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選挙に行ってほしい

自称老人の自分語り

自分は私立の中高一貫校(それもかなり過保護)のビニール栽培のような
環境で育った。
バイトは禁止だし、登下校中の寄り道も禁止(定期券内に秋葉原という
オタクの聖地があるにも関わらず平日は一切立ち寄らなかった)
男女の交際は自由だが、朝帰り等のいわゆる「そういう行為」を疑われる
ようなことをすれば即座に問題にされ自主退学を迫られるような、
そんな学校だった。
外部から見たらとても素晴らしい学校だったのだろう、私もそう思う。

大学生になって、地方から上京してきた人、浪人を3年して入った人、
50過ぎてからもう一度大学に入った人、いろいろな人に出会った。
バイト先では、親や家庭の事情、クラスのいじめなどで学校に行けず、朝からバイトをする子にも出会った。

自分の見てきたものだけで日本や世界が回っているわけではないと理解した。
そして「親の年収や学歴、中卒、高卒、不登校などのタグで人を差別したり、決めつけたりすることは愚かだ」ということを痛感した。

だらだらと書いているので一貫性がなくなりそうなので、
いじめ、誹謗中傷について少し考えてタイトルに戻ろうと思う。

家庭内のいじめ=DVと児童虐待
男女間のいじめ=DV、子供が生まれればそれも児童虐待につながる
学校内のいじめ=例の凍死事件
職場内のいじめ=ハラスメント
ネット上でのいじめ=誹謗中傷

どこを見てもいじめいじめいじめ、さすがの私も嫌気がさす。
でもこれが日本の現状。

嫌なことされた、でも身分が上の人だから言い返せない→じゃあコンビニのバイトさんに当たろう
嫌なことされた、でも相手がお客さんだから言い返せない→じゃあ家族に当たろう
嫌なことされた、でも相手は恋人だし普段は優しくしてくれるから我慢しよう
→いつしか「世間は私に死ねと言っている、今まで我慢してきた分他人に嫌がらせしてから死のう」
→上官射殺や無差別殺人

国民の代表の自覚もない政治家を当選させてしまっている時点で、だいぶ日本は傾いていると思う。
ただ、その責任は、自分たちが良ければそれでいいやと考えて投票する人、どうせ投票しても変わらないでしょ、と投票に行かない人、そして私自身も含め国民一人一人の責任だと思う。

他人の粗を探して悪口言っている暇があるなら、歴史と現代社会について
勉強して、自分の理想の政治をしてくれるような人を探して、投票に行ったほうがいい。
たとえ有効票にならなくとも、
自分をないがしろにすると政権がひっくり返ることだってあるということを、議員という立場は国民によって与えられているものだということを知らしめることができるはずだ。

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