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休職という名の無職

新卒で入社して2年目、僻地に異動させられるわ仕事は更に忙しくなるわ、
ヤクザ上司「お客様より業務知識つけてて当たり前だからな?」
ということで、毎日の長時間残業に加え、生損保会社に入社した人が受講する「損害保険講座」というものを御茶ノ水まで受けに行かされたり、(ちなみに講義終了後、帰社して仕事をする)もう色々とイヤになってしまったので、6月に鬱病の診断書を貰い、休職することにした。

既に一人暮らしをしており、親には休職したことを伝えなかった。せっかく新卒で入社した会社が嫌になって休職したなんて知られたら、何を言われるか分かったものではない。とにかく表向きは「激務だが何とか耐えている」状態を演じることに徹した。

果たして、2年ぶりに好きな時間に起きて好きなことしかせず、好きな時間に寝る生活が戻って来た。11時頃に起きでひたすらアニメとゲームに時間を費やして3時や4時に寝る生活をしていると、9月頃にはすっかり心身共に調子が回復してしまった。
しかしここですぐ復職するほど真面目くんでは無かったので、どうせならクビになる期間ギリギリまで鬱病を演じ、会社にバレないよう遊び倒すことにした。2週間に1度心療内科に通院し、月一度の産業医との面談も終始陰鬱な顔を作ってこなした。

ツイッターを始めたのはこの年の11月だった。mixiでは全然知り合いが増えなかったので半信半疑だったが、今までのSNSでは一番他者とつながりを持てたし、今でも続いている唯一のツールだ。
色々な人と会ったり話すのが新鮮で楽しかった。大学時代は友達が皆無だったので、充実した時間を過ごすことが出来たし、社交性も大きく向上したと思う。ただ、もともと給与が低かったうえ、傷病手当は微々たる金額であったので、遊びまくっているうちに貯金はどんどん減っていった。
当時のフォロワーはもう数えるほどしか残っていないが、皆元気だろうか。結婚して所帯を持っている人が大半なのだろうか・・・。

さて、休職して1年経過する頃、産業医面談のあとに人事から呼ばれ、遂に「このまま退職するか復職するか選べ」と言われてしまった。親には隠し通したままだったので、このまま何事もなかったかのように復職できれば良かったのだが、

人事「じゃあ復職にあたって、ご両親に電話さしてもらうね^^」
僕「スイマセンそれだけは・・・勘弁してください(小声)」
人事「やだよ^^」

休職に入る時に連絡するならまだわかるが、何故復職時に連絡するのかまるで理解不能だったが、かくして両親に休職していたことがバレてしまった。
表向きは精神をガッツリやられて長期間休職していたことになっていたので、あまり強く糾弾はされずに済んだのは不幸中の幸いであった。

復職先以前よりは少し近くなり、本社から20キロほどのところにあるデータセンターとなった。ここもお世辞にも良い環境とは言えなかったが、なんだかんだでここでの勤務年数は5年を数えることとなる。

おわり

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