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モダニストになりえなかった詩人作曲家シベリウス

デンマークのカール・ニールセン(ニルセンがデンマーク語としてはより正しい。ニールセンは英語読み)を、作曲家個人の独自の作風である、尖ったリズムと耳に心地よくない旋律を強調するモダニズムな音楽を信奉した作曲家として、前回は紹介いたしました。

ニールセンをどれだけ聴いても、北欧の一番南に位置する国である美しいデンマーク情緒などサッパリ感得することはできないのです。

国民文化性とモダニズム

かつては七つの海を支配したという典型的な勇猛なヴァイキングの末裔らしさを彷彿とさせる攻撃的な音楽ではあります。でもそれをもってデンマーク的というには無理があります。

日本の作曲家が戦闘的な音楽を書けば、武士的というのとは違うのと同じです。

ニールセンはデンマーク音楽の作曲家として認識されることよりも、新しい時代である二十世紀音楽の作曲家となることを選んだのだなと外国に長年住んで、文化的に無国籍な生き方を選んでいるわたしはそう思います。

ニールセンは徹頭徹尾、我が道をゆくモダニスト。

デンマークの詩に音楽をつけた曲でさえ、陽性で鋭角的な個性溢れるニールセン節が北欧情緒を損ねてしまう。

十九世紀後半にヨーロッパ中を席巻したナショナリズムの波に乗って、国民楽派という国民文化を前面に打ち出した芸術音楽がたくさん作られました。代表はノルウェーのグリーグやチェコのドヴォルザーク、スペインのファリャなど。

近代音楽促進運動の旗手であったフランスのクロード・ドビュッシーさえ、最晩年には、よりフランス的な音楽を書こうなどと思い立ったものでした。

最晩年に書かれた、真にフランス的な音楽と作曲家が呼んだヴァイオリンソナタやフルートとヴィオラとハープのためのソナタなどは、ドビュッシーの最高傑作と見做したいくらい。

フランス語の発音のように上下する抑揚のない音の世界。でも平面的な音楽の中からなんとも言えない抒情と詩情が溢れ出してくる。

ドイツ的な力強くて分厚い音の立体的な音楽は叙事的なのです。

和声の革命家ドビュッシーは芸術音楽の世界が転換する境目の第一次世界大戦の半ばに他界していますが、その先の時代を生きたニールセンはドビュッシーが晩年に傾倒した国民文化的な表現を重んじる風潮とは少し距離を置いた人だったのでした。

でもニールセンはドイツ的な構築性に富んだ音楽とは全く別の音楽を書いたのでした。

シベリウスの場合

ドビュッシーが世を去った1918年前後に、自分自身の進むべき道を模索していた作曲家にニールセンと同年生まれのジャン・シベリウス (1865-1957) がいます。

しかしながら、ロシア支配への抵抗を象徴する音楽となった愛国音楽フィンランディアや英雄的な第二交響曲(どちらもシベリウスの最も有名で大人気な音楽)を創作したために、フィンランド独立運動とナショナリズムの旗頭として若くして国宝扱いされ、政府より音楽活動に専念できるようにと生涯年金さえも支給されたシベリウスは、ニールセンとは違って、全面的にモダニズムにその身を投ずることはできずにいたのでした。

シベリウスの音楽は前期と後期で大きく様相を変えてしまいます。

国民楽派的な前期と、モダニズム的であろうとした後期と。

実験的な音楽をピアノ曲などで試すのは多くの交響曲作曲家の習いです。

引用した上記のフィンランディアのピアノ編曲版は作曲家自身の手になるもの。ピアノ音楽としてオーケストラ版とは異なる響きの表現が溢れていて素晴らしい。

シベリウスはグリーグの叙情曲集に似せたようなロマンティックなピアノ小品を生涯を通じて商業目的にたくさん作曲していますが、その理由は第一次世界大戦中にフィンランドは欧州から孤立してシベリウスの収入は激減して、やむにやまれずアマチュア向けのピアノ小品を量産する必要に迫られたからでした、

交響曲しか耳にしないクラシックファンにはあまり知られていないかもしれませんが、日本でもピアノ学習中級者向けに全音出版社からピアノ譜が幾つも出版されています。

強面の作曲家の肖像画からは思いもつかないような愛らしいワルツやわかりやすい表題付きの音楽ばかり。

作曲家自身は生活に追われて作曲した作品であることに引け目を感じていたようなのですが、どこか同じ交響曲作曲家ベートーヴェンがナポレオン戦争のために収入源を失い、スコットランド民謡を編曲したりして糊口をしのいだ事情によく似ています。

作曲動機が如何なるものであろうと、シベリウスの小品のいくつかはわたしの愛奏曲です。シベリウスの明確な個性が全ての作品の単純な音の中に刻印されているからです。

最も有名なのは「モミの木 The Spruce」を含んだ「木の曲集」でしょうか。

フィンランドに自生する樹々を描いた表題的な音楽。でもリヒャルト•シュトラウスの外面的な音による描写とは異なり、そういう樹々を見た人の心象風景のような音楽。

ちなみに「花の曲集」も書かれています。

しかしそうした十九世紀的ロマンティシズムの作品とは別に、やはりシベリウスはモダニズム実験的なピアノ曲もいくつか手掛けています。

次に紹介する作品41などは、アマチュアが弾くには相当に骨が折れる作品です。

シベリウスのモダニズム作品: 「キュッリッキ組曲」とソナチネ

シベリウスの死後、上記の一連のピアノ曲は交響曲作曲家の余暇の仕事なのだと過小評価されていた頃に、忘れ去られていたシベリウスのピアノ曲を録音することで世界中に知らしめた演奏家がいました。

カナダの鬼才グレン・グールド (1932-1982) です。

雪景色がよく似合う極寒の世界を愛したグールドのシベリウス曲集のジャケット

もちろんグールドが選んだのは、愛らしいロマンティシズムあふれる小品集ではなく、シベリウスが実験音楽的にモダニズムな響きを求めて書いた大衆受けしない作品ばかりでした。

変人奇人ピアニストのグールドは、十二音技法のシェーンベルクのピアノ曲をこよなく愛したほどに誰よりもモダニズムな音楽を支持信奉した演奏家でしたので、シベリウスのモダニズムな作品の本質を理解して、こよなく愛して普及に努めたのでした。

わたしはグールドのシベリウスを初めて聞いた時、あまりに自分の知っているシベリウスとは違うことに大変に戸惑ったものでした。

コンサート活動から完全に身を引いて録音だけで知られるようになったレコーディングアーティスのグールドのシベリウス録音は、作品の録音としても、もちろん同曲の世界初録音。

そしていまもなお、グールド以外のピアニストでこれらの曲を演奏会で取り上げるということはほとんどないという作品。

録音されるとすればシベリウスのピアノ全曲録音などの企画が組まれた時などだけ。一般ウケしない作品ですから。

作品41第二曲目の終結部。
トレモロの同形反復が三曲全てに執拗に現れて
キュッリッキの不安を音で表現しているかのよう
非常に独特な響きの音楽。
フィンランド叙事詩のカレヴァラに題材を取った作品ながらも
標題音楽ではないのです
英雄レンミンカイネンは略奪によって無理やり
名家の美人キュッリッキを娶りますが、夫婦となったのち
踊りに行ってはならないという彼の言葉を守らなかったという理由から、
レンミンカイネンは彼女を離れてゆきます。
レンミンカイネンがそもそも勝手に家を空けて
彼女を独りにしたことが間違いであるのに。
そういう不安な関係を音にしたと言えるでしょうか
第三曲目冒頭の半音階
こういう実験音楽をシベリウスはピアノ曲において試みていたのでした

作品67の三つのソナチネも、グールド以外のピアニストはほとんどレパートリーに加えることのない音響の実験のような不思議な音楽。

冒頭は白紙の楽譜の上に単音ばかりが書かれていて、こうした単純な音符が並んでゆきます。

楽譜は余白だらけ

音の途切れる空間に独特の音楽的世界を垣間見ることができるという作品。

グレン・グールドが注目しなければ、誰からも見向きもされなかった作品かもしれません。シベリウスの自伝を読んでもこの曲のことなど全く言及されていませんでした。

音符は単純だけれども、この単純な音に音楽を感じさせるような緊張感をどれほどのピアニストが作れるのでしょうか。初心者には演奏不可能。

ある意味、大変な難曲です。

音符のない余白がたっぷりな楽譜。

ニールセンやリヒャルト・シュトラウスのような分厚い音をシベリウスはほとんど使わない。

シベリウス独特の憂愁と孤独な情景の音楽は、こうした少ない音符の使い方と休符の使い方からから生まれるといえるのでは。

どこかシベリウスが大変に尊敬した、当時は過小評価されていたオーストリアのアントン・ブルックナーの音楽に通じます。

誰も書かなかったような音楽を、シベリウスもまた、このように模索していたのでした。

グールドとは違った速いテンポの解釈では次のアンスネスの演奏がいいです。

二つを聴き比べると、全く違う曲のような印象を受けるほどに音楽表現が違う。

シベリウスを得意として全てのピアノ曲を録音しているノルウェーのアンスネス (1970-) の演奏はアヴァンギャルドでグールドはマニエリスムでしょうか。

シベリウスの個性の確立

交響曲第三番から第四番に向かう頃に、シベリウスは自身の個性をあからさまにする音楽をようやく体得したのだと言われています。

1907年にオーストリアの大指揮者兼作曲家だったグスタフ・マーラーとヘルシンキにおいて会見を持った頃のことです。

マーラーの死の年1911年に完成した第四交響曲作品63 (上記ソナチネと同時期の作品) は真にシベリウスらしさが音楽となって表現された作品でした。

あまりに晦渋で大衆拒否などと批判されがちな音楽ですが、長く暗いフィンランドの冬の情景を心象風景にして描き出したシベリウス全作品の中でも最高傑作の一つとなりました。

ソナチネ同様に楽譜には空白部分が目立つ室内楽的な音楽でありながら、とてつもなく深い作品。

一聴して陰鬱な作品に思えるのですが、暗く沈んだ世界に深い抒情美がこぼれ落ちてくるような作品。情景音楽として解釈するならば、冬のフィンランド。わたしはこの曲を愛して止みません。

交響曲第五番という音楽

旧ユーゴスラヴィアのサリエボにおけるオーストリア皇太子殺害事件を端に発した第一次世界大戦が1914年に勃発して、世界が大きく変容してゆく中でシベリウスが次に取り掛かったのが交響曲第五番変ホ長調でした。

現在では大変な人気曲として知られるシベリウスの代表作なのですが、実はわたしはこの曲をあまり好きではありませんでした。

愛国的で英雄的な第二交響曲同様に、随分とシベリウスにしては外交的な作品であること、変ホ長調というベートーヴェンのエロイカ交響曲や皇帝協奏曲に通じる音色ゆえか、非常に情熱的で推進力があり、わたしにはシベリウスらしさを長年十分には味わえないでいたのでした。

評論家は作曲家の最高傑作の一つでありと語り、寡黙な勝利の歌や溢れる詩情が素晴らしいという。

でもわたしにはこの曲は長い間、謎のままでした。

日本の評論家たちが異口同音シベリウスらしいと称えるフィンランドの指揮者ベルグルンドの新旧の録音を聞いても自分にはピンとこないのでした。

抑制され過ぎていて、どこかこの音楽の本質が演奏に表現されていないような印象を受けて、どうにも不完全燃焼な音楽に思えていたのでした。

しかしながら、現在知られている第五交響曲の完成版は1919年のもの。

本当は第一次対戦中の1915年に作品は完成されていて初演されていたのに、その後四年の戦争中の歳月を費やして現在知られるヴァージョンの最終稿へと書き換えられたのでした。

第五交響曲の初稿版は、現在では録音や実演で耳にすることができます。

わたしはつい先ごろ、この第一稿を聴いて、これまで理解しえなかった第五番交響曲への評価を改めました。

完成版を聴きなれた方の耳には、初稿版における音楽の方向性の違いはすぐに気が付かれるはずです。

まず外面的に、1919年の完成版は三楽章形式なのですが、1915年版は伝統的な交響曲に準じる四楽章形式。

しかしながら、違いは断然、内容の方にあるのです。

完成版の魅力はベートーヴェンの交響曲のようなドラマティックな音のドラマ。

激しい音のぶつかり合いとも呼べる筋肉質な音の展開を聴くことができます。明らか作曲家は終結部のクライマックスに向かって進んでゆく音楽を書いていた。

シベリウスの音楽には、楽譜に白い余白部分が多いと書いたけれども、完成版はシベリウスらしい余白がとても少なくて楽譜の多くは黒く埋まっている非常に密度の濃い音楽なのです。

しかしながら、完成版が初稿版を改訂することによって生まれる前の最初の頃の交響曲は、そういう音楽にはまだなり得てはいなかったのでした。

つまり余白が多かった。

オーケストラの音というのはいろんな楽器の音を重ね合わせることで複雑で多彩な音を作り上げるのですが、初稿版の音は淡いのです。

完成版では全ての弦楽器の合奏による力強い音の部分も、初稿版てはフルートだけだとか、色彩的に非常に異なり、それがとても詩的な音楽にわたしには思えるのです。

いわば1915年の初稿版は水彩画のような淡い音の世界、1919年の最終稿は分厚く濃く塗り固められた油彩のような立体的な音の世界。

筋骨逞しい推進力溢れる完成版の構成の完璧さに1915年版は欠けていて、音の余白の多さと管楽器主体の薄いオーケストレーションのために、とても幻想的な印象を音楽は与えるのです。

曖昧模糊な響きの方がポエティックなのですから。そして詩情こそはシベリウス音楽の本質であるとわたしは思うのです。

第五交響曲初稿版は淡い楽器の音色の室内楽的な響きゆえに、白鳥が湖面を漂っているような詩情が初稿版においてより見事に表現されています。

まさに太陽が差し込んでくる直前のフィンランドの夜明けの音楽。

陽の光がすこしづつ冷たい世界を照らし出してゆくイメージ。淡い分厚くない音だからそう思えるのです。

初稿版を聴いて、どうして完成版からシベリウスらしさを感じられないでいた疑問が氷解したのでした。

完成版の冒頭、同じ夜明けにしても、力強い管楽器の合奏から開始してあっという間に太陽が顔を出したような推進力ある音楽。より強い音で表現される強靭な意思に溢れる音楽に改変されていると言えるでしょうか。

このCDジャケットの朝の陽光を照らし出した湖上を白鳥が漂う感覚を
初稿版の第一楽章は表現しているように思えます。

叙事詩カレワラに題をとった「トゥオネラの白鳥」という音楽がシベリウスにありますが、あの名作をもっと生命力あふれる希望一杯の音楽にしたようなのが、初稿版の第一楽章。

初めて聴いた時、作曲家が本来意図していた詩心溢れる音楽にようやく出会えた思いに満たされて音楽に聴き惚れました。

完成版の第一楽章後半に含まれる初稿版の第二楽章の終わり方も完成版ほどに劇的ではなく、それがまたシベリウスらしい。

シベリウスは奥さんのアイノに、自分は音の詩人なのだと語っていたほどなのですから。

非常に感動的な音のドラマを持つフィナーレは勝利の歌とも解釈できるドラマチックな音楽なのですが、楽器の音の淡さゆえに、盛り上がり方が穏やかで、より寡黙な静謐な物語のよう。

フィナーレ後半の陰りも完成版の方が圧倒的にドラマチック。

でも初稿版は響きが研ぎ澄まされていない、冬の太陽が差しているような薄明かりの中の未完成な美しさがわたしには好ましい。

フィナーレは何度も変ホ長調のミーシーミーという五度音程の地味なファンファーレが鳴り響いてゆく中、悲しげな白鳥の飛翔する様を描いたような木管の調べが弦楽器のさざなみと交差します。天頂を目指して登る太陽のような音楽。

初稿版には完成版では割愛された美しいエピソードが聴けることも素晴らしい。

でも統一感という観点からは、そういう脱線的な部分は削除されるのが正しい。

推敲というのは難しいものです。

完成度は、最終的に出版された1919年の最終稿の完成版の方が優れていると言えますが、初稿版には完成版にはない、重なり合う管楽器の甘い調べから生み出される淡い詩情がいっぱいで、どちらにも一長一短があると言えるでしょうか。

完成版で誰もが耳をそばだてる不思議な終結部の和音の進行(トニックとドミナントが不規則に何度も繰り返される)も、初稿版では盛り上がってクライマックスのまま、ただ一度のカデンツ(ドミナントからトニック)で終わります。でも完成版はその上に不思議な和音が連続して聴かれるのです。

ピアノ編曲版の終結部
No Strettaは最後の部分を加速するなという指示
FFFという最強音で和音が鳴らされるも
何度も何度も途切れてなかなか終わらない
ハイドンの好んだ冗談の偽の終結部のようで場違いな印象を受けます
シベリウスの音楽にはハイドン的な笑いはないと思うからです
でもこの終結部を退屈にするか感動的にできるかは演奏家次第
初稿版はV-Iという定型の和音進行で普通に終わりを告げます

第五交響曲の個性的な終結部に否定的な意見を持ち続けていたのですが、初稿版の予定調和な伝統的な終わり方を聴いて、シベリウスの意図していた音楽をようやく理解できたのでした。

逡巡し続けていたシベリウス

作曲家は常に新しい表現を求めていて、挙げ句の果てにこういう終結部にたどり着いたのかもしれませんが、わたしには奇を衒ったモダニズムにしか思えない。個人的には好きではない。

でも作曲家は、これまでの自分は行わなかったこのような新しい表現を第五交響曲において、初稿版から世界大戦中の四年間の苦悩の結実である最終稿に選んだのでした。

シベリウスは次の第六交響曲において、古い中世の教会旋法に基づいた詩情のかたまりのような珠玉の作品を生み出しますが、第五交響曲のこうした産みの苦しみがために、あのような独創的な音楽は生まれたのでしょう。

人間、誰でも実験はやってみないと結果はわからないものですから。たとえ失敗だったとしても。

温故知新の教会旋法 (ドリア調というドレミファに基づかない音階の音楽) にたどり着いたことは素晴らしいことでしたが、シベリウスはその後、これまでの音楽の集大成のような、交響詩のように単一楽章形式の第七交響曲を書いたのち、新たな未来に新しい音楽を見つけることはできないで第八交響曲の破棄と絶筆へと導かれるようにして閉じた世界に閉じこもるのです。

シベリウスという作曲家はフィンランドにおいても外国においても愛国作曲家として聖人のように扱われているのかもしれませんが、伝記を読むとベートーヴェンがそうであったように、大酒飲みで煙草を愛してギャンブルもした浪費癖を持った苦悩した人でした。

あまり知られていない生涯なのですが、シベリウスという人、知れば知るほど面白い。

孤独を愛した人で、世界の果てのような土地の仙人、または世捨て人みたいなイメージがありますが、実はそうではなく、家族との確執に苦しみ、政府が国民性作曲家として作曲に専念できるようにと用意してくれた多額の年金にもかかわらず、生来の浪費癖のために終生金欠に苦しんで酒に溺れた作曲家。

完成版の第五交響曲には詩人作曲家らしさを犠牲にして無理をしているなという印象を感じずにはいられないのでしたが、初稿版を聴いて、作曲家本来の声をこの名作の中に見出したような思いです。

迷い続けた人生の中でいろんな美しい音に出会って、全てを書き留めておきたいけれども、どうやってまとめ上げていいのかわからないでいた人生だったのかも。

第五交響曲最終完版の最高の名演

第五交響曲の二つの稿の違いは、モダニズムに影響され過ぎて自分らしくない完璧な構成の完成版、自分らしい音で書き上げた荒削りで詩的な初稿版。こういうまとめ方は短絡的すぎるでしょうか。

ニールセンをたくさん聴いたことでシベリウスという作曲家の目指そうとしていた世界が見えたような思いです。

完成版と初稿版を比べて、第五交響曲においてシベリウスが目指していたのはベートーヴェン的な濃密な音のドラマだったのではと思えるようになると、俄然そうした解釈の演奏に優れていたのはアメリカのレナード•バーンスタイン (1918-1990) でした。

日本の評論家たちの中には、バーンスタインの演奏は雄弁過ぎて劇的過ぎて、詩情溢れるシベリウスの本質はバーンスタインの力技によってすっ飛んでしまったなどと書かれるような人もいましたが、第五交響曲は第二交響曲を超えたシベリウスの英雄交響曲だったのだと認識すると、レニーの演奏ほどに第五交響曲の本質を突いた演奏はないとわたしには思えます。

映像で見るバーンスタイン指揮のシベリウス第五交響曲、本当に素晴らしい。

シベリウスが詩的な音がたくさん詰まった初稿版を否定してまで作り出したかった、第五交響曲の最終完成版とはこういう音楽なのだと思います。

定評あるベルグルンドなどの北欧の指揮者の演奏など抑制され過ぎ。だから自分にはああした演奏は不完全燃焼に思えたのでした。

さてバーンスタイン、スローテンポな晩年のウィーンフィルとの映像も視聴できますが、まだ若かった頃の1960年代のロンドンフィルとの会心の演奏が劇性において優れています。

ヴァンスカ指揮の1915年初稿版は抒情詩人のシベリウス。

バーンスタイン指揮の1919年完成版のシベリウスは雄弁な叙事詩の語り手。

映像で見るバーンスタイン指揮における、途切れる和音が連続するフィナーレ終結部は、指揮者の派手な指揮ぶりも相まってカッコいいの一言ですね。


シベリウスの音楽については以前にも何度か紹介したことがあります。参考にしていただけると幸いです。


ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。