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【展覧会レポ】部屋のみる夢:ポーラ美術館

ポーラ美術館に「部屋のみる夢 ボナールからティルマンス、現代の作家まで」展を見に行きました。


初訪問、あこがれの美術館へ

小田原から電車を乗り継いで強羅駅まで。そこからさらに路線バスに乗ってようやくたどり着いた、緑滴る夏の森のなかのポーラ美術館。実はここは以前からあこがれの場所だった。

ものすごく暑い日だった

数年前に「フランス人がときめいた日本の美術館」という番組(同名の書籍が原案)がTV放映されていて、そのトップバッターとして紹介されていたのだった。
当時から県外に出かけての美術館めぐりを趣味としていたが、地方からなのでなかなか遠出はできず…鬱屈しているときには、TVで見れる美術番組が無聊をなぐさめてくれた。「日曜美術館」とか、「美の巨人」とか。その一つが上述の番組だった。
毎回違う美術館を取り上げ、毎回ちがう女性タレントや女優さん(でも毎回、透明感のあるヘルシーな感じの女性だった)が美術展を見て回るようすが放映される。特にこのポーラ美術館は、建物自体がとにかく明るく美しく、鑑賞している人もとりわけ美しく見えたのが印象深かった。自分もそうなりたいというわけではないけど、わたしもあの美しい空間に自ら立ってみたいという思いは、その番組を見たときに初めて抱いたと思う。

天井はガラス張り
ロッカーキーのタグすらおしゃれが天元突破

部屋のみる夢は何色か

訪問したのは掲題の展示の最終日だった。マティスから始まり、ベルト・モリゾ、ヴュイヤールなど、19世紀~20世紀の人気の室内画家たちの作品が並ぶ。

わたしの大好きなボナールも数点。

<地中海の庭>1917ー1918年
<浴槽、ブルーのハーモニー>1917年頃

「水浴する女性」の絵が大好き。それも、室内で一人あるいは少人数で静かに沐浴する絵。このテーマは古今東西問わず普遍的で、西洋画にも日本画にも洋画にもある。個人的に絵はがきも集めている。
この水浴の絵は、以前別の展覧会で見たような気がするが、やっぱり好き。
神話世界の女神でもお姫様でもなんでもない、ごくふつうの市井の女性が、日常生活の一部として入浴し、自分自身をケアしている光景にはなぜか心が安らぐ。大体は、質素なバスルームでだったり、公衆浴場だったり、簡素な部屋の真ん中に置いたタライの上がその舞台だ。
いやらしさは全然なくて、とても健康的な愛らしさとか、まじめさとか、そういうものを感じる。無心に、自分の素肌をこすっていたり、湯の中でゆらゆらしている自分の白い肌を(時にはちょっと誇らしげに)ぼんやり見つめたりする様子の絵もあったりして、すごくかわいいと思ってしまう。
この絵のモデルは画家の妻なんだけれど、お風呂が大好きというしずかちゃんみたいな嫁で、1日に何度も入浴していたらしい。そしてそんな奥様のことが終生大大大好きだったボナールの作品には、妻の入浴シーンを描いたものがたくさん残っている。
妻が幸せそうにしているところを描きたがる画家の旦那……すてきな二人だと感じる。

現代作家も2組出展していた。
いずれも初めて見る作家だけれど、作風に透明感があり、空間を和ませる。

この1部屋は、佐藤翠氏と守山友一朗氏の合作が並ぶ
<cosmos>2022年

屏風の表が水面で、裏にはコスモスが描かれていた。なんとなしに示唆的。
にしても、たぷたぷ波打つプールみたいな画面は、暑い夏には目に涼しかった…

高田安規子・政子<Open/closed>2023年

はじめましての作家さん。双子のユニットなのだそうだ。

黒い点々は鍵穴と差さった鍵。左から順に少しずつ小さく、位置が低くなっていく。鍵も鍵穴も、デザインが全部違っていて、好みのデザインを探すのが楽しかった。なお、鍵と鍵穴はアンティークものらしいが、必ずしもペアのものとは限らないとのこと。

だんだん右に向かって低くなっていく
一番好きな鍵と鍵穴。カバーが付いているところが、古色豊か。
<Inside-out/Outside-in>2023年

壁一面に小窓がついている作品。

一つ一つに点る明かり。外の景色も透けて見える。日が落ちるとアパートメントみたいに見えるのかな。窓枠もいろんなデザインがある。

ハマスホイが2点もあった。うち「陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地」(1899年)はポーラ美術館所蔵らしい。この絵を一番時間かけてじっくり見た気がする。

複製画が欲しいくらい好き

とにかく、いくら見ていても飽きない。なんだろう、ふしぎだなー。ハマスホイの絵にはとにかく身も世もなく惹かれるのだけど、なぜ自分がそうなってしまうのか、うまく説明できない。

一番近い感覚で表すと、「わたしもそこに行きたい」という感じか。
ハマスホイの作品世界には、およそ生活感というものが希薄だけれど、画面の中に静かに佇んでいる人物は生命感がないわけではなく、落ち着いているけれども血の通った感じがある。そのためか、冷たい無機質な感じというよりは、ひそやかな呼吸音だけがする穏やかな空間が作中に展開しているように感じるのかもしれない。

今回初めて見る作家は他にも。
ヴォルフガング・ティルマンス、ドイツの写真家。この人の展覧会は確か数年前に都内で個展もやっていたはず。

<スカイブルー>2005年

「見上げる」という行為は日常的なものだけど、こうして作品を通してあらためて考えてみると、なかなか特別な行為のような気がしてくる。
見上げるというのは、自分よりも高い場所にある視点を意識する行為。自分や他人といった平行的な関係にとどまらない意識の現れ。メタ的に自分を自分で(再帰的に)眺めるということにもつながるかも。
「見上げる」ことを求める作品で思い付くのは、レアンドロ・エルリッヒ、ジェームズ・タレルとか。

<14番街>1995年

https://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/magazine/articles/wolfgang-tillmans-espace-louis-vuitton-tokyo

ティルマンス作品、とても抑制された画面構成が、見ていてとても気持ちがいい。なのに、けしてうるさくない。色と構図がピタリと決まっていて、特に多くのものが映っているわけでもないのに、いつまでも眺めていたくなる。でも、眺めたからといって、何か大きな感動が呼び起こされるわけではない。
ただただ静かで、穏やかで、ほどよく緊張感があるけれど、ちょうどいい親密さを湛えている。
ある特定の部屋のために誂えた家具のように、空間にしっくりと存在できる感じがした。
それにしても、ハマスホイといいティルマンスといい、「静かで抑制された、穏やかな作中世界」というものにわたしはやっぱりとても弱いらしい。。

屋外展示もすばらしかった

円形の建物の周りを囲むようにして遊歩道が設置され、それに沿って屋外作品も展示されているので、鑑賞者は外に出てさわやかな林の散歩を楽しみながら鑑賞もできる。
(自然のただなかなので、夏はどうしても虫が多いが……。虫よけ必須)

ロニ・ホーンの「鳥葬《箱根》」(2017-2018)がすごくきれいだった。

たまたま日が傾いてきたところで、ガラスの円柱の天面のくぼみの(おそらくは自然にたまった)水面に、西日が絶妙な角度で差しかかり、キラッキラッとナイフのようにきらめいた。
森の中で突如、誰にも知られない小さな池に出会ったみたいだった。
(鈴木理策の写真作品「水鏡」を思い出した。それくらい幻想的で、ハッとするような瞬間だった)

名残を惜しみつつ下山

結局この日はポーラ美術館に半日いてしまった。ショップが充実していたり小さな個人展示スペースがあったりと見どころ盛りだくさんだというのもあるが、単純に居心地が良すぎた。
いつもの遠征では時間的制約があるため、あわただしく鑑賞し、すぐ次の場所へ移動し…を繰り返しているため、今回のように「思う存分ひと所でゆっくり見て回れる経験」は何にも代えがたい思い出になったと思う。
次来た時には展覧会コラボメニューも食べてみたいな、とか、いつの季節がいいかな、とか、楽しい想像を膨らませつつ、傾き始めたオレンジ色の日に照らされつつある美術館をあとに残し、強羅駅へ戻るバスに乗り込んだ。

おまけ(イチオシのグッズ)

ポーラ美術館オリジナルサコッシュ(¥2,400くらい)

くろねこは付きません

財布とスマホとメモ帳、ペンくらいは余裕で入るわりに、本体は軽量。ポーラ美術館の名前が刺繍してある。かわいい。ベルト部分は黒いリボンみたいになっていて、軽くサッとかけて使えるし、長さはもちろん調整可能。
バッグの中に忍ばせておいてもかさばらない。カラーは他に黒と白があった(刺繍は布地と同色。おしゃれ)。
めちゃくちゃおすすめです!!