宮沢賢治 作 「そもそも拙者ほんものの清教徒ならば」 キクイモがいっぱいとれたけど、米も食べたい賢治
宮沢賢治が、羅須地人協会で自炊生活をしていたころの詩です。
キクイモがたくさんとれて、自分が、清教徒やサムライだったらこれだけを食べて暮らすけれども、やっぱり米も食べたい、という、人間的、日本人的な本音が、やや自虐的につづられています。
キクイモは、痩せた土地でも良くできますが、現代では健康食品になるほど重量あたりカロリーが少なく、玄米の10分の1で、これだけを主食にすることは困難です。
キクイモといえば、農学校教師時代には、キクイモの混ぜご飯の素(富錦)の製造と花巻温泉