チキンソテー(映画「始まりへの旅」)
鶏肉を焼くときには、もも肉唐揚用をビニール袋に入れ塩麹を入れてもみこみ、冷蔵30分。そのままフライパンで皮を下にして焼き、ひっくり返してお酒を振り入れ蓋をして弱火でじっくりと蒸し焼きにします。まろやかでジューシーなチキンソテーに。これにハーブのシーズニングを仕上げにからめると洋風の味にもなるのです(上記写真がこれ)。そして鶏胸肉を小さめに切り、塩麹につけ、その後串に刺して屋外に持ち出すべし。バーベキューの場所を予約し、炭火を起こして焼けば、焼きとりの出来上がり。鶏を焼くのに、ぱさぱさ、焼け残り、焦がす、半生等、目にも涙、語るも涙の紆余曲折の歴史を経て、この方法に辿りついたのでした。塩麴は入れすぎると味が落ちて焦げるので用法、用量順守です。
ローストチキンを見て「このトリ誰がシメたの?」といたいけな表情で話すお嬢さんが出てくる映画とは、「始まりへの旅」。アマゾンプライムでしきりにおすすめされるので、鑑賞。人里離れた山中で暮らす家族。野生動物を狩り、岩のぼりや格闘の訓練、夜は難しい本を読んで勉強。そんな生活を送るファミリーのお話です。アメリカという広い国土では出来そう、ありそうなので、妙なリアルを感じました。ある日心を病んで入院していたお母さんが逝去し、そのお葬式を、お母さんの遺言通りにしようと、大型バスに乗ったファミリーの旅が始まります。
社会から隔絶して暮らすマイルールでは、社会に戻ると無理があるのです。やはり万引きします。無免許運転です。お子さん学校には行ってません。服もTPOにかなっていません。それでも家族の結束力により、なんとかお母さんの実家(すごい大富豪)に到着。ですが惨敗。おじいちゃん、おばあちゃんパワーでお子さんたちも、何か長い夢から醒めたかのような感じになります。「自分の信条が正しい」と思っていたお父さんは落胆し、もう子どもたちのそばにいない方がいいと、一人で家を後にしますが、、、
最後のお母さんの葬儀のシーンは、この道のりを歩いてきた家族を見てると、最高に美しいのです。大自然の中、火葬し、歌い、踊り、着飾り、笑顔で見送る。お母さんの魂はきっとこのとき、地球という場所に抱かれるように、魂の故郷に還っていったのでしょう。そして抜け殻となった灰は、遺言通りに街中のトイレに流す。「そこに私はいません。だから愛しい人たち、あなた達の思い出の中に私はいるの、お墓参りする時間とお金を自分のために使って」というメッセージだったのでしょうか。昔はこのような葬儀だったのだろうし、墓守の慣習を決して否定するものではないです。ただ、自分もこのような送られ方をして欲しい、と思ってしまうのです。
この出来事の後、ファミリーは街に帰ります。長男は1人で旅立ち、子供たちは学校に通い、農園と家畜を飼って生業とするお父さん。この旅は、このファミリーを、この社会で生きてゆくために、大きく変えました。子どもたちはお父さん、お母さんの背中を見て身につけた一番大事なことを、今度はお父さんに教えてあげたのでしょう。大体マイルールで社会に対峙するこの手の話はいい最後を迎えませんが、今回は安心できるハッピーエンドなのでした。
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