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続いていくことへの幸福と不安(20200523日記)

緊急事態宣言が解除された都道府県も増え、にわかにバネのようにかつての毎日に戻ろうとする力に動かされている気がする。
個人的には自粛生活に慣れてしまったので戻るのは戻るで、結構しんどい。
生活っていうのは今日の地続きに続いていくもので、突然明日から変わりますなんて言われてもなあ‥と感じてしまいます。

思えば私の大好きなアーティスト・小沢健二さんも繰り返し歌の中で「毎日や暮らし・時間が続いていくこと」を歌っていた気がする。
たとえば、

・左へカーブを曲がると光る海が見えてくる
 僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも
 (さよならなんて云えないよ)

・長い階段をのぼり生きる日々が続く 大きく深い川 君と僕は渡る
 涙が溢れてはずっと頬を伝う 冷たく強い風 君と僕は笑う
 (強い気持ち・強い愛)

・たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだろ
 風薫る 春の夜 君の心の扉を叩くのはいつも僕さって考えてる
 (ドアをノックするのは誰だ?)

などなど、紹介しきれないけども、他にもいつも必ず太陽が登ったり何千回も季節が巡ったり、ずっと続いていくものを歌っている。

続くことが良い・悪いは別として、なにか見えない大きな流れやサイクルの中に暮らしや営みがあり、その中になにか大切なものや素晴らしいもの、うれしいことがひっそり隠れているんじゃないかと歌を聴くたび思う。

そして、今回の自力では決して抗えない自粛生活という大きな流れの中で、毎日の時間を切り刻み自分の身体を合わせていくスタイルをやめたし、たしかに規則正しく手料理を食べたり家族と団欒をしたり早く眠ったり、今までに味わうことがなかったささやかで素晴らしい暮らしを経験したので、これをまた手放してしまうのはやっぱりちょっと惜しいのだ。


もう一つ、続いていくことに関して吉田聡先生の「純ブライド」の中にとっても好きなヒロイン・純子のセリフがある。

主人公との恋が成就した際に、「あたしの映画はここで終わってもいいの。映画ならこんな素敵なハッピーエンドなのに現実は続いていくのね。少しこわいわ‥」と純子は不安げにこぼすのである。

これから恋人としてのワクワクした毎日が始まり続いていくだろうに、終わってしまわないことがこわい。もしかしたら、いつ終わるかわからないことがこわいのかもしれない。

ずっと暮らしが続いていくことは幸福で、安らぎで、とても不安なのだ。


この先どんなスタイルで生活をしていくかを考えなきゃいけないし今はまだまだ手探り状態だけど、少しでも大きな流れの中でささやかな暮らしを積み重ねていけたらなあ、とぼんやり考えている土曜日でした。




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