私の仕事の”やりがい”
こんばんは。今日もお疲れ様でした。
今日はこんなタイトルで書いてみたいと思います。
私は新卒で「人材会社」に入社。
入社した理由は、スーツを着て仕事したらかっこいいかな〜というなんとも適当な理由。あとは当時憧れていたバトントワリングの先輩が人材会社で働いていたことが決め手になった。
入社後は技術職の派遣をメインに扱う事業部へ配属されたものの、大学は文系出身で理系は昔から大の苦手。理系出身の子もいたのに、なんで私がエンジニアの派遣担当なのか?と疑問を抱えたまま、はや8年経過。
8年間本当に色々なことがあって、さまざまな人や企業様に出会ったけれど今日はその中でも”この仕事をやっていて、本当によかった!!”と実感した体験を、いつでも私が思い出せるようにここに書きます。
私は新卒入社して、最初の配属先は大阪。
転勤をしてる子もたくさんいたのに、私は実家から通えるというなんとも恵まれた環境。
しかし、年次が上がるにつれて、大阪で思うように成果が出せなくなり、自分にも自信が無くなり、いつしか成果が出ないのは周りの環境のせいにして、少しずつ腐り始めていた。
会社をやめるか迷っていたけど、自分の中で「このままでいいわけない!」という思いもあり、自ら異動したいと申し出をすることに。
「誰も私のことを知らない環境に行きたい」
「自分の修行になる場所がいい」
と当時の上司に無理難題を面談で1年間言い続けた結果、4年目にして異動が決まった。
私の新天地は つくば
「ん?つくばってどこだ?」となって、当時の異動面談で上司と共に地図を広げて場所を確認する始末。そんなこんなで2017年4月私はつくばで仕事を開始。
それからすぐの出来事だった。
今後のお話のためにあらかじめ注意事項として、エンジニアさんの派遣は通常の派遣とは少し雇用形態が異なる。
通常の皆さんが想像する事務職の派遣は『派遣契約期間』=『雇用契約期間』となるので、派遣契約が終了すると派遣会社との雇用契約も終了する仕組みになっている。
ただ、エンジニアさんの派遣は【常用型派遣】と言われる派遣契約が一般的で派遣会社の正社員として雇用して、派遣先の企業様でお仕事をいただく形になる。それゆえ『派遣契約期間』≠『雇用契約期間』となるケースが多い。
4月も最終日目前。
つくばに来て初めての目標達成できるかどうかの瀬戸際だった。
そんな中で私は1人のエンジニアさんに出会った。
Yさん、理系出身の機械系エンジニア。
元々はフィールドエンジニアなどで活躍されていた。年齢は30手前の男性。
うちの派遣会社で2年半ほど働いてもらっていたが、直近の派遣先企業さんと合わず、精神的な体調不良により休職に入っていた。3月中旬に復職してきたが、なかなか派遣先が決まっていなかった。もし4月末までに派遣先が決まらなければ退職する、という、まさに崖っぷち状態だった。
私はその方の情報を異動してきてから聞いており、Yさんはうちの会社から引き続き派遣契約で派遣先企業でお仕事することを強く望んでいることも知っていた。なんとかしたい!その想いだけで、つくばの企業様に電話をしまくって、派遣先企業として受け入れてもらえないか話をしていた。
たまたま4月末最終日、「仕事ありそうだし、1回顔合わせしてみようかな」と言ってくれた企業様が!
私はすぐにYさんに電話した。
私:「通勤2時間弱かかりますが、ご紹介できそうな企業さん見つかりました。今から面談きてもらえませんか?」
Yさん:「本当ですか!すぐ準備していきます」
夕方、Yさんと合流して企業様へご訪問してびっくり。それはYさんがすごくエネルギッシュで前向きな方だったから。
どこかで派遣先は決まらないのはYさんにも原因があると思い込んでいた私。自分はなんて思い違いをしていたんだ、と反省しているとYさんが思いがけないことを言ってきた。
「サリさんに今日面談行きましょう、って言ってもらえて本当に嬉しかったです。まだこの企業さんでお仕事できるかわからないけど、結果はどうあれ最後まで僕のこと見捨ててくれないでいてくれてありがとうございます。」
私はこの時初めてYさんがどんな思いで今日面談に来てくれたのか、をちゃんと理解したと同時に、絶対に今日面談に行った企業様でお仕事してもらいたい、と心から思い、契約いただけないかを企業様に交渉。
Yさんのお人柄の良さが滲み出ててたのでいいよ、と言ってもらえて、晴れて就業開始が決まり、Yさんにお電話するとYさんは泣いて喜んでくれて、私ももらい泣きしながら「一緒に頑張りましょう!」と言った。
企業様へ配属になった後も、通勤が遠いのに文句も言わず「仕事できているだけで幸せ、感謝です」しか口にしなかったYさん。
持ち前の真面目さと前向きさで新しい業務もどんどん吸収して、企業様からの評価もどんどん上昇。
派遣先でお仕事を初めて2年が経った頃、Yさんからお電話が。
「僕、今度結婚することになりまして」と。
「え〜〜おめでとうございます!」と言って喜んでいたら
「僕が今こうやって普通の人生を歩めているのは、サリさんがあの時、面談行きましょうって電話をくれたからです。僕はサリさんに出会ってなかったら、結婚することはおろか、エンジニアとして仕事もできてなかったと思います。本当にありがとうございます。」
と言ってくれた。
涙を堪えながら電話を切って、オフィスで泣いて、オフィスのみんなも喜んでくれたのは今も忘れられない出来事。
そこからまた1年半が経ったある日、私はYさんの部署の部長さんに「面談したいので時間が欲しい」と言われ、企業様に向かうことに。契約解除だったらどうしよう、と内心ドキドキしながら向かうと人事部長も同席…。
これは契約解除か…Yさんになんて言おう、などと考えていたら、部長さんが「Yさん、本当によく頑張ってくれているから、うちの社員として迎え入れたいんだ。」と。
その場で泣きそうになるのを我慢しながら、面談を後にして、Yさんと面談。Yさんにその事実を伝えると信じられない、といった顔をして
「実は奥さんに子供ができて、家も買おうと思ってたんです。こんなことってあります?!すごいタイミング…嬉しすぎて言葉にならないです。」と。
その夜、Yさんからメールが。
結婚報告をするときも同じことを言った気がしますが、僕はサリさんにあの日面談に行きましょう、と言ってもらってから人生が大きく変わりました。
あのときサリさんだけは最後まで諦めず、僕のために動いてくれて、その気持ちが何より嬉しかったし、感謝しか無かったので、サリさんに少しでも恩返しできればと思って今の会社で必死に働いてきました。
その結果、社員にならないかと声がけをいただいて。結婚もできて、子供も生まれてくる。みんなのいう普通の人生が送れているのは僕にとって、奇跡のようなことで、この上なく幸せなことです。
サリさんが僕の人生に深く関わってくれていることは間違いないし、3年半前のあの日、電話をくれたことはきっと一生忘れないと思います。
あの日、僕のために全力だったサリさんはとてもかっこよかったですし、これからもたくさんの人の人生をポジティブに変えていってくださいね。
本当にありがとうございました。
後残り少し、引き続きよろしくお願いします。
(原文まま)
このメールを読んで、3年半前のあの日を思い出したと同時に実感した。
私の仕事はこんなにも誰かの人生に深く関わって、影響を与えられるものなんだ、なんてやりがいの感じられる仕事なんだろう。
毎日毎日仕事が忙しいし、トラブルの方が多く起きるし
感謝されるより怒られたすることの方が多いし
会社に行けば、数字、数字、数字の毎日だけど
現場で人と向き合っている時にこういう瞬間がたまに、本当にたまに(1年に1回あるかないか)あるから、今の仕事はやめられない。
誰かのために、誰かが人生を前向きに歩いてくれるお手伝いができるから、私は未だに現職のまま、という話ですね。
今もこのメールは私のお守りとして、挫けそうな時ひっそり読んでいます。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
次こそはProject MINTの続きを書きます。
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