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【開運酒場】古代人の墓参りのお清めに一献〜分倍河原・味楽街〜

 JR南武線と京王線が逆卍に交差する、その中心地点に「分倍河原」駅はある。近くには東京競馬場。だが、そこまで歩くには遠すぎて、ついぞ降りたことは無かった。しかし、先日たまたま仕事で初下車。駅から徒歩5分ほどのところにある「古墳」を取材しに行ったのだ。

 分倍河原──古くは「分倍(陪)」や「分配」の字があてられ、「ぶんばい」と呼ばれていたこともあるそうだ。近世以降は「分梅(ぶばい)」が用いられた。現在では、JR南武線・京王線の駅名は「分倍河原」、町名は「分梅町」が使われている。地名の由来は、この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために、口分田(くぶんでん)を倍の広さで給した土地であった、からというのが定説だ。

 分倍河原駅の南口にあるのは「新田義貞」の像だ。これは、鎌倉幕府滅亡の大きな契機となった「分倍河原合戦」で、鎌倉を目指す新田義貞をイメージして作られたものだという。江戸幕府の起こるはるか前の歴史に、ここ分倍河原は登場するのだ。

 実はもっと歴史が古い。律令時代には武蔵国の国府が置かれていた府中エリア。分倍河原駅の周辺にも30基近くの古墳が発見されており、それらはまとめて「高倉古墳群」と呼ばれている。それらは古墳時代後期の6世紀から7世紀はじめ頃を中心に作られたそうだ。

 古代人の墓参り(?)は済んだ。墓参りといえばお清めだ。塩──いや酒だろう。帰り際、駅の改札に向かって右側、京王線沿いに古びた飲食店街を見つけた。看板には「味楽街」とある。アジラクガイ? いや、ミラクガイか。なんだかミラクルっぽくて響きがいい。古びた2階建ての長屋ビルで、1階に大衆酒場やスナックが7~8軒並んでいる。何とも怪しい雰囲気に誘われ、足を踏み入れた。

 まずは赤ちょうちんが一際目立つ大衆酒場「扇家」の暖簾をくぐろうとした。しかし満席。まだ宵の口だというのに大人気。たぶん有名店なのだろう。仕方なく3軒隣の「大衆酒場 花○(はなまる)」へ向かった。

 「花○」は半分くらい席が空いていた。入口で靴を脱いで上がるスタイル。大カウンターは掘りごたつ式だ。場末の飲み屋でこんなお座敷割烹みたいなのはお初だが、妙に落ち着くのは、日本人が靴を脱ぐと自然と緊張が解ける人種だからか(冬場はブーツの群れた匂いが気になりそうだが……)。自然と隣の客とも会話がはずむ。「ここはおでんが名物。他では食べられないよ」。頼んでみると確かにうまい。アゴとスジで出汁をとっているという。秋口の寒い夜、身も心も温まった。

 花○を出て先ほど満席だった扇家へ。リベンジ成功、カウンターへ通された。しかし今度はすきすぎて、話し相手になる客もいない。厨房とも仕切りで塞がれ、奪交渉。ここは団体か仲間同士かで来るのが正解な店なのだろう。または独り酒派か。たまにはそういうのもいい。酎ハイがサイダーのように甘いのは好みに合わなかったが、もつ焼きは通常の1・5倍でお得感アリ。煮込みもマル腸の脂たっぷりで食べ応え十分だった。

 会計を済ませ、共同トイレで用を足して帰ろうとしたら、目の前に「アジアンキッチン」なる立ち飲み屋を見つけた。ふとエスニックな店主と目が合った。「いらっしゃーい!」──そう言われたら無視できない。「一杯だけよ」と入店。つまみケバブをハイボールでやりながら聞けば、今年の10月1日にオープンしたばかりだという。調布などにも数店舗経営するやり手の店主はバングラディッシュ人だった。

 「日本に来て14年ね。保育園に上がったばかりの子どもが可愛くて」と目を細める。そうした親心は万国共通らしい──なんて柄にもないことを思ったのは、もう冬が近いからだろうか。

 ふと、10歳と4歳の娘の顔が浮かんだ。もう寝ただろうが、今日はこれで切り上げて、早く家に帰ろう。

※日刊ゲンダイで連載中の「東京ディープ酒場」で掲載された記事を筆者自ら大幅に改訂しました。

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