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今日のス 熱を出してもスンナリと受けとめるカラダ

私は77歳の夫が
熱を出した時に

熱が出ることを
良くないこととは
思いません。

弱らない程度に
下げていけそうな気配でしたら

ああ、熱が出せる状態で
良かったとさえ思います。

熱をだす
咳をだす

どちらも
辛い症状ですが

カラダのクリーニングですから。

私の娘にも
娘が子供の頃
解熱剤を
使ったことは
ありません。

熱をだすことの
大切さを
感覚的に
もったきっかけは
弟の存在です。

小さな頃から
弟は
頻繁に熱をだす子供でした。

母は
弟が何かあるたびに
病院に連れていきました。
解熱剤や点滴を
頻繁に打つたびに

また
弱くなる。

その繰り返しでした。

子供が苦しそうな時に
じっと耐えて
親として
こどもを看病することのできない
母親でした。
病院に連れて行くことで
治療やケアを
丸投げしてしまう。

大切な家族が熱や咳を出して

辛そうな様子を見守る辛抱も疲れるものかもしれませんが、そばにいるものが、耐えるのも回復させる要素の一つです。

耐えられないのは、母は弟を可哀想だからと言っていましたが、そのような気持ちになるのも、わからないではないのです。

けれど弟はすっかり弱い身体になりました。

おかしなもので、母親が余裕のある時に、体調を崩す〔親孝行〕のように、決まって熱を出したりするようになっていきました。

安心なんかさせないよと言っているかのように。

その不思議さが中医学の五行や、アユールヴェーダの考えで、頭をスッキリできました。

西洋医学が嫌いでもなく、素晴らしいと思うことも併せながら、それでも理解しがたいことが

人とカラダ、人と人には繋がる不思議なことが起きます。

食養生や、自宅でのケアに
私がこだわるのは

医療に丸投げすることが
遠回りであり
身体がつくれないと
思うからです。

成長が終わったら
身体が退化するのでは
ありません。

お腹が弱かった人が
50代に胃腸が丈夫になることも
あります。

嗅覚が
20代の時より40代に
強くなることもあります。

70代になっても
老いながら
つくっていけることがあるのが
カラダの不思議なんです。

熱をだしたら

咳をしたら


コロナのことから
生命の尊さという言葉のもとで

治療は薬がなければ
治らないかのような
錯覚にならないことを
願います。

全員
いつかは
死ぬのです。

自分を食べつかせる
自分を養生させる
智慧のある年の重ねかたを
高齢者自ら
責任を負わなければ

弱者に成り果てる年の重ねかたを
だれが
よろこびましょうや。


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