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イギリス映画「ベル: ある伯爵令嬢の恋」

とても興味深い映画を観ました。2013年に制作されて、翌2014年に公開された映画ですが、日本の映画館では公開されなかったそうです。

英語の原題は

Belle

2022年に日本で制作された細野守監督の「竜とそばかすの姫」の英語題名と全く同じ。

Belleで検索すると、今回見たイギリス映画が、日本のアニメ映画や「美女と野獣」と共に現れ、興味を持ちました。

邦訳と映画のポスターから、貴族社会における歴史的差別問題の映画で、黒人女性がその中で苦労した物語なのかと、視聴する前から早まった判断を下してしまいましたが、良い意味で思いもかけずに期待を裏切られました。

個人的には日本のアニメ映画よりもずっと深い感銘を受けたのです。

ダイドー・エリザベス・ベルとは

映画の主人公はムラート Mulatto。黒人との混血という意味です。

白人の父親に、奴隷貿易によってアフリカからカリブ海へと無理やり連れて来られた女性が彼女の母親。

主人公ダイドーがこのような長い名前を持つのは、彼女の父親が英国海軍の士官である貴族だからなのでした。

当時、奴隷とされた若くて美しい黒人女性は性奴隷としても取引されましたが、ダイドーの父親は、自分とアフリカ女性との間に生まれた女の子の存在を知り、母親の死後に女の子を引き取ります。

自分の子であると認知したのです。

当時のヨーロッパは海外進出に忙しく、ヨーロッパにはなかった砂糖のプランテーションの中心地である、カリブ海のハイチやジャマイカなどはヨーロッパに無尽の富をもたらす宝島のようなもので、イギリスやフランスは海軍を送って利権獲得にしのぎを削っていたのでした。

トマ・アレクサンドル・デュマ (1762-1806)

18世紀の欧州史に少ないながらも有名なムラートが幾人か存在します。

わたしがよく知り関心を持っているのは、フランス革命期の将軍だった文豪アレクサンドル・デュマの父親。

彼もまた映画の主人公同様に、貴族の父親に黒人女性を母に持った人でした。

トマ将軍は、アレクサンダー大王に憧れたナポレオンの有名なエジプト遠征に従軍し、やがて対立。袂を分かって戦線離脱するも、フランスへの帰路、南イタリアにおいてナポリ王に捉えられて、その後2年間も獄中に捨ておかれて、フランスに帰国した時には、変わり果てた人となっていたのでした。ナポレオン全盛期の1801年のこと。やがてナポレオンに疎まれたトマ・アレックスは失意のうちに亡くなったのでした。

息子アレクサンドル・デュマの「巌窟王」として知られる長編小説「モンテクリスト伯」は、主人公が無実の罪で投獄されて、脱獄して自分を罪に陥れた敵に復讐する物語。

父親の無念が物語の中に投影されています。

ジョゼフ・サン=ジョルジュ (1845-1799)

音楽の世界には「黒いモーツァルト」として後世知られるようになるジョゼフ・サン=ジョルジュがいました。

モーツァルトの同時代人。

やはりフランス貴族の父親を持ち、カリブ海出身の黒人女性を母親に持ったサン=ジョルジュは、フランス革命期前のパリで剣とヴァイオリンの達人として知られた人でした。

音楽家として、ゴセックという当時のフランスで最も知られた交響曲作曲家に認められ、ゴセックの組織した管弦楽団を委ねらるほどで、フランス王妃マリーアントワネットの寵愛さえも受けるのです。

ヴァイオリンの名手で、管弦楽団のコンサートマスターを務めた彼は当時のフランスで最も人気の高い音楽家でした。

パリ滞在中のモーツァルト (1756-1991)とも面識があったことは確実です。

モーツァルトの有名なパリ交響曲 K.297 はサン=ジョルジュの率いる管弦楽団によって初演されているのですから。

サン=ジョルジュが作り出した音楽的新ジャンルの協奏交響曲(Suymphony Concertante)における大傑作をフランス滞在時 (1778) にモーツァルトは手掛けています。

現在では2曲が現存しています。一つは管楽器のための作曲 K.297b。原曲の楽譜は失われ、第三者の手になる編曲版が後世に伝えられています。スタイルはサン=ジョルジュのそれを踏襲したもの。

もう一曲はヴィオラとヴァイオリンのための競争交響曲K.364。モーツァルトの中期の最高傑作として知られる音楽です。

この曲はサン=ジョルジュ作曲の一連の協奏交響曲に酷似したスタイルの音楽なのです。

文武両道のサン=ジョルジュは、やがて貴族で武人であるがためにフランス革命の戦乱に巻き込まれます。

トマ・アレクサンドル将軍のように、軍を率いてカリブ海などを連戦。戦争の中で肉体的に消耗しつくしたサン=ジョルジュは最後にはパリに帰り、19世紀の到来を直前にして死去。

華麗なヴァイオリンの調べがお好きな方はサン=ジョルジュの音楽をお好きになられるはずです。

モーツァルトに匹敵するヴァイオリンの名手だったサン=ジョルジュは再評価されてしかるべきな18世紀の音楽家なのです。

わたしの大好きな音楽家です。

剣を手に持ち、背後には楽譜と弦楽器。
騎士の称号を与えられたサン=ジョルジュは剣技と音楽の達人でした。

ジョージ・タワーブリッジ (1778-1860)

タワーブリッジはカリブ海バルバドス出身らしい黒人男性を父にもつムラート。父親はハンガリーのエステルハージ侯爵に仕えた人でしたが、侯爵家で認められ、ドイツ人女性の家政婦との間にジョージを得たのでした。

エステルハージ家はかのヨーゼフ・ハイドンが音楽監督を務める欧州屈指の名家。

その縁なのかは存じませんが、タワーブリッジは幼少より音楽教育を与えられて、遠征旅行を開き、イギリスにおいて後のジョージ4世となる英皇太子に認められ、彼の地で音楽家として育成されたのでした。

タワーブリッジは1802年に休暇を与えられて、ドイツへと赴き、演奏旅行を各地で開きます。ドイツは母親の国です。

ウィーンにおいて、ルードヴィヒ・ベートーヴェンと出会います。

演奏会におけるタワーブリッジのヴァイオリンの妙技に惚れこんだベートーヴェンが彼のヴァイオリンに触発されて作曲したのが、ベートーヴェンのヴァイオリン音楽の最高峰「ヴァイオリンソナタ第9番・クロイツェル」作品47。

大変に技術的にも表現においても難解な音楽。

この曲はブリッジタワーに献呈されますが、その献辞には冗談めかして

気分屋の混血のためのソナタ(Sonata per uno mulaticco lunatico)」

と書かれていたそうです。イタリア語でムラティーコ mulaticcoで混血。

二人は公開初演を行うなど、当初は友好な関係を結んでいたのですが、やがてある女性を巡るやり取りから決裂して絶交するに至ります。

タワーブリッジへの献呈を取りやめて、当時のウィーンで活躍していたフランス出身の高名なヴァイオリニスト、ロドルフ・クロイツェル (1766-1831)に献呈することにしたのでした。

クロイツェル自身はベートーヴェンの難曲を実際に弾くことはなかったとか。

ベートーヴェンの伝記には必ず書かれている有名なエピソード。

後にロシアのレフ・トルストイが「クロイツェル・ソナタ」という小説を創作します。聴き手を興奮に誘う恐るべき音楽として作者トルストイはベートーヴェンの音楽を断罪します。

確かにこんなに聴きながら血湧き肉躍る音楽は数少ない。

この小説を読んだモラヴィアのヤナーチェクは弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」を作曲。

ムラートのブリッジタワーがベートーヴェンに与えた霊感インスピレーションは後世に大きな影響を与えたのでした。

18世紀から19世紀にかけてのムラートは他にもいるようですが、わたしが殊に興味を持っているのは上記の三人です。

史実に基づいたとされる映画「ベル」

さて映画に戻ると、主人公ダイドー・ベルは1761年に生まれて、1806年に44歳で亡くなった実在の女性。結婚して子宝にも恵まれて、幸福な生涯を送られたようです。

映画はその幸福を見つけるまでの物語。

このムラートの女性が歴史的に意味深いのは、彼女を引き取った貴族の家庭というのが、イギリス屈指の伯爵家だったことです。

ダイドー・ベルの父親の伯父は、当時のイギリスの法曹界の重鎮で高等最裁判官のマンスフィールド伯爵 Earl of Mansfield でした。

イギリスの伯爵といえば地方領主も同然。

小公子セディの祖父はドリンコ―ト伯爵で、その権勢はその地方の隅々にまで及ぶようなものでした。「長靴をはいた猫」の貴族の鬼が辺り一帯を支配していたのと同じです。

この土地はどなたのもので?

伯爵さまのものでございます。

というやり取りが童話にあるように、伯爵の権力はものすごいものだったのでした。

その伯爵家に引き取られたのが、素性の知れぬ黒人女性の娘。

しかしながら、人格者である最高裁判事のマンスフィールド伯爵は、ダイドーの娘の「姉妹」としてダイドーを養育します。

当時の女性としては最高級の淑女の教育をダイドーは与えられるのですが、当時の社会的しきたりゆえに、貴族を招いた正式な晩餐には出席を許されず、また召使でもないという存在。

Too High in Rank to Dine With the Servants(使用人と食事を共にするには身分が高すぎて)
 but Too Low to Dine With My Family(家族とともに食事をするには低すぎる)

他人の目のないところでは家族そのもの。でもひとたび社交の場に遭遇すると、いわれのない差別を受けたのです。

肌の色による人種差別は、当時のヨーロッパにおいての常識、そして貴族の良識でした。

映画はやがてダイドーの恋を絡めながら、最高裁判事が世界で最初に有色人種を人として認めた判決を下したという、奴隷貿易船における保険金詐欺問題に焦点を移してゆきます。

積み荷としての奴隷投げ捨て訴訟

当時の英国は植民地支配と奴隷貿易によって栄えていました。

奴隷は商品であり、アフリカなどから仕入れた商品である(アフリカ諸国の富裕層は自国民を奴隷としても売り払っていたのです)奴隷を、イギリスの商船は欧州の各地へ運び、売り払っていました。

奴隷は買い取られた商品なのです。

古代ギリシアの諸都市やローマ帝国では、戦争捕虜による奴隷制が存在しましたが、当時のギリシアではやはり奴隷は労働をする家財として手入れされ、品質管理される存在でした。

鞭で打ったりするなどすると、大事な財産に傷がつきます。奴隷とは所有物でした。

家畜にも似ていますね。家畜を家族同様に大事にする人もいれば、消耗品として雑に扱う人もいる。でも大切にしていると長持ちする。

18世紀の欧州においても事情は似たようなものでしたが、問題となった商船では、奴隷を積み荷として保険にかけていたのです。

わたしには奴隷に保険が掛けられるということさえ初耳でしたが、そういう保険制度が18世紀後半の英国には存在していたのです。

問題の事件は、保険のかけられた積み荷の奴隷の扱いについて。

奴隷は商品ですが、家畜のように生きているので品質管理が大切。サトウキビから精製された砂糖を取り扱うよりも複雑です。人なのですから。

ですが衛生環境の悪い当時の航海においては多くの黒人奴隷が運搬中に病気になったり、死んでしまうこともありました。

航海の常識では、嵐で沈没に危機に瀕したり、積荷が航行に悪影響を与えるような時には大事な積み荷を捨てるものです。

その同じ感覚で、くだんの奴隷船は長い航海中の水不足のために、病気になった奴隷を海に捨てたというのです。

保険金がかかっているので、無くなっても困らないと皮算用したのでした。ここで詐欺の疑いが持ち上がります。

病気の奴隷を連れて行っても、高くは売れない。ならば死んだことにして保険金をせしめる方が得であると。

保険会社は、詰め込まれた奴隷の半分ほどが海に投げ捨てられた (Jettisoning slaves) ことで発生した多額の保険金の支払いを拒否。

ここで裁判となり、複雑な裁判は上告されて最高裁にまで持ち越されるのです。

問題になったのは「水不足は本当であったか」ということ。

海に奴隷を投げ捨てたという行為への人道的配慮は皆無でした。それが当時の常識です。

史実ではないの映画の創作ですが、映画では主人公ダイドーと彼女の思い人である法科学生の活躍において、ダイドーの「パパ」であるマンスフィールド伯爵は世紀の判決を下します。

判事マンスフィールド伯爵は奴隷船会社の上告を退けます。

水を奴隷に与える機会はいくらでもあった。

保険会社には航海上における奴隷の損失への支払い義務はない。

奴隷は生きている、奴隷もまた人である、という判決でした。

映画を見ていて、この Though the heavens fall (正義が成されるべきである、天が落ちてくるとしても=この後、どうなってゆくのかわからないけれども)という表現に心打たれました。

法律家は前例を作ってしまうことに非常に慎重です。

ここでこういう前例が生まれたのです。

「肌の色が異なっても人である」と。

法律の世界ではよく知られているようですが、今の今まで、わたしの知らなかった言葉でした。

当時としては画期的な判決。

判決主文では、奴隷を海に投げ捨てたという、現代の基準に照らし合わせるならば、非人道的犯罪行為においては全く断罪されることはなかったのですが、これがイギリスにおける奴隷制度廃止への第一歩となったのです。

そしてこの判決は、ムラートのダイドーと共に暮らしていたマンスフィールド判事だからこそ下されたのだと、歴史家は評価します。

ビートルズの街のイギリスのリバプールは、17世紀18世紀には奴隷貿易最大の中継地点として栄えました。

その繁栄は18世紀も終わりにようやく終わりを告げることになるのです。

やがてはイギリスにおいては労働力の不足という深刻な社会問題を生み出し、産業革命のために大量の人出を必要としたロンドンなどの都会は地方労働者をメイドなどとして雇い入れるという新しい社会の仕組みを作り上げます。

19世紀のメイドや肉体労働者の生活はあまりにも過酷なものでした。こどもたちも大量に働かされました。黒人奴隷のいなくなった英国は新たな差社会問題を抱え込んでゆくのですが、奴隷制度はアメリカ合衆国よりも早くにイギリスからはなくなってゆくのです。

恋愛映画としてのBelle

わたしがこの映画に感心したのは、マンスフィールド判事の歴史的判決に対してですが、邦訳が「ある伯爵令嬢の恋」とされているように、きっとほとんどの人は恋愛映画として、この映画を楽しまれることでしょう。

わたしももっと若かったならば、この若い二人に深く共感したのかもしれません。

素晴らしい名言の宝庫の映画、幾つか印象的な言葉を抜き出してみます。

I love her with every breath I breathe

自分の命の全てにかけて、彼女を愛している
(直訳:自分が息するあらゆる呼吸において、彼女を愛している)
「呼吸の全てにおいて」とは「自分が生きている限り」という意味になります

One Does Not Make a Wife of the Rare and Exotic

紳士は物珍しいとかエギゾチックとかいう理由で妻を選ばぬものです。

My greatest misfortune would be to marry into a family that would carry me as their shame

私の最大の不幸は、わたしの存在を汚点であると見做す家族に嫁いでいくことよ

I love you for all that you are and with all that I am 

あるがままの君の全てを、自分が自分である全てにおいて、君を愛します

とてもロマンティックな恋愛映画でもあるのです。

人種差別の歴史問題などに特に興味を持たない方でも、ジョン・デヴィニエとダイドー・エリザベス・ベルの若い二人の恋物語としても秀逸な映画。

ダイドーが幸運だったのは、彼女を受け入れくれたのがマンスフィールド伯爵家だったこと。

当時としては異例な、黒人女性ダイドーが白人女性の従妹と平等な存在として描かれている肖像画の存在します。

18世紀にこのような肖像画が書かれたことは本当に異例なのでした。

映画の中にも出てくる若い二人の肖像画は伯爵家に極秘に伝えられていて、21世紀になって一般公開されるようになり、映画化が実現したのでした。

伯爵家に残されていた肖像画

あとひとつ、非常に印象的だった言葉。

It is not in my repertoire to keep company with beasts!

黒い肌であるという理由から、ダイドーを淑女扱いしない、無礼な婚約者の兄に言い放つ言葉です。

わたしはレパートリーというカタカナ語になっている言葉、Repertoire [répətwὰː] というフランス語由来の英単語を頻繁に使いますが、こういう使い方を聞いたのは初めてでした。

カタカナで英語的により正確に書くならば、パトワですね。

ダイドーは

野獣と御一緒するなどという芸は、わたしのレパートリーには含まれていませんわ。
拙訳

礼儀知らずな男と一緒に時間を過ごすことを特殊技能か何かに喩えているのです。

ダイドーの教養の高さを垣間見ることのできる素晴らしいセリフです。今後是非とも使ってみたいですね。

長かったですが、読んで下さってありがとうございました。こうして感想をアウトプットすることは自分にとっての意義あるNoteの使い方です。

映画「ベル ある伯爵令嬢の恋」は素晴らしい歴史映画です。全ての方にお勧めいたします。美しいイギリス英語と美しいドレスの数々。まるでジェーン・オースティンの恋愛小説のような世界ですよ。

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