忙しなく過ぎ去った日々の中で、私は想う

2年あれば、人は変われる。
良くも悪くも。


iPhoneの写真フォルダを見返しながら思う。
この写真の中にいる、ナース服を着て同期たちと写真を撮ってる私は、いま自分がこんな生活をしてるなんて想像つくはずがない。

色んな葛藤があった中、看護学校を辞めてその後すぐに資格を取って、大学病院の医療事務として就職した。

配属はその病院内で最も忙しいと言われている採血室の受付。簡単に言うと、病院内の全科から採血採尿や検査等の依頼がくる場所で、朝から患者様が整理券を取るために行列ができたり、広い待ち空室が常に満員という感じだった。
確かに忙しいが、常に動き回って喋り続けているこの仕事内容は私には合っていて、周りの同僚たちとも良好な関係だった。
しかし、半年で退職した。

双極性障害は、看護学校在学中に発症した。
周期的に躁と鬱を繰り返すこの病気は、定期的に鬱で動けなくなる時期があるため、よく考えたら正社員での働き方は向いていなかったのだ。

ほぼ突発的に大学病院を退職して、それと同時に、それまで過ごしてきた実家を家出同然に飛び出した。
家無し職無し、あるのはたった15万ほどの貯金だけの状態で、友達の家に転がり込んだ。

家が見つかるまでの3日間は友達と共に過ごし、その後、実家から1時間半ほどの場所にあるシェアハウスに移り住んだ。
そこを選んだ理由は、ほとんどの家具家電は揃っていて、家賃も安く、初期費用がうんと抑えられたから。
住人とはほぼ顔を合わせることはなく、たまに共用部分で挨拶をする程度だったので楽だった。
ちょっと狭くて安いアパートに住んでるような感覚だったので、不便はなかった。

新しい仕事は引っ越してすぐに決まった。
ずっと密かに興味はあった、子供関係の仕事だ。
無資格でも始められるものを探して、学童の先生を選んだ。
学童とは、放課後の小学生を預かる場所。
宿題を教えたり、一緒に遊んだりする。
純粋で汚れのない子供たちは、何事にも一生懸命で、それに向き合うことはとてもやりがいがあって楽しかった。

その頃、学童と並行して、朝はラーメン屋、夜はガールズバーの3つのバイト掛け持ちしていた。
朝は仕込みのために6時出勤で、夜は長いと翌朝の5時まで。3つともある日は、それぞれの移動時間に1時間空きがあるくらいで、それ以外の時間はずっと働いていた。
それでもなぜか、苦じゃなかった。
全ての仕事が楽しかった。
その頃付き合っていた彼氏に、「なんでそんなに頑張るの?」と言われ、「全然頑張ってなんかないよ」と言った。なぜか頑張ってるつもりはなかったし、まだまだ頑張れると思っていた。今思えば随分おかしいけど。
そしてそのおかしな生活を1年半続けた。

シェアハウスは半年で退居し、広めの1Kの部屋に一人暮らしを始めた。
退居理由はなんと、ストーカー。笑
まあそれはまた後日別の記事にでもしようかな。

ーーー
そして大した貯金もなく、急いで(しかも無理して高めの家賃のとこに)引っ越したその1年後、鬱の波に飲まれて仕事も手離し、借金まみれの生活に一変した。

トリプルワークで稼いだお金は同年代の社会人の3倍ほどはあったはずなのに、貯金はとっくに底をつき、躁の時に借りた借金は返済できず滞納。仕事にも行けず収入もなく、たまにちょっと動けるときにガルバで稼いだ日払いの給料で、その日暮らしの生活を続けてなんとか生き延びていた。家賃も公共料金も払えず、水道やガスが止まった部屋で過ごすこともあった。
本当に、最低の生活だった。

そして、あの日家を飛び出してから2年が経った今日、私は実家に戻る。
大嫌いで辛くてしんどくて、早く逃げ出したいと思い続けていた、あの実家に戻る。

あの頃は、どんなに大変な生活でも、実家に住み続けるよりは絶対にマシだと本気で思っていたのに、今は、このドン底の生活から抜け出せるなら実家の方がマシだと思ってしまう。
悔しいけど、今の私にはそれが最善の策だった。

ーーー
「なんにも無くなっちゃった」

片付けを済ませ、空っぽになった部屋を見て呟く。
虚しく響いたその声を聞いて、なんとも言えない気持ちになった。

こんなはずじゃなかったのに。

異常なほどの親の呪縛から解放され、自由を手にした自分はなんでもできるものだと信じて疑わなかったあの頃。
なのに今の自分はどうだろう。
この2年間、数え切れないほどの壁にぶち当たって、本当にたくさんの事を経験して、それでもやはり、あの頃思い描いていた理想とは程遠い気がしてならない。

色んな自分を模索して、色んなことに挑戦していたあの瞬間は確かに輝いていたはずなのだけど、その時手にした物たちは全て空想だったような気もしてくる。

ーー
今の自分はまだ何者でもない。
その名もない何かに囚われて、ふわふわして、もやもやして、どうしようもなく、何者かになりたがる。
常に、何かを探して彷徨ってる。
そして私にとってこの2年間はきっと、ずっと何かを探してたんだと思う。

家庭環境のせいか、私は子供の頃から、誰にも頼らず「自分の力で幸せになりたい」という気持ちが人一倍強かった。
はやく自立したくて、はやく自分だけの力で生きられるようになりたくて、どんな仕事についたら、どんな生活をしたら、自分にとってより良い未来になるか、常に考えていた。

この2年間は、それをより現実的に、どうすべきか模索し続け、もがき続けた怒涛の日々だった。
その様々な経験の中で見つけた、私の中での揺るがない「確か」なことを、これからはもっと現実に近づけていきたいと思う。
どうしても、この期間の出来事すべてが、無駄じゃなかったと信じたい。

ここから切り替えて新生活。
リスタート。
これを読んでくれてるあなたも、一緒に日々を少しずつ進んで行けたらいいよね。
今日もお疲れ様。明日も頑張って生きようね。

そしてこれからも、頑張れ私。

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