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折り紙が結んだ縁(海外・現地校)


うちの長女はとても内向的で、
友達を作ることが得意ではない。
だいたいが受け身だ。

それでも幼稚園や小学校時代に
お友達に恵まれたのは、
彼女が積極的に動いたというよりも
周りの子が優しく声を掛けてくれて
それに応じてきただけに他ならない。
ただのラッキーガールだ。

そんなラッキーガールも、
4年生になり
言葉もわからない異国の地で
現地校に放り込まれると、
自分がこれまで
どれほど幸せな環境だったのかを
思い知らされることになる。

アメリカでは、周りの人が
「察する」ということはしてくれない。

自分から動いたり、発したりしていかないと
周囲に自分のことを理解してはもらえない。

ただでさえ内向的で、
自分から人にアプローチなど
したことがない彼女が、
言葉もわからない現地校で
どれだけさみしく、
孤独な時間を過ごしたかは
想像に難くない。

自分からは話し掛けない。
話し掛けられても上手く英語で
答えられない。
特に自分から誰かと
お友達になりたいとも思わない。
そんな風だったように思う。

最初の頃は、
お昼休みになると
だいたい校庭のベンチで
1人で過ごしていたらしい。

まるで「お守り」のように、
いつも長女の上着のポケットには
折り紙がぎっしり入っていた。

そしてどこへ出かけるにも、
折り紙を持っていないと不安だ、
とも言っていた。
それだけ多くのぼっち時間を
おり紙に助けられていたに違いない。

アメリカでは、
おり紙はとても貴重なもの。

当時は州内にダイソーなんて
なかったので、
車で1時間以上もかけて
小さな小さな日本の食料品店に
行かないと
折り紙は手に入らなかった。

しかもそのお店では
折り紙が1つ3ドル~5ドルもする。
いつも100円で買っていたことを思うと
なかなか手が出なかった。

長女は、日本から持ってきた
普通サイズの大きな折り紙を
4分の1サイズに切って、
ミニポーチにぎっしり詰めて
ポケットに忍ばせていた。

そのうちに彼女のおり紙のスキルは
どんどん上達していった。

気が付けば
折り紙はさらに小さく
16分の1サイズに切って
「くす玉」を
せっせと作ることに
没頭していった。

くす玉を作り上げるのには
時間がかかる。
パーツを12枚とか30枚も折って、
それからようやく組み立てる。
昼休みに1つでも仕上げるのは
大変だろう。

そんな風に、
孤独と戦っているというよりかは、
昼休みだけでは時間が足りない
くらいの作品を手がけることで、
だんだんと一人の時間を楽しむように
変化していったように見えた。


現地校に入って、
何か月経った頃だろう・・・。

「クラスの子から、
折り紙を折って欲しいって
言われるんだよね」
と、長女から聞くようになってきた。

ようやく、
ようやくここにきて
現地の子と交流できるように
なってきたのか・・・。

私は嬉しくなって
「それはよかったね、
どんどん折ってあげたら?」
と、答えていた。

そのうち、現地の子たちと
おり紙教室でも始まるのかと
思っていたら、
いつも座っていた
校庭のベンチは
折り紙作品の生産工場に
なってしまったらしい。

クラスメイトから
1人、また1人と
手裏剣や駒の注文を受けていたら、
だんだんと彼女の前に人が列になって
並ぶようになって
しまったのだという。

そのうち、
「30面のくす玉を
   全員に折ってあげるのは
        大変なんだよね・・・」
と言い出すようになった。

それはいささか大変だろう。
10人にあげるとなれば
10×30枚=300個もパーツを折らないと
いけない。

これは
どんなに大好きな折り紙でも
折ることが
苦痛になってしまう。

最初はクラスメイト達から
声を掛けてもらえるようになって
嬉しかったものが、
今度はどうやって断ろうかという試練と化した。

作り方を教えて、
みんなが自分で作れるようになることが
一番だけれど、
何せ、おり紙の文化がないので、
小さい頃から慣れ親しんでいる
日本人の様には
すぐに折れないのも事実。

教えようとしても、
折り紙を半分にきっちりと折ることも
ままならなかったりする。
この状態から「くす玉」までは
結構遠い道のりだ。

数日して、
「くす玉を欲しい子達にはどうした?
   結局作ってあげたの?」
と娘に聞くと、
なんとかその問題は
クリアしたのだという。

どうやって
この難局を切り抜けたのかを聞いたら、
「このくす玉一つ作るのにね、
このパーツを30個折らないと
できないんだよ
と言ったら諦めてくれた」そうだ。

よかった、理解のある子たちで。

そしてそれを
彼女のわずかなボキャブラリーと
身振り手振りで、
一生懸命説明できたんだな、
と思うと嬉しかった。

それからは1人、また1人と
仲のいいお友達ができるようになった。

こんな風に
内向的な子が、
アメリカで
お友達を作る最大のきっかけに
なってくれたおり紙。

大学生になった娘のポッケには
今はもう おり紙は入っていない。

でもおり紙が
かつて「お守り」だったことは
忘れていないようで、
今でも100円ショップの
折り紙コーナーで
たまに立ち止まっては
可愛いおり紙を眺めている。

買いはしないが、可愛いおり紙を
探してしまう癖が
いまだに直らないのだと思う。

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