過去の話を語る人は面白くない。
私は常に、
「今」何してるか、を重視して生きてるタイプだ。
最近何してるの?
って聞かれたときに
以前聞かれたときと
必ず違う回答ができるように心がけている。
そうでなければ
自分は成長していないし、自分の殻も破れていない。
いわゆる「リフレーミング」をし続けることが重要だと考えている。
自分でも理由は定かではないが、
自分を成長させるのに必要なものは
それだ、ということを勝手に決めつけているし
この「リフレーム」をすればするほど
面白い人間になれるのでは?と考えている。
※リフレームの正しい意味を知らないので、誰か教えてください。
それを達成したら何があるとか、そういうことは考えない。
自分にとってそれが楽しいか否か
それ以上の判断基準はない。
我々は小さい頃から学歴社会で生きてきた。
テストの点数が高いと良い。
難しい高校に、大学に、入ることが良いとされて来た。
でも、その中にある
あ!なるほど!そういうことか!
やった!100点取れた!
合格したぞ!
そういうものに存在する「本質」
そこに本当の価値があることに気づける人間は少ない。
「感情が動く」
すなわち、それは今まで体験してこなかったことを行い
自分自身が「成長した」ということだ
と思っている。
もしかしたら、本当はそういう学歴社会という枠を
テストという枠を
大学に行くのが正しい
というレールをぶっ壊すことが最も良いと思うが
なかなかそれも難しいと思うの
枠の中で
その枠を捉え、壊す、超える
それを繰り返しても良いのではないかと私は思う。
(私は「私」ですら全てを壊したいタイプです。)
ここで、タイトルに戻ろう。
「過去の話を語るのは面白くない」
ということはそういうことだ。
過去の話を語るしかないほどに
「今」やっていることが少ないし
「これから」やりたいことがない
ということである。
夢はなくても、「今」
自分がやるべきこと
全力で取り組むこと
たのしいこと…etc
そういうことはたくさんあるはずだ。
その中できっと、自分のより興味を引くものが
現れ、それがやりたいことになる。
そんな、やりたいことを見つけるためには
自分を踏み台にして、自分を超えることしか
ないのでは、と「今」は考える。
追記だが
私はその自分の殻を破る方法はなんでも良いと思っていて
ただ単にいつもと違うことをやってみればいいのでは、と考えている。
例えば、いつも髪の毛を右に分けているが
今日は左に分けよう。
必ず朝はコーヒーを飲むが、今日は紅茶を飲もう。
いつもより一本遅い電車に乗って
全力で走ってみる。
どんなこと簡単なことでも良い。
今まで「やったことのない」ことに挑戦すれば
いずれ辿り着くのではないか。と
何に辿り着くかはあなた次第。
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