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⑧『こんなに美しい月の夜を君は知らない』歌詞解説募集キャンペーン投稿録

これのその8。

(その7)

※当初、作成順に公開していた内容を『こんなに~』収録順に改めました。

それでも歩いてる(けやき坂46)

欅坂46・5thシングル『風に吹かれても』に収録された、けやき坂46(現・日向坂46)の楽曲『それでも歩いてる』。同シングルに収録されている『NO WAR in the future』と違い、こちらは当時在籍の1期生メンバーのみが歌唱に参加しています。

これまでのけやき坂46の楽曲には、欅坂46との兼任で在籍していた長濱ねるさんが参加していました。この時期(楽曲の発表時期)に前後して、長濱さんのグループ兼任が解除され、また2期生メンバーが加入しました。『NO WAR』の采配にあるように、以後は2期生メンバーも楽曲に参加するようになります。

その狭間にあるのが『それでも歩いてる』です。この楽曲は、唯一の「けやき坂46」1期生メンバーのみで構成された楽曲に当たるのです。

つい、そういった背景も踏まえて考えずにいられませんが、この楽曲には、けやき坂46としてここまで歩んできたメンバー達に重なるメッセージが綴られているように思えます。

けやき坂46というグループは、その立ち位置は欅坂46の二軍的なものであると言わざるを得ない物でした。楽曲の発表にしても、欅坂46のシングルにカップリング収録されるのみしか機会がありませんでした。

そんな中、良くも悪くも"中心"であった長濱ねるさんが離脱し、また2期生が加入して組織が拡大し、変革が起きつつあるタイミングがこの時でした。

初めての楽曲が『ひらがなけやき』という自己紹介ソングの側面を持つものであるように、彼女達の楽曲には、その時その時の「けやき坂46」を描いたものであったように思います。

『それでも歩いてる』もまた同様ではないでしょうか。「それでも」という表現からは、逆境に身を置いたことを示していることを汲み取ってしまいますが、上記の通り「けやき坂46」であった彼女達の状況は常に逆境であったとも言えます。

そういう意味では、気になるのは以下のフレーズです。

〈あの頃語り合った夢は風に吹かれて流されていった〉

『風に吹かれても』というシングルに、(二軍的立ち位置の集団のものとして)こうしたフレーズを備えた楽曲が収録されている事実に、意図を感じてなりません。もちろんそれは確定的なことではありませんが、ともかく、いちファンとして感じてしまうのです。

そんな〈風〉に〈流されていった〉という言いようからは、「上手くいかない」ニュアンスを感じます。逆境や葛藤の渦中にいる〈俺〉による言葉ではないかと、思わず受け取ってしまうものです。

しかしタイトルにあるように、その〈俺〉は〈それでも〉と立ち上がります。

〈人生とは転ぶもの/膝小僧はすりむくものなんだ〉
〈何度でも立ち上がれよ/俺はそれでも歩いてく〉

歌詞に加えて、長渕ライクなメロディ、サウンド、ボーカル、そういった要素も相まって泥臭さを強く感じる楽曲に仕上がっています。「膝をすりむいても立ち上がる」といった描写がまた、どうにも象徴的です。

以下の歌詞も印象強いものです。泥臭さを含みつつ、「誰かと比べること」に対して疑問を投げかけています。

〈人生とは負けるもの/勝つことなんかないって知ればいい〉

〈勝ち負けにどんな意味がある?〉

短絡的な見方かもしれませんが、やはり「欅坂46⇔けやき坂46」の構図をここに見出してしまいます。

アンダー的な扱いを受けていましたが、「どちらが上で下で」ということじゃないんだ、というメッセージをここから見出さずにはいれないのです。

この楽曲の歌詞以外での特徴的な点は、各メンバーのソロ歌唱が順に紡がれている点です。ひとつの演出として、この楽曲の歌詞が「一人ひとりの言葉である」と感じさせるものでした。

尚更、メッセージを強く感じてしまいます。けやき坂46として恵まれない環境の中で邁進してきた彼女達の言葉として、この楽曲を受け取ってしまうのです。

彼女達が、組織の面子が入れ替わりながらも、初めに抱いた想いを胸に〈歩いてく〉〈歩いてる〉と宣言しているのなら、この楽曲はあまりにも強く逞しいものです。

日向坂46として活躍している現在から見ればこそ、その切実な想いが立ち込めているこの楽曲を改めて聴くと、襟を正さずにはいられません。


何度目の青空か?(乃木坂46)

乃木坂46の10thシングル『何度目の青空か?』、センターを務めた生田絵梨花さんは大学受験のため9thシングルは活動に参加せず、その後活動復帰すると共に、こちらでセンターを務めることが決定されました。

このシングル曲は、まずひとつその一連の流れが反映されたものと見て良いように思います。チャレンジに挑んだ生田さんにしても、仲間が一時離脱したグループにしても、その達成&復帰は「暗雲が晴れた」想いであったと想像できます。そんな感覚が〈青空〉に重ねられ、乃木坂46のストーリーを彩る表現になったのではないかと感じています。

そして詳しく紐解くと、目標達成を経てグループ活動に(ヘリコプターで)帰還した生田さんのチャレンジとその結果がこそ『何度目の青空か?』を通して描かれているように思います。

生田さん自身だけを取り上げたと言うことではなく、その姿を通して、聴き手に対して〈今〉しか挑めないチャレンジや〈今〉しか踏み出せない一歩を強く推すメッセージとして、『何度目の青空か?』は機能しています。

〈今の自分を無駄にするな〉

個人的に印象が強いのはサビの歌詞です。示す意味はもとより、珍しく「1サビと2サビが全く同じ」内容なのです。乃木坂46の楽曲では、多くは繰り返されるサビの内容は変えられています。その上で大サビにて1サビの歌詞が繰り返され、その繰り返しが更なる意味を持つケースがままありました。

しかし『何度目の青空か?』においては、1サビと2サビが同内容です。敢えてそこを共通させたことは、つまりそれだけ「込めた意味を伝えたかった」意図を感じます。

〈何度目の青空か?/数えてはいないだろう〉
〈日は沈みまた昇る/当たり前の毎日/何か忘れてる〉
〈何度目の青空か?/青春を見逃すな〉
〈夢中に生きていても/時には見上げてみよう/晴れた空を〉
〈今の自分を無駄にするな〉

この歌詞の示すところは、〈青春〉に集約されます。「限られた若い時間」的な意味で理解していいように思いますが、〈今の自分を無駄にするな〉と言うように、その「時間」の間に何をするか、何が出来るか、を問う言葉です。Dメロの歌詞にそれは繋がります。

〈この次の青空はいつなのかわからない〉
〈だから今空見上げ/何かを始めるんだ〉
〈今日できることを〉

後のシングル『いつかできるから今日できる』『ジコチューで行こう!』とも重なります。〈踏み出せよすぐに〉〈この瞬間を無駄にはしない〉と謳うこれらのように、〈何かを始めるんだ〉と熱い声掛けを『何度目の青空か?』も行っています。

〈何か〉とはJ-POPで揶揄されがちなワードですが、この場合は正常に機能しています。大切なのは中身より〈始める〉なのです(正確には、人それぞれ中身がどんなものであろうと構わない、という意味です)。

それこそ直前に書いたとおりですが、〈すぐに〉〈この瞬間〉がこそ重要です。〈何度目の〉とは、この先にあと何回"それ"が訪れるのかわからない、と示す表現です。

それ程までに〈始める〉ことを推すにあたって、もう一つ印象的に用いられているモチーフは〈蛇口〉です。

〈校庭の端で反射してた誰かが閉め忘れた蛇口〉
〈大事なものがずっと流れ落ちてるようで/風に耳を塞いでた〉

〈蛇口の水に触れてみたらその冷たさに目を覚ましたよ〉
〈ほとばしる水しぶき〉

〈目を閉じてみれば聴こえてくるだろう〉
〈君が出しっぱなしにしてる音〉

〈蛇口〉から絶えず放出され続けているそれは、〈大事なもの〉と表現されています。それは上で挙げた〈何か〉です。もっと言えば「〈何か〉に対しての想い」です。

それを、〈君〉は閉じてしまっていないだろう、勢いよく出続けてしまっているだろう、と問うた上で〈何かを始めるんだ〉と言うのです。

〈校庭の端で反射してた誰かが閉め忘れた蛇口〉がまた秀逸です。〈反射〉されているものとは「太陽が差す光」です。雲間から差し込むそれがちらちらと〈反射〉されていることが、〈青空〉が顔を出していることを意味しています。

「〈何かを始める〉チャンスやタイミング」を示す〈青春〉のメタファーたる〈青空〉の存在が、〈蛇口〉と共に提示されているのです。それはまるで〈自分から気づく〉ことを待つアクションです。

〈青春を見逃すな〉〈僕は流されない〉とは、まさにそれを示す言葉です。限りあるチャンスやタイミングを逃さないよう発破をかけるため、『何度目の青空か?』と疑問を投げかけるようにメッセージを放っているのです。

それを体現する(結果を勝ち取ったロールモデルとして)生田さんの姿がそこに重ねられています。彼女が活躍を重ねるほど、楽曲の発表から時間がどれだけ経っても、その意味は説得力を増していくように思うのです。

何度でも何度でも(日向坂46)

6thシングル『ってか』に収録された『何度でも何度でも』。現役高校生である上村ひなのさんがセンターを務めており、『第41回高校生クイズ』の「応援ソング」としても使用された楽曲です。

このタイアップがまさに象徴的というか答えのようなものですが、この曲は「若者の背中を押す」色を持った応援ソングです。〈青春〉をキーワードに、困難への挑戦を推した内容が記されています。

〈だってそう青春は一度しかないんだ〉

〈失敗なんか恐れなくていい/もっと強くなれ〉

その中でも特徴と言えるのが、タイトルにもある〈何度でも〉と繰り返している点です。

「君ならきっと出来る」と応援しているのはその通りですが、「ここ一番で勇気を出す」ことよりも「失敗してももう一度立ち上がる」ことを強く投げかけている歌詞です。

〈何度でも何度でも間違えて次の道探すんだ〉
〈遠回り遠回りしたってゴールに着けばいいだろう〉

そうした方向性になった理由は明快で、『高校生クイズ』のメインテーマであるためでしょう。

Dメロに当たる歌詞はかなりストレートです。あくまで比喩としても受け取れる範疇ではありますが、「(クイズの)問題に回答する」ことを直接的な言葉を用いて表しています。

〈正解も間違いも/そうその採点はいらない〉
〈分からなくても構わない/答えることが大切だ〉
〈さあ自分の力信じて/答えよう〉
〈Oh Trust me〉

『高校生クイズ』に挑む若者たちに「一度や二度の不正解で諦めるな」「良い結果に繋がらなくても挑んだことが素晴らしいんだ」と声を掛けるような歌詞です。それが〈生きる上で大事なことは納得して進むこと〉という言葉に繋がっていくのです。

そんな内容の『何度でも何度でも』ですが、この楽曲を語るうえで見逃せないのが、日向坂46はこれまでも「応援ソング」の性質を持った楽曲を度々発表してきた点です。

前々シングル収録の『青春の馬』が代表的です。こちらは以下のような言葉が並ぶ力強い「応援」「激励」の楽曲でした。

〈君は絶対あきらめるな〉

〈ひたすら真っ直ぐに目指すんだ〉

歌唱するメンバー自身の認識もまた同様です。丹生明里さんも『青春の馬』を聴いた際に以下のように話していました。

「こういう熱い想いを届けるっていう、誰かの支えになる希望とかそういうのを届けるのが、日向坂46に出来ることなんじゃないか」

この発言に表れた、楽曲を通して日向坂46が実現したいことに『何度でも何度でも』もまた当てはまるように思います。

個々の曲で完結するのではなく、メンバーの「熱い想い、誰かの支えになる希望」を届ける」という大きなストーリーの流れの中に、『青春の馬』や『何度でも何度でも』が含まれるのではないでしょうか。

逆に言えば、『青春の馬』や『何度でも何度でも』といった発信が積み重なっていくことで、日向坂46の使命やストーリーがより大きいものに育っていくのではないかと思います。

加えて言及したいのは、シングル表題曲に関することです。日向坂46は、『キュン』や『君しか勝たん』など、イメージとしての「アイドルソング」らしく、いわゆる疑似恋愛モノを多く発表しています。また同時に、ネットミームあるいはオタクミームと呼べる言葉が取り入れられていることも特徴的です。上に挙げた『君しか勝たん』や『ソンナコトナイヨ』が特に当てはまります。

「グループの(発信したい)メッセージ」や「グループそのもののストーリー」を落とし込むでもなく、あくまで上記の条件に当てはまる楽曲が多くあるのです。極端に言えば、それらは「日向坂46でなくでも歌える曲」とも表現できるものです。

むしろ「グループの(発信したい)メッセージ」は、先の通りカップリングである『青春の馬』や『何度でも何度でも』に込められています。明確にそこが区別されていると言えそうなくらいには、振り分けが為されているのは確かです。

その理由を深掘りするのは、歌詞の考察の域を逸れてしまうので、今回は行いません。

しかしながら、シングル表題曲を「(歌番組などで目にする)大衆向け」、カップリング曲は「(興味を持って能動的に聴きに来る)ファン向け」と区別できるとしたら、そこに答えがあるようにも思えます。

乃木坂46や欅坂46(現・櫻坂46)と比べてもポップで明るいイメージの日向坂46が、対外的には「メジャーアイドル」としての顔を見せつつ、一歩踏み込んだ時に表れる本質として『何度でも何度でも』のような「応援」「激励』のメッセージがあるのだとしたら、いっそう身近で頼もしい存在であると感じてなりません。

NO WAR in the future(けやき坂46)

欅坂46・5thシングル『風に吹かれても』に収録された、けやき坂46(現・日向坂46)の楽曲『NO WAR in the future』。タイトルや歌詞の中で綴られている通り、「平和」を謳った楽曲です。

そのテーマ性は乃木坂46『Sing Out!』を思い出します。〈風を吹かせるしかない〉〈その足を踏み鳴らせ!〉などのフレーズや〈LA LA LA〉というシンガロングからも、思わずこの2曲の関連性を見出したくなってしまいます。

しかし、本質的なテーマは異なるように思います。互いに「愛」や「平和」のメッセージを放ってこそいますが、歌うグループの違い(や発表時期の違い)がそのまま楽曲ごとの個性=テーマに紐づいているように思うのです。

『Sing Out!』は〈ここにいない誰か〉に〈愛〉を届けるための祈りのような歌でした。それはクラップやストンプといった「音を(共に)鳴らす行為」によって行われます。

〈この想い届け Clap your hands〉
〈風に乗って飛んで行け愛の歌〉
〈一人ぼっちじゃないんだよ〉

乃木坂46の愛と救いを全方位的に放つ究極的な楽曲ですが、これは乃木坂46というグループが活動を重ねて成熟し、それほどの説得力が結実したからこそ訴えることができたものでもあります。

際限ないものは時としてぼやけてしまいがちですが、そうはならないと乃木坂46そのものが身を以て裏付けていると言えます。

対して『NO WAR in the future』です。けやき坂46が説得力を持たないという訳ではありません。確かな説得力を持ったうえで、その「あり方」や「背景」が異なるという話です。

特徴的なのは「~し合う」といった表現が多用されていることです。『Sing Out!』は言ってしまえば一方的にメッセージを放つものでしたが、『NO WAR in the future』で描かれているのは相互関係だと強調されています。

〈愛し合ってるかい?〉

〈許し合ってるかい?〉

〈目と目合わせて〉

〈語り合ってるかい?〉

〈抱きしめ合えばわかる〉

加えて、「~かい?」という問い掛けるような表現にも表れていますが、楽曲のメッセージが「これから始める」ニュアンスに感じ取れる箇所もあります。と言うより、それは「願望」に当たるものです。

〈優しくありたいんだ〉
〈好きになってみよう〉

その「願望」の正体は、タイトル通りの「戦争反対」なようで、むしろ意味を広げて「争い、いさかいそのものに対するNO」、もっと言えば「あらゆる苦難を無くして笑い合いたい」くらいのものではないかと思います。

〈奪い合ってるダイヤ〉〈傷つけ血を流し〉など具体的な場面を思い起こせるフレーズもありますが、これらはあくまで比喩や物語の舞台としての言葉です。

サビのいずれの歌詞も印象的ですが、特に2番サビの歌詞を取り上げましょう。「相互理解」「受容」を促す言葉が並びます。

〈語り合ってるかい?〉
〈そして最後に/抱きしめ合えばわかる〉
〈友よ/歩こうぜ〉

「分かり合うこと」「受け入れること」をこれ程までに強調した『NO WAR in the future』ですが、そこに込められた願いとは、歌い手に起因するものではないかと想像します。

この楽曲は、けやき坂46に2期生が加入し、また立ち上げメンバー・長濱ねるさんが欅坂46との兼任が解除されたタイミングで発表されたものです。歌唱に2期生が参加したのも、これが初でした。

そのように組織が確立されていったけやき坂46ですが、あくまで立ち位置は欅坂46のアンダーメンバー的で、独立したグループとしては扱われていませんでした。楽曲も同様で、欅坂46のシングルにカップリング収録される形です。

この頃は、立ち位置も存在意義も有耶無耶と言わざるを得ない状況でした。メンバーの口から、欅坂46のファンからも望まない扱いを受けたことを後に語られたこともあります。

そんな状況にあったけやき坂46の叫びが、以下のフレーズに託されているように思います。

〈悲しみの涙を何度拭った時/そう世界は一つになるのか〉
〈戦いは望まない〉
〈僕たちはここにいると/さあ声を上げようぜ〉

後に「ハッピーオーラ」という言葉に辿り着く彼女達ですが、その片鱗のような、意気込みや願いがこれらの歌詞、そして楽曲に込められているように思えます。

『NO WAR in the future』で謳われた〈平和〉や、冒頭からして掲げられた〈一番大事なもの〉とはそれです。

そして、誰よりも自分達がハッピーでいて、争わず愛の分かち合いを望むというけやき坂46の姿が、この楽曲の持つ説得力です。

大事なものを胸に、皆で肩を並べて貫くための意志統一、再確認、そして存在証明が、この楽曲を通して行われているのではないでしょうか。

避雷針(欅坂46)

5thシングル『風に吹かれても』は、これまでのシングル表題曲とも毛色の違う、楽し気で軽快かつ達観したような楽曲でした。それ対し、カップリング曲『避雷針』は、『不協和音』や『エキセントリック』に近い匂いがするように思います。

そこに描かれている〈君〉は、上で挙げた2曲に現れる〈僕〉のようです。周囲と馴染まず一人意志(ないし意地)を貫いて孤独に身を置く様子が、この曲における〈僕〉目線で見る形で示されます。

〈君は何を放棄したんだ?/そして何を諦めたんだ?〉
〈でも強がって微笑む?/そんなに不幸に見えないのはなぜ?〉

〈君が気になってしまうよ〉
〈ああ面倒くさいその存在/だって誰も理解できない〉

そんな〈君〉のことを〈僕〉は 〈君が気になってしまうよ〉と言います。その風変わりな強情な態度を見せる〈君〉をつい気に掛け、〈味方〉に付くことを宣言します。

〈そんな不器用さを守るには僕が盾になるしかない〉

〈いつだって傍で立ってやるよ〉

こうして見ると、周囲に壁を作りつつも一貫した態度を取る〈君〉が〈僕〉からはアヴァンギャルドな魅力を持っているように思え、故に〈僕〉は憧れに近い感情で〈君〉の側に付くことを決心する……といったストーリーが描かれているように思えます。

その一方で、〈君〉のことを第三者目線で語っているようにも読めつつ、おそらく〈僕〉自身の言葉であろう箇所が多いことも目に付きます。

〈古着が好きなのは/知らない誰かになって/本当の自分隠して演じてみたいだけ〉
〈今日の生き方も誰かのお古なのか〉

〈一人が楽なのは話さなくていいから〉
〈分かってもらおうなんて努力もいらないし〉

特に2番、上記した箇所に続く歌詞もまた、〈僕〉自身のことを示す「独白」のようなものに思えます。もしそうであるなら、〈君〉と同様に〈僕〉も孤独で周囲に壁を作っている存在であることになります。

〈それでもいいけど/それでも息をして/それでも生きてるし〉

〈ただ儚すぎるこの若さ萎れるまで/使い切れず持て余す時間〉

自分と同じような存在でありながら、そのスタンスや態度が自分とは異なる。そんな〈君〉への羨望の眼差しを〈僕〉は向けている、と言えないでしょうか。

〈それでもいいけど〉から始まる2番のパートは〈僕〉自身を示す(〈僕〉自身の)言葉ですが、1番の同一パートではそれと対比するように〈僕〉から見た〈君〉の様子、と言うか、(〈大人〉に向けて吐いた)〈君〉の言葉と取れる内容が記されます。

〈どうでもいいけど/どうでもよくないし/どうにでもなればいい〉
〈毒にも薬にもならない日常は/チクタクとただ繰り返す/無駄が僕たちの特権だと主張して〉

そんな〈君〉を眺める〈僕〉が逡巡する様子も描かれています。「踏切」のモチーフを通しながら〈僕〉の抱いていた〈期待〉、それが叶うことがないと諦める様も示されていました。

〈遮断機降りたままの開かずの踏切みたい〉

〈警報機鳴りっぱなしで意思なんか通じない〉

〈ずっと前から知っていたはずさ電車なんか来ないって〉

〈僕は何に惹かれたの?〉
〈僕は何に期待するの?
〈僕も不幸に見えると言うのか?〉

対して〈君〉は、似たような存在とも言える〈僕〉にさほど興味を示していません。

〈君は感動の無い眼差しで僕を見ていた〉

そんな〈君〉と空いたままの距離を、そのままで良いと結論付けたのでしょう。お互い接触せず干渉せず、〈無関心〉な態度のまま、〈僕〉は自ら〈避雷針〉でいることを決心します。

〈無関心は味方だ〉

〈いつだって味方だ〉
〈信じることは裏切られること/心を開くことは傷付くこと〉

〈君は君のままで〉
〈どんな理不尽だって許容できるさ〉
〈気配を消して支える〉
〈重箱の隅を突かれたって/僕が相手になってやる〉
〈平凡な日々を今約束しよう〉
〈ここにあるのは愛の避雷針〉

〈大人〉からの攻撃を〈僕〉がその身に受け続けると宣言する言葉です。もしかしたらそれは、考えや意見を(合わせる形で)変えることも含むかもしれません。自身がそうであっても構わないから、〈君は君のままで〉と言うのです。

それが〈愛の避雷針〉とは、実にふさわしい表現と思います。言うまでもなく「自己犠牲」に当たるものです。

そんな〈君〉(のスタンス)を守る姿は、これまでの欅坂46の楽曲とも似てはいても異なるように思います。

『サイレントマジョリティー』や『不協和音』は、〈君〉と同じ気持ちを持つことを前提に、〈君〉に対して強く貫くことを推し進める内容でした。これらの主人公たる〈僕〉に似た『避雷針』の〈君〉を、身を犠牲にして守ろうと言うのです。それは、誹謗中傷にさらされる〈君〉に対しての慈しみです。

肩を並べる仲間でなくともひっそりと遠くから気に掛けている〈僕〉の姿もまた尊いです。そんな存在がいるからこそ、〈君〉はその信念を貫き続けられるように思います。

『こんなに美しい月の夜を君は知らない』、幻冬舎より発売中。

その9。


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