキンゼイ。当のロックは沈黙を恐れない余裕の表情。

「彼女はいますかー?」唐突に後ろの方から声が上がった。

笑い声が薄く広がる。

「もしかして童貞ですかー?」お調子者が負けじと畳みかける。

ドッと笑いが沸き起こり、盛り上がりは突然最高潮に達する。

キンゼイ校長の顔がみるみる赤くなっていくのが周辺視覚に映り込み、ロックは思わず吹き出しそうになる。

そして、ロックはお調子者の顔を憐れむようなまなざしで見る。粗野でデリカシーのないふりをしているところが、何とも痛々しい。

「彼女はいません。もちろん童貞です」

何の躊躇もなくロックが答えると「おー!」と、教室に低いどよめきが起こった。

もうこれ以上は無理だ、とキンゼイが儀式終了の言葉を発しようとしたそのとき、目の前に誰かの掌が現れた。

「校長! 大丈夫ですから少々お待ちを!」

それは紛れもなく転入生ロックの掌であったが、現実空間のものではなかった。

その正体は、かれの自立システム上に立ち上がった掌の画像データ。

信じられないことだが、キンゼイ校長は転入生との接続が常時可能だったことをすっかり忘れていたのだ。

そして、その事実を意識した瞬間、解像度の荒いロック少年の姿が、かれの目の前に浮かび上がり現実の姿と重なり合った。

なんと、システム上の少年は生徒たちから陰湿ないじめを受けているのだった。

ロックは、新しいクラスメイトたちから浴びせられる大量の文字情報を、その偽りの身体で受け止めていたのだ。いや、ぶつけられている、といった方が近いかもしれない。

これが生徒間だけでしか通用しないといわれている裏通信網か……キンゼイは視覚化された文字情報の流れに思わず見とれてしまう。

かなりきつい言葉もあれば、この状況を皮肉るような、たわいもないものもあるのだが、そんな中でもいちばん身にこたえそうな攻撃が、ただ一種類のひらがな文字を連続でぶつけるという、えげつない攻撃だった。

それはロックの身体をめがけ、心臓に流れ込む静脈血のように安定的で美しくぶつけられていた。

それにしても、こんな状況でまったく動じず平常を保っているとは……。キンゼイは正直驚きを隠せない。

当たり前だが、生徒たちは知らないのだ。転入生の自立システムが解放されていて、委員会や一部のスクール関係者にこの状況のすべてが筒抜けであることを……。もうこの通信網は一切使えなくなるというのに、無邪気なものだ……。

後ろの不良っぽいのやら、お調子者は文字をぶつけるような姑息な手段を取らない。一文字を連射してくるのは、得てして地味でおとなしそうな女子や真面目そうな男子。

それでも女子は、女性特有の優しさからなのか、当たっても比較的痛くない〈の〉の文字を選択してくれている。

それに引き換え、容赦ないのが例の最前列の天才と秀才。どさくさに紛れ、跳ねの部分が痛そうな〈れ〉の文字を顔面に浴びせてくる。

「……れれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれ……」

最初に教壇に立った時の第一印象からわかってた。この一見無害そうなメガネふたりが一番厄介に違いないと……。これは転校を繰り返してきたロックが、経験的に学び取ったことだ。

「顔と名前を覚えたいので、みなさんも是非、自己紹介をお願いします」

ロックは最前列の天才と秀才を睨みつけながら穏やかにいった。

「名前と、そうですね……恋人はいるか、童貞か処女かも教えてもらいましょうか」

そういうと、ロックは左最前列の五分刈り男子を指さした。

「では、そちらの席から」

場の空気が凍りつく。ひとりの女子が思わず漏らした場違いな高笑いが、静けさの中で鳴り響き、すぐにフェードアウトした。

さすがにこれは限界だ……キンゼイ校長がロックに向けて一歩踏み出した途端、今度は巨大すぎる掌が現れる。

大仏級に巨大化した千手観音の掌が、キンゼイの前で1列に並ぶと螺旋状に回転し始めた。

「博士! いや、校長! これは〈いじめ防止対策〉の一環です。ぼくが不登校になったら困るのはあなたでしょう?」

くぐもったロックの音声情報が直接脳内に飛び込んできた。キンゼイは身動きが取れなくなる。

立ち上がった〈五分刈り〉は後頭部をしきりにかきながらニヤニヤしているだけ。クラスメイトたちは大騒ぎで、かれをひやかし、はやし立てる。いずれ自分の番が回ってくるというのに……こいつらは馬鹿なのか?

「えーとぉ……ナマエ……ナマエ?……ナマエって何だっけ? コ……コ・イ・ビ・ト?」

あまりの騒々しさで五分刈りの声はかき消されてしまう。

結局何をいったのかわからないまま、かれは着席すると後ろの席の女子をチラッと見る。

次の番であるはずの女子は、机に突っ伏し、顔を上げようとしない。彼女は、まっすぐに伸ばした両腕の間に顔を埋め、両手は指が真っ白になるほどの力で机の天板を掴んでいた。そして、鼻をすすり小刻みに背中を震わせている。

「あーあっ、どうすんだよ、これ!」とひとりの男子が叫ぶ。

クラスは急に静まりかえる。

天才「泣いてるね」

秀才「うん、泣いてる」

天才「可愛いね」

秀才「うん、可愛い」

天才「もう少し顔が可愛かったら、好きになっちゃうかもね」

秀才「なっちゃう、なっちゃう、もう少し顔が可愛かったら……」

結局イベントはここで終了。ロックが無理やり終わらせたのだ。

もちろん、当の転入生は上機嫌。こいつにちょっかいを出すと面倒くさいことになるぞ、と思わせることが本当の目的であるのだし、誰に恋人がいるだとか、ましてや童貞かどうかなど、まったくもって興味がないのだから。

それに、下世話な話題に興奮して、常軌を逸した奇声を発したり、身をよじって笑い転げたりするクラスメイトたちのあの醜い所業は、昔の自分を見せられているようで、正直もうこりごりなのだ。

イベントも一段落して、案内されるがまま一番後ろの空席にロックが座ろうとすると、前の席の体格の良い筋肉の塊のような男子が握手を求めてきた。

笑顔で応じるロック。グッと力強く親指を立てる筋肉男子は、針金のような短髪で、頼りがいのある見事なもみあげをしていた。白い筋肉質の身体に黒いタンクトップが映え、そのタンクトップの細い胸元には〈365〉と書かれていた。

「席を変わろう。ぼくは座高が高いうえに姿勢もいいから、後ろに座った人はブラックボードが見えなくなってしまうんだ」

「ありがとう」今度はロックが右手を差し出す。

「そんな格好で寒くないの? いやあ、すごい筋肉! 何かやってるの?」

転入生の質問に嬉しそうな表情を浮かべるタンクトップ365。が、かれが口を開こうとした瞬間、ロックの手がそれを静止する。

「ごめん、答えないで! やっぱり質問は取り消すよ。君が質問してほしそうに見えたから、つい……本当は興味ないんだ、きみに」

タンクトップ365は、涼しい顔で前の席に座るロックを驚いた表情で見つめた。そして、後ろの席につくと腕組みをしながらも、ずっとそのアホ面を維持しつつ、ロックの後頭部を眺め続けた。

ああいう生真面目なマッチョタイプはクラスで浮いていることが多いんだ、というのがロックの見解。

体力では勝てないとわかっているので、不良グループも手を出さないし、女子も話が面白くないといって相手にしない。

そこへ孤高の転入生が現れたというわけだ。やっと自分にふさわしい話し相手ができるかもしれないと、大胸筋をピクピクさせる。

だが、待ってくれ。ぼくはどんな派閥にも属しないし、友人を作る気もない。自立システムは解放しているが、心はしっかりと閉ざしたまま、このスクールライフを送るつもりなのだ。

1限目に若干食い込んでしまったホームルームも終わり、担任による軽い挨拶を挟んで、最初の授業は滞りなく終わった。

だが、あれほど、〈ぼくにかかわらないでオーラ〉を発しても、休憩時間にはちゃんと女子3人組が質問攻めのためにロックの元にやって来るのだった。

恥ずかしいけれど、はち切れそうな好奇心には抗えず、でもやっぱり恥ずかしい……結果的にほどよい興奮状態の娘たち。

真ん中の女子が、両脇の女子に小突かれながら質問を浴びせる。

転出先のスクールのこと、どこに住んでいるのか、そういえば最近、高台の中古住宅がリホームされたみたいだけれど、もしかして……などなど。

ロックが質問に答えるたび、彼女たちは顔を見合わせ、キツツキのようにうなずき合った。

そんな状況に飽き飽きしながらも、真ん中の女子を何気なく観察すると、ロックは意外なことに気づいた。

彼女の両足だけが床から離れ、宙に浮いているのだった。

3人ともが同じくらいの背丈だと思い込んでいたが、実際は背の低い女子を持ち上げた状態で維持できるよう、両隣のふたりが肩でガッチリ挟み込んでいたのだ。

「えーと、これはどういうこと? キミはリーダーなの? それとも、いじめられてるの?」と空中に浮かぶ女子の足元を指さすロック。

3人は驚いた表情で互いに顔を見合わせた。みるみる顔が赤くなっていき、しまいには奇声を発しながら走って教室を出ていってしまった。もちろん、真ん中の女子を挟んだままで……。

遠のいていく奇声が廊下から聞こえてくる。

「トイレに行ったんだよ」タンクトップ365が教えてくれる。

1週間もすれば、自分に対するクラスメイトたちの興味も、嘘のようにきれいさっぱりなくなることをロックは知っている。いつもそうだったのだから。そう願いたいものだ。いや、そうでなければ困るのだ。



しかし、どうだろう……この日の昼休みに起きたことに比べたら、今までの転入初日午前中のくだりは正直どうでもよいレベル。申しわけないが、全てきれいさっぱり忘れてほしいほどなのだ。

それは、ほどよい喧騒に包まれた昼休みの教室でのこと。制服を着た女子が突然教室に入ってきた。

そして彼女がロックの前で立ち止まると、教室は一瞬静まりかえった。

ロックはゆっくりと席を立った。

「ロック君ですよね。わたし、イランイランといいます」

彼女の身長はロックと同じくらい、女子の中では比較的高いほうだった。

少女は、かれが今までに見たことのないレベルの美しい容姿をしていた。

球体関節人形の頭部を思わせる小さな顔は、トゥールムーシュでさえ再現できないほどの繊細な美しさに満ち溢れていて、長いストレートの黒髪は腰までとどき、信じられないような光沢を帯びていた。

そして、そのほっそりとした美しい身体は、肢体のバランスが整いすぎていて、吐き気をもよおすほど。やはり、限度を超えた〈美〉は人を威嚇し追い詰めるものなのか……。

だが、ロックはそれをおくびにも出さない。

「もしかして、君も転入生?」と、少女の制服を指さすロック。

少女は一瞬自分の制服に目を落とすと、微笑みながら首を横に振った。

「今日、一緒に下校してほしいんです。お願いしたいことがあるので……」

イランイランと名乗った少女は、そういうと丁寧に頭を下げ、急いで教室を出ていってしまった。それは、この後に何か大事な予定が入っているような、差し迫った感じだった。

これには、さすがのロックも呆気にとられてしまった。

喧噪のよみがえった教室で、ロックはゆっくりと席に着いた。

あの信じられないような美少女はいったい何者なのだろう。お願いしたいことがある?

向こうから積極的に近づいてくる〈美女〉には気をつけろと、パパにいわれたことをふと思い出す。

いずれにせよ、自分にそんな暇はない。読書をする人間にとって、この一度きりの人生だけでは圧倒的に時間が足りないのだ。

一部始終を見ていた隣の席の女子が、恥ずかしそうにロックに話しかけてきた。

「ロック君、教科書まだ全部そろってないでしょ? ないときは私見せてあげるから……いってね……」

ロックは女子の顔をまじまじと見つめる。彼女の鼻の下には鼻の穴よりも大きなホクロが一つあった。

「ありがとう。優しいんだね、キミは」

女子はプイっと顔をそむける。耳までが真っ赤だ。

かれはショルダーバッグから1冊の本を取り出すと、薄笑いを浮かべながら読みはじめた。

教室内を満たす喧騒も、突然訪ねてきた美少女イランイランのことも、もうかれの意識からはみごとに消え去っているのだった。

つづく


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