見出し画像

S町の過疎問題(母校の閉校)をきっかけに変わった、S町での暮らし方・「町」との関わり方

私の暮らすS町の過疎問題について以前noteに思うことを書きましたが

そのことをきっかけに私自身がこれからS町でどのように暮らしたいか、日々の暮らしでS町とどのように関わることができるかを考えるようになりました。

私はもともと町内の小学校を統合して一部を廃校にしてしまうことには反対でした。小学校は子どもが集い、遊んだり学んだりする場として地域に必要不可欠ですから「小学校を無くしたらただでさえ深刻な少子高齢化がもっと進行してしまうのでは…」と危惧していたためです。どうにかできないものかと生後半年に満たない次男を抱いて小学校統合の説明会に行き、「廃校にするにしても子どもが集まれる施設にできないか」と役場の担当者に意見をぶつけたこともありました。

それから数カ月後、産休・育休中、そしてコロナ禍ということもあり平日も休日も町内で過ごすことが多くなり「息子たちと暮らすこの町で、何か自分にできることは無いだろうか」と考えるようになったのです。以前は役場に「どうにかしてほしい」と思っているだけだった自分にとって大きな変化でした。

S町の地域おこし協力隊として活動していた友人に相談し、子供向けの自然体験イベントを企画・開催しました。内容は火起こし→焚き火と、ライトトラップによる昆虫観察。学生時代に培ったことや森林インストラクターの資格を初めてS町で活かせた瞬間でした。

子供向けの自然体験イベントを開催した理由はこちらにまとめているので、お時間があるときにでも読んでもらえたら幸いです。


また、閉校する小学校の「学校施設見学会」に参加し、閉校した小学校を今後どのように活用していきたいか、どのような場所になってほしいと思っているかを話し、様々な方々との繋がりが出来ました。

閉校しなければ息子も通うはずだった母校の小学校。20年ぶりに息子と入ることができて感慨深かった。

思い返せば母校が閉校してから約1年の間にS町で「自分のスキルを活かせる機会」を得たり「町や地域をより良くしたいと思っている人々」と出会ったり、自分から行動すれば必ず自分にプラスになることが起きると実感できました。地元が過疎化していく様子や、自分が望まない方向に町が変わることをただ憂いて文句を言うのではなく、小さいことでも自分で動いて変えようとすることが大事だと気付くことで、今後自分がS町でやっていきたいことのビジョンが明確になってきました。

息子たちと一緒にこれからもこの町で楽しく暮らせるよう、積極的に動き、町の様々な事や人に関われたらと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?