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vol.008 やまいとぅ工房

昨年から、縁あって与那国島へ何度も通っている。八重山に移住して二十年近く暮らしているけれど、与那国島を訪れたのは昨年の春が初めてだった。

与那国島は、日本の最西端に位置していて、晴れて空気が澄んでいる日は、濃い藍色の海の向こうに台湾が見えることもある。石垣島からは飛行機で約30分、フェリーで約4時間の孤島だ。

私が暮らす竹富町は石垣島からも近く、西表島、黒島、鳩間島や小浜島などの有人島9つから形成される町で、それぞれの島には異なる文化や歴史はあるけれど、個人的な感覚としては、竹富町民同士、同じ町のご近所さんというようなところがある。そんな雰囲気とは異なり与那国町は、石垣島からも遠く、与那国島で一つの町であり、そのことから「独立していて強い島」という個人的な印象を抱いている。

人口は約1,700人、島の面積は小さいけれど、200m級の山があったり、波に浸食された断崖絶壁があったりと、起伏が激しい。そしてそんな風景の中に与那国馬が約130頭ほど放牧されている。

「しきた盆」という歌の中で、平らな島とも歌われている竹富島とは真逆のような島だが、何度も訪れている内に、すっかり与那国島のファンになってしまった。

雄大な自然に囲まれた与那国島を撮影の仕事などで駆け巡った。風が強かったり、ハラハラするような難しい現場での撮影で疲れてしまうときもある。そんな時、ホッと一息つきたくなると寄らせてもらう場所がある。石栗周坪さん、千尋さん夫妻が営む小さな民具作りの工房、『やまいとぅ工房』だ。与那国町役場などのある祖納集落に位置するこの工房には看板も目印もない。

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泊まっていた民宿のおかみさんから場所を聞き、初めて工房にお邪魔したのは、昨年の春に仕事で島に1週間ほど滞在していた時で、同伴していた友人と一緒に、千尋さんとのおしゃべりを楽しんだ。 

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その後も与那国島を訪れる度に工房へ顔を出している。優しそうな周坪さんが仕事の手を休め、お茶を淹れてくれたり、手づくりのお茶受けを出してくれたりする中、飼い猫のペロを膝にのせながら、淡々と『やまいとぅ』(とうつるもどき、八重山に自生している蔓)の処理をしたり、カゴを編んだりしている千尋さんの姿は、眺めていると心が落ち着き、時間の経過をすっかり忘れてしまう。 

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私は物作りをする職人さんの道具を見せてもらうのが好きだ。そこには個性が表れたり、こだわりが見えたりして面白い。千尋さんが使っている小刀の持ち手と鞘の部分にそんなこだわりが見えて最初に工房へお邪魔した日にそれを撮影させてもらった。

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今年最初にお邪魔したときに、不注意から事故や怪我に見舞われていた話をしたら、小さなクバ傘の魔除けをお勧めしてくれた。 私はそれを大事に持ち帰り、車のミラーに吊るした。 

小さなクバ傘が、車の中でゆらりゆらりと揺れるとき、与那国島を思い出す。東崎の強風や、六畳浜へ降りる断崖絶壁や、自由に草を食んでいる与那国馬や、個性豊かな島人たちや、そして小さな看板もない工房『やまいとぅ工房』が、私の記憶の蓋を開け、凛とした風を吹き込んでくる。

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ーミニクバ傘のことー
「小さなクバ傘についているクロスは与那国島の方言で「アディマ」と言って、魔物(マジムン)が家に入ってこないように軒下に吊るして魔除けとして使われる風習がありました。材料の木自体も方言で「ダシカ」と言って神聖な木として知られています。もう一つのR状の形のものは方言で「ツッツァ」、沖縄方言では「サン」と言って、人のうちに食べ物を持って行ったりする時に魔物が寄ってこないように付ける魔除けです。クバは神聖な木とされ神さまが降臨する木と言われていることから御嶽や拝所に多く見られる木でもあります」(石栗千尋さん解説)

やまいとぅ工房




【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。


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