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ドラマ『ポケットに冒険をつめこんで』ってすげー!

元乃木坂46・西野七瀬ちゃん主演のドラマ『ポケットに冒険をつめこんで』が先日最終回を迎えた。既に数週経って年も明けてしまって空気は落ち着いている感じがしなくもないが、いやとても良かったのでひとつ感想を残したいのだ。

本作を手掛けたのは、『お耳に合いましたら』『量産型リコ』『真相は耳の中』などでお馴染みの畑中翔太さん(企画・プロデュース・脚本)。もう情報公開時点で「いいもの」が観れることが約束されたような座組である。

畑中さんのチームが作るドラマの多くは、Podcast、飲食チェーングルメ、プラモデル、ローカル個人飲食店グルメなど、様々なカルチャーを題材にしてきた。

その流れを汲んだ新たな題材として『ポケットモンスター』(とりわけ「初代」に当たる『赤・緑バージョン』)に白羽の矢が立ち、本作『ポケットに冒険をつめこんで』が生まれたわけだ。

しかし本作に、いや『お耳に合いましたら』『量産型リコ』あたりも含め、改めて思った。これらの作品が「良かった」のは、Podcast、プラモデル、ポケモンが題材であったこと自体に由来していない。

これらはいずれも主人公が「社会人」であり、作中でもその仕事模様や職場環境、人間関係、それに紐づいた生活が描かれていた。

この3作はすべて「社会人ドラマ」としてめちゃくちゃ良かったのだ。

いやねもちろん、題材が意味を為してないとかそういうことではない。

作中では題材たるPodcast、飲食チェーングルメ=チェンメシ、プラモデル、ポケモンはとても魅力的に描かれており、実際に『リコ』を観て久々にプラモ一個買って作っちゃったくらいには影響も受けた。

だが、作品を評するにあたって、単に「いやあ『リコ』はプラモデルを魅力的に描いているドラマでしたなぁ」だけで完結するようなものではない、と言いたいのだ。

同チームの作品、ローカル個人飲食店グルメ=絶メシ探しで各地を巡るサラリーマンを描いた『絶メシロード』では、サラリーマンとして働く姿はそこそこに、絶メシ探しと実食の様子そのものが多く描かれていた。だけで完結、とまではいかないが、「様々なカルチャー」に当たる題材自体を映し出す作品だったと言える(『絶メシロード』も最高の作品である)。

一方『お耳』『リコ』『ポケつめ』は、美園、リコ、まどかがいち社会人として職務に当たる様子が多く描かれていた。題材としてのPodcast、チェンメシ、プラモデル、ポケモンは、そんな彼女らの「趣味」として傍らでひょこっと顔を出すような存在であった。

仕事や人間関係で時に壁や困難にぶつかりつつも「趣味」を通じて不意にヒントを得て活路を見出していく、そういった大きな流れが1話の中で度々描かれ、そしてまさにこれこそ、この3作の本質であった。

という気づきをくれたのが『ポケットに冒険をつめこんで』である。

なにせ、最終回ラストのナレーションがある意味全てを説明してくれている。

大木戸『これは、赤城まどかという1人の女性が、20年ぶりに出会ったゲームを通じて、毎日が少しだけ冒険へと変わっていったお話。』

10話

『ポケつめ』は、映画『名探偵ピカチュウ』のような「実際にポケモンが存在する世界」でもなければ、ホビーマンガのような「(ゲームとしての)ポケモンでバトルを繰り広げるプレイヤー達の物語」でもない。

「広告代理店に勤める女性が、久しぶりに『ポケットモンスター』をプレイしつつ、日々の仕事や生活に向き合っていく」ドラマである。あくまで描かれているのは「社会人・赤城まどか(28)」であり、題材である『ポケットモンスター』そのものは、実はそんな彼女のドラマを支えるツールとしての役割で描かれていた。

『お耳』や『リコ』も"フタを開けてみれば"そういうドラマであったが、あれらは明確に1話の中でもクライマックスとして「Podcastで語るパート」「プラモデルを作るパート」が(さながら特撮番組の「変身・戦闘パート」かのように)配置されていた。描かれるものとして中心に据えられるタイミングが用意されていたわけだ。

一方『ポケつめ』における「題材の描写」は、隙あらばまどかがポケモンをプレイしており、同僚・桧山ひやまあたりに「おい、何してんだ。そろそろ行くぞ」なんて声を掛けられてはバタバタとゲームボーイを鞄に仕舞い込んでクライアントのもとへ急ぐ……といった描写が大抵である。

クライマックスの「戦闘パート」として描かれるのは、ゲームではなく、大口おおぐちクライアントへのプレゼンだったり、ベテランライターとの打ち合わせだったりした。そこでまどかは「相手に的確な効果のある攻め手を用意しなくちゃいけないな」「対等に話をするには認められるための準備をしないといけないな」と思う。

「これ、なんかポケモンみたいだな」と気づくわけである。逆にポケモンのプレイを通じて「こういうやり方って仕事も同じだよな」なんて気づき方もする。

ポケモンから得たヒントを基に、まどかは仕事に向かっていく。でもそれは、壁にぶつかった時に「解決の糸口はポケモンの中にあるはず……!」なんつって仰々しくゲームボーイの電源を入れるでもなく、日がなちょっとずつポケモンを進めているだけだ。それゆえ常に「ポケモンで頭がいっぱい」な状態であるだけなのだ。

なので『リコ』での「プラモを作る様子」と違って、作中での『ポケットモンスター』の描かれ方と言えば、まどかがコツコツプレイしている様子のほか、彼女の心象風景として(実際にゲームをしているのではなく)映像的に示されるような感じだ。

「今まさに相手ポケモンに必殺のわざを繰り出している」かのように、決め手となるひと言を相手に突きつける、そしてその言葉が相手にグッと刺さる、その瞬間「こうかは ばつぐんだ!」な映像が流れる。彼女の仕事ぶりがポケモンバトルの様子とオーバーラップする表現なのである。

そのほかキャラクターも、忘れごとの多いヤドランっぽい社長・宿谷やどや、一人では何もできない未熟なコイキングっぽい新卒入社員・小出こいで、小学生の息子と仕事の両立に悩むガルーラっぽい年長者・小薬こぐすりなどなど、各種ポケモンを思わせるメンツが揃っているが、これもまたまどかの心象風景としてのイメージであると言える。

つまり『ポケットに冒険をつめこんで』という作品は、ゲーム『ポケットモンスター』をいかにして繊細に描くかに挑んでいるのではなく、主人公・まどかの目を通した「これ、なんかポケモンみたいだな」に満ちたこの世界を描いているのだ。

だから裏を返せば、当初「ゲーム『ポケットモンスター』を題材にしたドラマが始まります」と聞いて「実際にポケモンが存在する世界」や「(ゲームとしての)ポケモンでバトルを繰り広げるプレイヤー達の物語」を想像してしまった人からすれば、期待とは違う作品と感じてしまう事もあったかもしれない。

更には、題材の取り上げ方が上に書いたような形であったがゆえに、チェンメシをほおばる伊藤万理華ちゃんの豊かな表情だけで抜群の食レポとして機能していた『お耳に合いましたら』や、アップとカット割りを多用してプラモのパーツを切り離し組み立てた時の跳ねる動きや音をリズミカルに際立たせることでプラモづくりを魅力的に見せた『量産型リコ』と比べても、『ポケつめ』は地味な印象を受けるところもあったと言えなくもない。

やり方だけを挙げるならば、心象風景の描写方法として、例えば道を急ぐまどかの傍をピカチュウやポニータが一緒に駆け抜けたりとか、プレゼンの際の決め手を繰り出した時まどか自身がかえんほうしゃを吐いたりとか、そういうCGづかいはできたかもしれない。

(『お耳』でレジェンドパーソナリティ・吉田照美さんや生島ヒロシさんが現れたように。)

でもそれは違う。

『ポケットに冒険をつめこんで』が取り上げている題材は、キャラクターIPとしての『ポケットモンスター』ではなく、1996年2月27日発売のゲームボーイ専用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』であるのだ。

だからこそ、作中での『ポケモン』の描写は常に白黒ドットのゲーム画面でなければいけなかった。

『ポケつめ』は「社会人・赤城まどか(28)」を描くドラマであった。最終回のナレーションにあった通り、そんな彼女にとって「毎日が少しだけ冒険へと変わって」いくきっかけとして、あの頃プレイした『ポケットモンスター 赤』を久々に手に取るところが第1話であった。

そして実際、彼女の目には「毎日が少しだけ冒険へと変わって」いた。そういう感じを捉えた作品であったと言える。

一時期話題になった、とあるインターネット上の文章がある。Nintendo Switchソフト『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のAmazon商品ページに投稿されたレビューだ。

上に貼ったリンクから当該ページが開けるが、重要な部分をここでもごっそり引用しよう。

通勤ラッシュに揉まれ、顧客にも上司にも頭下げ、
後輩の育成押し付けられて色々やってる内に連日残業。
通勤途中で見える、名前も知らない山にもイラっとする。
フラフラで帰ってきたらメシ食う力も無く、酒飲んで寝る。
ゲームする時間あるなら、セミナー行ったり婚活しないとと、無駄に焦る。
俺なんで生きてんだろと素で思う日々。

切れた酒買いに行った日に見たSwitch店頭販売で思い出した。
子供の頃マリオ64にドハマリしてた頃に、
「今時マリオとかだっせ!PSだろ」
と友人に言われ恥ずかしく思った事。
(中略)
何故あの時Switchを手に取ったか今でもよくわからない。
ただビール片手に、つまらなければ売ればいいと思って本体とゼルダを購入した。
(中略)
出勤日だった昨日、電車の窓から見えた名前も知らない山を見て、
「登れそう」と思った瞬間、涙が溢れて止まらなかった。

https://www.amazon.co.jp/review/R3HOFXJ0XCN4F4

この「登れそう」である。『ポケットに冒険をつめこんで』という作品が示していたのは。

『ポケつめ』は何も、「あれってポケモンバトルっぽいよね」「こういう人ってあのポケモンっぽいよね」「テストなんてゲームっすよゲーム」と言っているわけではない。具体的に物事をポケモンやゲームに当てはめよう、ということを試みているわけではない。

※念のため断っておくと、このレビューの投稿主が言っていることの本質は『ポケつめ』のそれとはまた少し異なるので、これはこれでちゃんと全部読んでくれ素晴らしい名文だから、というところ。

ともかくこの「登れそう」である。ゲームのプレイ体験を通じて、目に見えるものや感じるものがちょっと違って見える。それこそが『ポケつめ』が描いた本質ではないか。

極論を言えば、まどかが作中でプレイしていたゲームは『ポケットモンスター』でなくても良い。それこそ『ブレス オブ ザ ワイルド』でもいいし、『ドラクエ』『FF』でも良い。

だが『ポケットモンスター』であるからこそ、より良い。

全ポケモン関連ゲームソフトの累計出荷本数は現在、4億8,000万本以上。対応言語は9言語に及ぶ。作中作品として取り上げるに、これほど「誰でも知っている」と言うに値するゲームはないだろう。

加えて、『ポケつめ』は上記した通り「社会人ドラマ」である。ある程度の経験や能力が備わりつつ、立場や環境も変化しつつ、いよいよ社会人としてのはたらきが試される頃合いと言えば20代後半~30代初めくらいであろう。

放送された2023年が作中の「現在」とイコールであるとして、1996年発売の『赤・緑』を小学生頃にプレイしていた子どもたちは、今まさにこの年代に達しているわけだ。

(まどかは28歳=1994年ごろ生まれであり実は『赤・緑』世代ちょうどではなさそうだが、作中で「お兄ちゃんがやりつくした後やっと私の番が回ってきた」と時期のズレについて補足されている。アニメの影響による後追い購買も加味すればやはり「世代」である。)

つまり『ポケットモンスター赤・緑』は、まどか(と同世代の大人たち)が「あの頃プレイしていたゲームと再会する」を実現するにふさわしいタイトルである。むしろ言えば、2023年はそういった背景を踏まえた『ポケモン』作品を発表するにベストなタイミングであった。

先に引用したAmazonレビュー投稿主も(投稿された2017年時点は)ちょうどまどかと同世代くらいの社会人であったことが察せられる。

そんなタイミングでの「再会」が心や日々に変化を与えたという実例が存在していることがまた、『ポケットに冒険をつめこんで』という作品に深みを与えてくれると言うか、作品で描かれたことはやっぱり真実だったなと確信を持たせてくれる。

ゲームなんて所詮ゲームだが、いやしかし、その時の「楽しい」とか「ワクワクする」とかいう気持ちは確かに在る。

『ドラゴンクエストXI』をSwitchでプレイしていた期間、駅の柱の影を思わず覗き込んでしまったりした。そこには当然宝箱なんて無いが、俺にとっては「宝箱があるかもしれなかった」のだ。

『ポケットモンスター』というテーマの大きさに反して、確かにこのドラマ自体はごく小さな世界であり、ごく小さな物語ではあった。あえて繰り返すが、「地味」であった。

しかしながら、ゲームを進めている期間の「ずっとちょっと楽しい」あの感じが、確かに真実として物語の中で通底していた。『ポケットに冒険をつめこんで』というタイトルは、初めから解答を示していたのだ。

そんな気持ちを共有してくれていたという点で、やはり『ポケつめ』はすぐれた作品である。

といったところで気づけば5000文字を超えていたのでここまでとする。

本当は、明るくて前向きで表情豊かな赤城まどかというキャラクターを通じて、改めて西野七瀬ちゃんの可愛さにすっかりアテられてしまったことも書こうと思っていたが、本筋じゃなさすぎるので割愛。

でもさ、せっかく良い写真上がってさ、そこに加茂さんにしか書けない唯一無二のコピー書いてほしいじゃん。それ引き出すのもプランナーの意地って言うか、クリエイティブのプライドって言うか……やばい、燃えてきたね!

2話

あと「ライバル」として登場していた工藤美登里の扱いが可哀相だろ、と思わなくもなかったが細かくは割愛する。

幼馴染で小学生の頃2人で外を駆け回っていて親の顔も知ってる仲で、同じ高校の同じ部活でケンケンしつつも帰りにファストフード店に2人で行く関係だったのに、友達であったことを先に忘れたのはまどかじゃないか。まどかがそうだったから美登里もムキになったという順序が真実だったはずだ。その美登里に「お前が負けたのは仲間への信頼と愛情を忘れているからだ」っていくらなんでも可哀相だろ。オーキド博士のそのセリフは、ゲーム内ではそりゃグリーンに向けられたが、『ポケつめ』では美登里の本心を知ったまどかが身に染みて痛感する言葉として用いられるべきだった(過激派の意見)。

現在はLemino、U-NEXTなどで視聴可能です。

以上。




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