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言われた通り来たで山岡はん!本物の手取り13万はどこや?

1.SEをやめるまで

以前のエントリーでも書いたが、新卒で入社したSIer企業には14年まで在籍した。休職明けに配属されたデータセンター勤務は何だかんだで数年間は続いたのだが、
・ボロい施設
・月1でぶち込まれる夜勤シフト
・無意味な残業
・1円も上がらない給料
・社内研修の時に見るキラキラ本社勤務組・・・

その他もろもろに嫌気が差し、13年の4月に「今年いっぱいで辞めます」と上司面談で告げた。
上司は「この会社で嫌気が差すようなら他のどこでもやっていけないぞ、考え直せ」と返すだけだったが、(今ではこれもブラック企業の常套句となっているのは周知の事実だね)「いいえ必ず辞めます」と返し、そのまま淡々と1年間業務を継続し、翌14年初頭に改めて退職の意思が変わらないことを告げると、今度はあっさり諦めた。

次の就職先は特に決めていなかったし、転職活動をしてるわけでもなかった。とにかくもう全部面倒くさくなったので辞めたかっただけなのだが、これを上司に言うとまた何を言われるか分かったものではなかったので、
ここより給料良くて残業も少ない一流企業に内定出ました
と適当に言っておいた。
送別会は定年退職する他の人と合同での開催となったのだが、同僚でさえ、僕に向ける言葉は「そんなんじゃ他ではやってけないと思う」というニュアンスのものばかりだった。普通に考えれば、仮にも去っていく人にかけるべき言葉ではないし、社員のレベルの低さを嘲笑すべきところなのだが、当時はこの部署ではまったく歓迎されていなかったんだな、と悲しい気持ちの方が勝っていた。

辞めた後、民主化運動で変わってしまう直前の9月の香港に旅行したこと以外、再就職活動を開始するまでの記憶はあまり残っていない。旅行以外はよほど空虚な時間を過ごしたのだろう。
翌1月頃になるといよいよ貯金額が危険領域に突入したため、リクナビnextに登録して活動を開始したのだが、とにかく内定が出ない。7年もSEをやっていたのだからすぐ次が見つかるだろうとタカをくくっていたのだが、これが甘かった。
というのも、僕が勤めていたのは銀行等の金融系業務で使われる勘定系システム(メインフレームもしくは汎用機と呼ぶ)を開発する会社で、世間一般的には完全に時代遅れの技術であった。2015年当時、既に世のIT企業の大半は「Web系」と呼ばれるJavaやC#を使用したシステム開発に移行していたので、汎用機の経験しかないエンジニアは完全に「お呼びでない」状態である。
もちろん汎用機のシステムを開発するSIerも一定数存在するが、ほとんどは客先の業務にも精通している必要があるため、新卒一括採用で手厚い研修と長期のOJTを経て、生え抜きのお客様専用エンジニアを育成するのが定石となっている。中途はいらないのだ。
汎用機は無くならないので食い扶持には困らない!引く手あまた!
という記事を2007年に書いていた日経の記者、速やかに出頭してください

2.手取り13万の会社に就職する

かくしてIT系の企業に30社以上落ちてしまい、これはもう派遣登録をするしかないのか・・・と思っていた矢先、とある求人を見つける。

・IT機器・システムの選定、契約手続のお仕事!
・綺麗なオフィスで残業ほとんどなし!IT系の知識尚可!
・契約社員スタートですが、1年後必ず正社員登用いたします!

どういう仕事なのか全く理解できなかったが、とある超大企業の系列会社であり、安定性はありそうだ。とりあえずT社としておこう。ネットで検索しても取り敢えずブラックな話題は見当たらないので受けてみることにした。
筆記試験は普通の内容だったが、面接が極めて機械的な質問のみ(バイトで聞かれるような内容)だったのが引っかかった。
今思えば、疑うべきだった・・・

果たして無事採用となり、4月からT社に勤めることになった。
仕事内容としては、超大企業様で導入するIT資産の購入申請や、システム開発・発注にかかる契約手続、PCや携帯のセットアップを代行するというもので、いわば普通の情シスでやっている雑用を、わざわざ子会社に外出ししているようなものである。やはり超大企業は金の使い方がおかしい。
そんなの自分らでやれよという話にもなりそうだが、超大企業の社員様はあまりにも多忙でそれどころではないのだ。実際、いつ寝てるんだこの人?というくらい24時間常にメールが来る人とやり取りをしていたこともある。

さてここからがいよいよ本題なのだが、入社時点での給料は本当に最低賃金レベルであり、文字通りの「総支給16万円、手取り13万円」にまで転落することとなる。
もちろん求人でもその旨は明記されていたのだが、しつこいくらいに
「正社員登用後は正社員用の給与テーブルに移行・昇給します」
(モデル年収:25歳400万円)

と書かれており、僕の前年に入社した人もそうなったと言っていたので、とりあえず1年間ガマンすることにしたのだ。
その生活実態は以下の通りだ。

①ゲーム、本、服など趣味のものは買わない

とにかく可処分所得が少ない。家賃8万円、光熱費1万円、回線費1万円を払うともう3万円弱しか残っていない。ここから普通の食事をしてしまうと自由に使える金は1万円を切ってしまう。
「家賃高すぎだろ、5万の部屋に住め」と当時よく言われたものだが、首都圏で家賃5万円は築40年の風呂無しタコ部屋しか存在しない。

②ソシャゲも課金しない
記憶が定かではないのが、当時のソシャゲはまだ消費者庁に怒られる前で、「11連のガチャを回すと必ずSR1つ以上」のような制約がなく、すべてノーマルレアみたいな"ドブガチャ"みたいな仕様がはびこっていたように思う。なので、欲しいものを手に入れようとしてつい3回も回せばあっという間に1万円に到達してしまう。

③会社と家以外には行かない、立ち寄らない
定期区間外の駅で降りるだけでも交通費がかさんでしまう。どうしても欲しいものがある場合だけ、会社帰りに立ち寄る程度だ。

④食事は平日は2食、休日は1食。カップ麺のみ
①~③の費用を捻出するためには食費を削るしかない。
1日2食カップ麺にすることで月あたりの食費を1万円以下に抑えることが可能だ。

⑤携帯は最安値プランで契約
当時は確か無料通話分を限界まで削ることで3000円程度に出来るプランがあったので、それを使っていた。着信履歴に親しかいない典型的な非リアだったので、電話などいらない。

⑥上記を実践して、ようやく家計が赤字にならないかどうか

いかがだろう?読者の大半は、とてもこんな生活は出来ないのではないだろうか?確かこの頃、血迷ってラブライブの映画を入場者特典目的で周回していたはずだが、その分はすべて赤字である。
基本的には会社と家の往復で、カップ麺を食いながらPCゲームをやって過ごしていたが、どうしてもSEをやっていたころの生活スタイルが抜けず、貯金は更に減っていき、10月にはついに残高が20万円を切ってしまった。
とてもじゃないが社会人x年目の貯金額ではない。

幸い?にして仕事の内容は別にキツくなかったし、職場の人間もイヤミな奴がいなかったので、この点は救いであった。これで仕事がキツかったら速攻で辞めていただろう。
「4月になれば、4月になれば年収400万円になるんだ・・・!それまで耐えろ・・・!」と思いつつ年が明け、正社員登用の面談はまだかまだかと待ち続けていたのだが、3月になっても一向に話が来ない。
「あれ?おかしくね・・・?」と思い始めた3月の下旬、
「全社員に重大連絡がありますので貸会議室に集合してください」
と全社通達が発令され、そこで衝撃の事実が判明することとなる。

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