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「夜と霧」を読んで

V・E・フランクル「夜と霧」を読みました。昨年秋の「note読書感想文」に味をしめ、今年は名著と呼ばれる本を少しでもいいから頑張って読んでいこうと心に決め、その1冊目となりました。

ヴィクトール・エミール・フランクル氏はドイツの精神科医であり、心理学者でもあります。ロゴセラピーで有名で、「夜と霧」や「それでも人生にイエスと言う」等が代表作です。

フランクル氏は元々精神科医として働いていましたが、ナチスにより強制収容所に収容されてしまいます。その時の経験談と考察を書いたのが「夜と霧」でした。実はこの本、私は20代の頃友人より贈呈され、そのまま読まずに古本屋に売却してしまいました。その後30年の時を経て、再度自分で本を取り寄せることに。ロゴセラピーに興味を持ったからです。

この本は三段階からなり、第一段階は収容、第二段階は収容所内でのこと、そして第三段階に収容所解放後に、当時を振り返りながらの考察となります。途中読むのが辛くて何度か本を閉じつつも、少しづつ読み進めてゆきました。

途中何度も道行きに分岐があり、紙一重のところで氏は生存の方の道を進みます。ガス室送りになるかもしれない病人の移送団とともに行った選択が幸いしたり。看ていた病気の仲間を見捨てることはできないと、脱走を踏みとどまったり。ようやくアメリカ軍による解放で、収容所生活は終わります。読んでいると、運命とはまさに人智を越えたものであると感じざるをえません。

その上で読む、第三段階における考察は大変手ごたえのある内容となりました。肝であるところは「人生の意味」のところですが、他にも古くて新しく感じる指摘をいくつも見つけることが出来ました。

わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きる意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない。苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。

フランクル 新版「夜と霧」131ページより引用

中でも上記は、ホロコーストの生き証人として強制収容所を経験し、壮絶な日々を生き残ったからこその分析と感じます。

収容時の「解放されるかもしれない」という恩赦妄想、解放時の「現実味を感じない」という離人症。

収容中のクリスマス時期の死者数の増加や、鉄条網の話。もう生きているかどうかもわからない、妻への愛。群れの内側に身をおく話。フランクル氏は私たちに、人が極限状態に置かれるとどうなるかを説いていました。

それは私たちの過去であったかもしれないし、未来であるのかもしれない。我が身に何が起こっても、人としての主体、すなわち実存の意味を問い続けてゆくことだと、こちらに迫ってきます。

20代の頃私にこの書籍を贈呈してくれた友人は、重度のうつ病に罹患していました。そして彼女は私よりも一足早く、幸せをつかみとってゆきました。私に読んでほしかったのがなぜこの本であったのか、この歳になってやっと友人の気持ちを少しだけ、理解出来たのです。

◆そしてお知らせ。「書評」のマガジンを作りました。この記事はこちらに格納致します。ガチで読んだ本のご紹介を不定期更新で展開してまいります。


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