約束をくれた時、死のうと思った。

約束を貴方がくれたから、
それだけでもう満たされてしまった。

約束を果たすと言ってくれたから、何かしらの結果でその約束が果たされても果たされなくてもいい。だってもう満してくれたから、結果なんてどうでも良くなってしまったよ。「約束できないことは約束したくない、謝罪の気持ちがないことは謝罪したくない」と泣きながらいう貴方だからこそ、心からその約束を信じることが出来たんだ。救う、救われるっていうのは結局一つの存在に救われるかどうかしかないんだと思う。救うってのも然り。

だから、昨日の朝、私もう死のうと本気で思った。こんなに恵まれていて、でもこんなに辛くて、それでも不完全さすら愛せるのならば、もう幕を降ろしてもいいんじゃないのかなと思った。満たされてこれ以上なにも求めるものなんてないと思った。

朝、死ぬか死なないかの瀬戸際だから仕事どころじゃないって思って、今死んでもいいのか本気で考えた。そしたらさ、今死んだら私自身が約束を果そうとしてないって事に気づいたから、その日は取り敢えず生きてみたんだよ。取り敢えず仕事行ってみた。
”満たされてこれ以上なにも求めるものなんてないと思った。”というスッキリとした気持ちとそれでも生きると選択した悲しい気持ちで心がやわやわだったけど、1日生きてみたよ。急に来た決断の時であんなに朝泣きまくってたのに、よく仕事もしたし、よく生きたよ。偉。


でもさ、その時に止まらなかった涙が既に答えでもあるんだよな。
あぁ、そんなに生きたいの?
満たされたのに、まだ他のものを求めるの?
強欲だね…。なんて自分を遠い目でみる。

一つ確かなことは、ずっと悲しくて駄々を捏ねていた心に安心と約束を貰えて、心の一部が満たされた時本当に死のうって思えたんだ。そのくらい救われたんだ。たった一度、貰えたらもうそれで満足だ。
だって、こんな幸せな事ない。ありがとう。あの一瞬で私は救われた。まさか、こんなタイミングで得られるとは思ってなかったな。

私も、約束を果たそう。
いつか来るお別れの時に、皆んな出来るだけ笑顔で別れられるように努力をしよう。

死ぬ代わりに、生きると決めた時、タトゥーを彫った。
悲しみも寂しさも、受け入れがたいこの世の摂理も、それでも大丈夫だよと安心をくれた証。忘れたくなかった。忘れてしまう事は免れないけど、無かったことにはしたく無かった。



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