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「イシューからはじめよ」を再読して

私は新卒1年目に「イシューからはじめよ」に出会い、当時とても感銘を受けた。しかし、それから10年以上の月日が経ち、さまざまな経験をした上で再読すると、当時とは異なる印象を受けた。そのことについて記しておきたい。

この本は私の勤めている会社では広く読まれており、同僚の多くも影響を受けている。社内で仕事をしていても「これは本当にイシューだろうか?」と言った問いかけがなされることも多く、ここで言われるイシューの見極めやアウトプットの質、という観点ではおそらく他の企業に比べるとレベルは高い環境だとなのだと思う。

ただ、「イシュードリブンな姿勢」それ自体は確かに大事ではあるものの、それだけでは足りないというのも分かってきた。

この本の前提となっている、目指すべきプロフェッショナルは「変化を起こす」ことで評価される人々だ。要求にただ答えるだけでなく、本質的な問題を見極め、そこに対して質の高い解を出すことで、変化を生む人のことである。このことを前提とした場合、この「イシューからはじめる」というアプローチだけでは、おそらく限界がある。

限界を感じるポイントは大きく2つある。一つ目は、仕事は一人でやるものではないということ。この本に影響を受けて、本質的な問題に気づき質の高い解を示したとしても、それを実践するかどうかの意思決定まで自分自身でできる、ということはほとんどの場合ではないだろう。コンサルティングファームも、意思決定はクライアント側にある。そして経験上、意思決定というのは合理的になされることばかりではない。自分にとって都合が悪い内容だと無視されることもある。自分でイシューを見極めて意思決定もできる(例えば、個人の研究など)場合を除いて、この点に早々に気づかないと無駄な時間(アウトプットの質は良いが、結局変化は起こせない)を過ごす羽目になる。

もう一つは、結局世の中に大きな変化を生み出す人は「イシュードリブン」な人ではなく、ただただ自分の好きなことやりたいことを追求した人であるという経験則だ。「これは本当にイシューか?」と口酸っぱく問う社内の上司より、早々に会社を見切り自分で道を切り開いたかつての同僚・友人たちの方が世の中をより良くする事業を実践している、ということは往々にしてある。彼らが進んだ道は、おそらくこの本で言うところの犬の道、目の前の細々した問題に七転八倒しながらなんとか答えを出しながら前に進んでいるように見えるが、その奥にある「意思」「思い」が社会を前に進めているように私には思える。

私はこの本を否定するつもりはないし、一つのアプローチとしてはもちろんありだと思う。しかし、この本ではっきりと「無駄」と書かれているようなことも、そんなに無駄なことではないよ、と今なら思う。

同じ著者の「シン・ニホン」は、もっと「思い」や「理想」のようなものに駆動されて書かれているように感じる。課題へのアプローチ自体は「イシューからはじめよ」と共通しているが、前著では本人の興味関心や思いのようなものは抑えられていたのに対し、「シン・ニホン」は本人の興味領域が前面に出ており、「こういう日本にしたい」という思いが節々に感じられる。今の私は、こちらの本の方により共感する。

「イシュードリブン」を武器に戦うのは効率的だろうが、それ「だけ」では変化は起こせない。「犬の道を進むな」と余計な心配をするよりも、自分がどんな変化を起こしたいのかにしっかりと向き合うことの方が自分の人生も充実させ、社会をよくすることにつながると、今では思っている。

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