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ニューヨーク在住 何歳からでも諦めない人生をデザインする心理カウンセラー・コーチ 平野さきです。

12月がやってきました!

今年はどんな12月になりそうでしょうか? 新しい出会いにワクワクする12月? 12月がお誕生日の方もいるかもしれません。または、大切な人と過ごす最後の12月、という方もいるかもしれません。

アラフィフ 独身の私ですが、今年の12月は、このアドベントカレンダーのおかげで、わくわくする12月になりそうです。カウンセリングを一緒に勉強している仲間達と、毎日一人ずつ担当を決めてブログを投稿。仲間のいろいろな思いを毎日読んでいくのが楽しみです。

12月といえば、たくさんの素敵なクリスマスソングがあるけれど、私としては、山下達郎のクリスマス イブは欠かせません。

さらに、ここ数年は、O Holy Nightの男性ソロ テノールバージョンが気に入っています。特に2番に向けて盛り上がるところが素敵(たまたまこの歌手しかYouTubeで見つかりませんでした。彼のファンというわけではありません)。

私はクリスチャンです。よって、クリスマスは盆や正月より一大イベントです。

ところが、”クリスチャン”って、実は私が一番使いたくない言葉。
なぜなら、言葉の意味があまりに誤解されているから。

クリスチャンって?


日曜日は教会へ行かなければいけない、膝をついて懺悔(ざんげ)する、微笑むマリア様を拝む、献金は必須、マントを着た牧師さんがいて、偉い人。などなど、クリスチャンと聞くと、そんなイメージを描くかもしれません。

これらはどれも、クリスチャンの私には当てはまりません!
それらは”カトリック”のキリスト教で、私が信じているのは、言うなれば”プロテスタント”のキリスト教。カトリックとプロテスタントは、猫と犬ぐらい大違いです。

私はニューヨークに住んでいますが、街でよく中国語で話しかけられます。こちらの人にとっては、中国人だろうが韓国人だろうが日本人だろうが関係なく、それは一括りで「アジア人」。よって、最近ニューヨークで問題になっていた「アジア人差別」は、日本人ももちろん対象です。

私にとっては、中国人か韓国人か日本人か、外見でも結構見分けがつくし、大きな違いがあるんだけどなぁ。

カトリックをプロテスタントはそのくらい違います、という例えでした。。

クリスチャンは宗教ではない

そもそも、私にとってクリスチャンであることは宗教ではないのです。
宗教ではなくて、「私と神様の関係」です。

カウンセラーお得意の「関係」、「パートナーシップ」

神様とのパートナーシップって何?

それは、全ての土台が「愛」の関係。

良いことをしたから、頑張ったから報われる、のではなくて、ただ愛されているから与えられる、自分も与える関係(これぞまさに、依存、自立、を超えた理想型の相互依存)。

神様は、私を、自分のひとり子(イエス キリスト)と同じくらい愛してくれています。自分のひとり子を犠牲にするほどに私を愛してくれていて、私の罪を拭ってくれて、私に永遠の命を与えてくれた(全く罪のないキリストが、私の罪の代償として十字架にかかって死んだ)。そのおかげで私の罪が全部許されて、永遠の命が与えられた(=天国))。

これって例えば、千円借りている友達から、「いいよ返さなくて。お前にやるよ。」って言われるようなもの。なんて心の広い友達なんだろうって思いませんか(笑)?

でも、神様が罪を全部贖ってくれたというのは、千円どころではなく、35年払いの数千万の住宅ローンや、何億の借金を帳消しにしてくれるようなもの。いや、それよりも、もっと偉大。

だって、あなたの全ての罪を許してくれたのだから。

え、どうしてそこまでしてくれるの?って戸惑ってしまいませんか?

なぜ帳消しにしてくれたかというと、それは、神様があなたのことをそこまで愛しているから。

なんでこんな自分を神様はそこまで愛してくれるの?

それは、神様があなたを創ったから。

例え、親には望まれて生まれてきた子でなくても、
神様はあなたを望んで創ったのです。

カウンセリングにおけるキーワードの一つ、「罪悪感」

何十年前の出来事や家庭環境などから生じた「罪悪感」が大人になった今でも自分の人格に大きな影響を与えていることが、カウンセリングではよく取り上げられますよね。

でも実は、神様はすでにその「罪悪感」を解決して下さっていたのです。
あなたの罪の代償として、自分のひとり子を犠牲にすることで。

そして、罪悪感と切っても切り離せない「無価値観」

これもすでに、神様は解決してくれていたのです。なぜなら、神様は自分のひとり子を犠牲にするほどに、あなたには価値を見出していたから。

そして、神様は、あなたが何度同じ間違えをしても、変わらずあなたのことを愛してくれるのです。

私の元彼は、愛想を尽かして私の前から去っていったけれど、
神様は私がどんなに悪いことをしようと、同じ間違いを繰り返しても、
決して私を捨てないで、許して、愛し続けてくれるのです!!!

これはまさに、「自己肯定感」

神様の愛に一番近いのは、恐らく人間の親子関係だと思います。
そう、無条件の愛。

でも、親だって、人間。完璧な親はいませんよね。
そして、親もいつかは死んでしまう。

どんなに素敵な家庭で、どんなに素晴らしい親に育っても、親の何気ない言動、仕草が子供にネガティブな影響を与え、大人になってもそれを引きずっていることはよくありますよね。カウンセリングで扱う問題の多くは、子供時代の親との関係が大きく影響しています。

でも神様は、一日24時間、いっときも離さず私を見守って、愛してくれている。

全力で神様を愛するって?


最後に、私の好きな聖書の句のひとつ。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい

マタイの福音書22章37節

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして誰かを愛するって、どういうこと?

それはきっと一生かけて見つけていくことかもしれません。ただし、一つ言えるのは、愛は感情だけではないんだなということ。

どんな仕事をしていて、どんな肩書きで、とこに住んでいて、どれだけ貯金があって、どんな家族がいて、、、、それらは結局いつか消え失せてしまう。でも、神様をどれだけ愛したか、それは、永遠の宝物になって、消え失せない、人生で一番大切なもの。日々の生活で私にとって何よりも大切なもの、です。

ちなみに私も、20歳でクリスチャンになるまで、自分がクリスチャンになるなんて想像すらできませんでした。家族でもクリスチャンは私だけです。

長くなってしまいました。
私たちがカウンセリングを通して考え、気づき、理解しようとしていること、それらはすでに、神様が私たちに与えていてくれたものなんだ、
というお話でした。

お読みくださり、ありがとうございます。

ニューヨーク在住 何歳からでも諦めない人生をデザインする心理カウンセラー・コーチ 平野さき

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