リモートワークが生み出す「寂しさ」や「不安」の正体を考える
新型コロナウイルスの影響で、弊社も2月末からリモートワークに切り替わりました。理由もわからない寂しさや不安がありましたが、リモートワーク開始から2週間が経ち、なんとなく「寂しさ」や「不安」の正体が分かってきたので、シェアしようと思います。
なんとも言えない「寂しさ」は、多様性を失った「味気なさ」
リモートワークが始まり、女子(31歳だけど)である私は、とにかく楽になりました。
まず、しっかりお化粧をしなくて良い、お仕事をしながら洗濯や炊飯などの家事もできる。そして何より通勤時間分の読書時間が増えました。
最高かよ。はじめはそう思っていました。
しかし、1週間もすると、言い得ぬ寂しさが襲ってきました。
この寂しさは、たぶん「味気なさ」・・・。
仕事で行き詰まった時、眉毛をへの字にしていると、メンバーの誰かが「何その顔、どうしたの?」と声をかけてくれて、ヒントをくれることがある。
ヒントはくれなくても「まぁ、コーヒーでもどうよ」とコーヒーを淹れてくれる人もいる。
私の行き詰まりに対して、メンバーがそれぞれ彼等らしい解決策を示してくれます。そのどれかが自分にハマって、一気に道が拓けたりするのです。
しかし、リモートワークをしていると、この行き詰まりを自分で解決しなければなりません。もちろん幾つかの解決策を持ってはいますが、自分では思いつかない解決策に触れることはできません。
そして、何気ない発見や気づきの少ない毎日は「味気ない」のです。
なんとも言えない「不安」は、評価に偏ったコミュニケーション
リモートワークになると、チャットでのコミュニケーションがメインになります。そこで共有されること・・・。
それは、制作した企画書や資料、更新された提案書やマニュアル、伝達事項等々。リモートワークになったからと言って、チャットの使い方が普段と大きく変わるわけではありません。
すると、それらのアウトプットに対するフィードバックがチャットでなされます。すると、そこに生まれるのはアウトプットに対する評価のコミュニケーション。
「これは素晴らしい企画だね」というGOOD
「もっとこうするといいよ!」というMORE
GOODにせよ、MOREにせよ、「評価」であることに変わりはありません。
それが続くと、メンバーとの関係=「評価し、評価されるだけの関係性」であるかのような錯覚を起こしてしまうのです。
リモート開始前の弊社では、アウトプットに対する評価と、日常の何気ない会話(雑談やアウトプットされる前の相談)で、評価のコミュニケーションと、共感のコミュニケーションのバランスがとれています。
しかし、通常通りのチャットの使い方でリモートワークを始めることにより、「共感のコミュニケーション」の割合が減り、バランスを崩した状態が「不安」を生んだのではないか・・・と考えています。
さて、CHOはどうするか
「気づいた」をアウトプットして、この崩れたバランスをリモートワーク中にどのようにバランスさせるか・・・。
まずは、今日の桜の開花宣言をSlackに投げるとするか。
(また、ちゃんと書きます!)