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vol.022 ドゥナン日記1

春休みは、娘と一緒に2泊3日で与那国(ドゥナン)島へ行ってきた。娘にとっては初めて、そして私にとっては約一年ぶりの与那国島だった。

与那国島は、日本の最西端に位置する島で、石垣島からは飛行機で約30分。フェリーよなくにが週に2便就航していてそちらは約4時間かかる。

数年前から度々訪れるようになった与那国島、島に降り立つ回数を増すごとに島の波動みたいなものを少しずつ感じる余裕が生まれてきた。私が暮らしてる竹富島とは全くと言って良いほど違う。 

与那国島に降り立ち、最初に向かったのは久部良集落にあるナーマ浜。春の太陽が白砂の浜を照らしていた。車から飛び降りると浜へと走り出した娘、一通り浜辺を行ったり来たりした後は、泳ぎたいと言い出すかな? と思いきや、「お母さん。お腹すいた〜、お昼ご飯食べに行こう!」と車へと歩きはじめた。駐車場を離れる前に浜の方を振り返ると、少し歳の離れたカップルが波打ち際に佇み、風が女性の柔らかな生地のワンピースをふわりと膨らませていた。

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この日のお昼は、与那国織をしているMさんと来月カナダへと語学留学する娘さんのMちゃんと、大好きな「モイストロールカフェ」で待ち合わせをしていた。少し先に到着した私たちは、オーナーのTさんに「お久しぶりです、お元気でしたか?」などと声をかけた。 

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Tさんは、「コロナをきっかけに始めたことがあるんですよ。お店の奥の方の階段上がって見てきてください!」と寝室の向うの階段の方を指差した。私と娘でその手づくりの木造の階段を上がっていくとそこには小さな苗が天窓の光をいっぱいに浴びて並んでいた。

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Tさんに「苗見てきましたよ!」と言うと、「与那国島にはホームセンターもなく、石垣島なら買える野菜の苗を種から育ててみたら、そこに楽しさがあることに気づいたんです。野菜の苗を作ることは専門職もあるくらい難しいことで、もし僕が作って島の中で流通させる存在になれば、誰かが家庭菜園を始める手助けになれると思ったんです」と仕事の手を止めることなく子供みたいに嬉しそうに話してくれた。 

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しばらくするとMさんたちが到着した。カナダへと旅立ってしまう前にMちゃんに再会することができて嬉しかった。久しぶりに再会したMちゃんは以前よりずっと逞しくなっていた。小さな頃から与那国馬と育ったMちゃんは、一昨年滋賀県で初めてやぶさめを体験した。その時に弓も面白いと思い、昨年はMさんの実家に滞在しながら弓道場へ通っていた。 

注文した料理が運ばれて来るまでの間、弓道の道場で撮影された動画などをスマートフォンで見せてくれた。Mちゃんの弓を引く所作が美しく、最後にビュンと弓を射る弓音が響いた。口数の少ないMちゃんだけれど、動画を見せてくれた時はちょっと誇らしげに見えた。

この日のランチには、Tさん特製のカジキのカルパッチョのせパスタとカジキのスパイシーなピザをいただいた。与那国島の新鮮なカジキを活かしたお料理に舌鼓を打ち、お店の名前にもなっている絶品のロールケーキとコーヒーをいただいた。

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ランチの後は、Mちゃんは手伝っていた馬の牧場へと戻り、Mさんは一度家で一休みしたら私たちを午後から案内してくれることになり、お店の前で一旦別れた。

私たちは宿のある祖納集落へと戻り、宿の近くにある「やまいとぅ工房」へと向かった。

娘は、以前工房にいた猫のペロちゃんに会いたかったらしいが、元野良のペロちゃんは、少し前に放浪の旅へと出かけてしまっていた。「やまいとぅ工房」は、いつ訪れてもホッとできる空気感をまとった工房で、心が落ち着く。窓辺には、森や原っぱで採ってきたという種のコレクションが海辺に流れ着いたガラスの瓶に入れられて並んでいた。娘はしきりに猫のこと、海辺に漂着する面白い物のこと、民具のことなどを質問していた。

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しばらくすると、Mさんが祖納の集落に私たちを迎えにきてくれた。この日は、断崖絶壁を降りていく6畳浜と与那国馬と牛が放牧されている北牧場を案内してくれた。

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東シナ海が視界一面に広がる断崖絶壁の手前では、少し腰の引けている娘の隣に、与那国島の風を自然にまとって立つMさんの姿があった。Mさんの存在は、島の波動とシンクロしているように見えた。それは、呼吸とか、鼓動とかそういうもの全部が同じリズムで奏でられているみたいな、全てがうまく重なりあって調和しているみたいな、そんな感じだった。

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遠くの方では、雲の合間から太陽が水面をそっと撫でていた。

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【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。


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