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【展覧会レポ】兵馬俑と古代中国展:上野の森美術館

上野の森美術館に「兵馬俑と古代中国」展を見に行きました。

圧倒的大河ドラマ感

会期末だったので外に行列ができていることはなかったですが、例によってソーシャルディスタンス度外視な無茶な集客をしがちな上野の森美術館なので、入場早々に会場内は激しい混雑でした。たしかに土曜日の昼過ぎで混みがちな時間帯ではありましたが。
見ていると一番混雑しやすい最初の展示室内のあちこちに、動線を阻害するように独立したガラスケースを置いているので、人の流れが乱流のようになってしまっていました。
フェルメールの時といい怖い絵展の時といいこの美術館は動線をわりと無視した展示の仕方をするなあという悪い印象しかないので(失礼)、やっぱり今回もそうかあという気持ちになりました…🙄

書き始めて早々美術館の悪口を書いてしまいましたが、展示は点数も多く見ごたえがありました。
ただし、「兵馬俑と」なんて書いてあるので、前テレビで見たような「兵馬俑がびっしり整列している」壮大なようすを見れるかと勝手に思ってたのですが、兵馬俑は5体くらいしか来ていませんでした。3分の2は青銅器です。
とにかく青銅器。
矛や剣などの武器や、墓の副葬品、祭祀用の器などが所狭しと並んでいました。
入場してから延々と青銅器だったので、兵馬俑まだなの…(←ミーハー)とか思いつつ、青銅器っていままでまとまった量をちゃんと見たことがなかったので、これはこれで結構勉強になりました。

青銅器が中国で盛んに作られていたのは古代で、日本ではまだ縄文土器やなんかを作っていた頃かと思われますが、青銅器で印象的だったのは器の表面をびっしりと文様で覆いつくしていたこと。
以前に縄文時代の展示を東博で見たとき、いろんな地域いろんな時代の縄文土器が展示されていました。同じような場所で出土した同じような火焔式土器でも、細かいところを見ると微妙に突起の形やウネウネ模様の形が違ったりと、個体差(作った人の個人差?)があるんだなあということをあの時学びました。
縄文時代には当然ながらカメラや写真はなく、紙に書いた図像ですらなく、おそらく手びねりの土器の設計図は口伝だったのでしょう。先輩から教わって同じようなものを作るうちに、ささいな差違が生まれたり、文様がより抽象的な形に洗練されていく。

青銅器の文様というと雷紋や饕餮紋などが有名だけど、あれも何かのモチーフを繰り返し繰り返し描き継いでいった結果、高度に抽象化されたのかもしれないなと思ったりしました。

そもそも、器にびっしりと文様を書き込んでいくという土器のスタイル自体が、青銅器からもたらされたものだったりして。
(縄文時代に大陸との交流はなかったでしょうから、おそらく違うでしょうけど)

また、動物の描写がすごくリアルでした!

首回りの微妙な筋肉の隆起に感動

実際に馬や犬などの動物を飼育・使役していた文明だからこそ、あれほど写実的な造形が可能だったのかなと思いました。
(古墳の副葬品にも馬がありますが、全然写実的じゃない、、
文化の差なのかもしれませんが)

馬との緊密な関係を示す副葬品
居並ぶ馬体は迫力があった!というか自立する四足動物の像っていう時点ですごくないか。

後半はようやく兵馬俑本体を拝めます。

足部分は、像を独立させるためか、異様に偏平足。

ぜんぶで5体いたんですが、本当にみんな一人ひとり顔が違った!

みんな顔が違って、特に美男ぞろいというわけでもないのが妙にリアル
上司にいそうな顔

これだけ大量の像なので、きっと沢山の人が製作にかかわったのでしょう。顔のパーツを作る人が、一緒に働くいろんな仲間をモデルにして顔部分の造形をしてたのかなあ、なんて想像が働きました。
将軍クラスならともかく、一兵卒ですらこんなに個性があるんですもの… 始皇帝はほんとうに地下の墓所に現実の世界をそっくりそのまま連れて行きたかったに違いありません。不老不死の薬を求めていたとも聞くし、現世にすごく執着があったのかもしれません。

座り姿の像の後ろ姿。

重心のかけ方、背骨の流れが自然。ルネサンスもかくや。
あとサンダルの裏まで作りこみがあって芸が細かい。

平面表現ではなかなかお目にかかれない、髷の立体表現。

おすもうさんのように後頭部を膨らませて梳きあげている髪の流れが、くっきり線刻されています。
結い上げた感じが観音様の髻(もとどり)の表現にもちょっと似ている。

◆◆◆

最後にはレプリカではありますが、わたしの期待した「ずらっと整列した兵馬俑のようす」が再現されていました。
ここだけでも本物っぽいのが見れてよかった!
どの像もすごくリアルで見ごたえはあったけど、やっぱり並んでほしかった笑