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二人の交響曲作家:シベリウスとマーラー

シベリウスの音楽を聴く時、必ず思い出す言葉があります。

1907年11月1日のこと、当時の欧州音楽界で最高の権勢を誇っていた大指揮者兼作曲家グスターフ・マーラーが演奏旅行のためにフィンランドのヘルシンキを訪れた折、47歳のマーラーと42歳のシベリウスとの一期一会の邂逅が実現しました。

何語で会話されたのかは記されていませんが、何度も欧州にまで足を延ばしていたシベリウスはドイツ語にも堪能だったことでしょう。スウェーデン語で高等教育を受けたシベリウス (1865-1957)でしたから、ドイツ語も話せたはずです。

シベリウスの考える交響曲の有機的構成論に対してこう語ったと伝えられています。マーラー愛好家ならば誰もが知る有名な言葉。

交響曲は世界全体を抱擁しないといけない

世界全体とはなんでしょうか?

シベリウスはロシア帝国に虐げられている祖国フィンランドのために、フィンランドの神話や自然世界を音楽において表現する道を模索していました。

一方、オーストリアハプスブルク帝国内で生まれながらも、ユダヤ人という出自ゆえに根無草のように世界中を放浪して人生を彷徨い続けたマーラー。中欧ウィーンから、南欧のイタリアの諸都市、北欧ヘルシンキ、そして北米大陸の大都市ニューヨークと、世界中を駆け巡った人気指揮者だったマーラーでした。

大指揮者グスターフ・マーラー (1860-1911)

彼の晩年の代表作の「大地の歌」には人生の儚さが中国の詩人たちの言葉を通じて語られます。マーラーが作曲に採用したベートゲという翻訳者の李白の詩はかなり原文とはかけ離れたファンタジーな世界。李白の原詩「宴陶家亭子」とは「陶さん」宅の四阿あずまやでのうたげという意味ですが、ベートゲ訳だと「陶器で造られた巨大な四阿」での情景。つまり誤訳です。

現代の3Dプリンターでならば、部分を一つ一つ別々に作り上げて、最後につなぎ合わせるという、3Dプリンターハウスが今では現実に実用化されていますが、陶器セラミックの四阿は技術的に製作可能でしょうか?

3Dプリンターで製作された家
https://suumo.jp/journal/2019/09/09/166958/

東洋風の五音階で奏でられる、なんともファンタジーな世界です。

昭和の終わりにCMでマーラーが次のように紹介されたそうです。たったの一分間の中で、マーラーという複雑な芸術家の作風を言い当てている、秀逸な一分間の動画です。是非ご鑑賞下さい。

こうした世界もマーラーのいうところの世界全体の一部でしょうか?

マーラーのファンタジーはドイツの深い森から青春の失恋の疼き、葬送に英雄、生命賛歌、人生の悲哀をアイロニックに歌う中世の詩から、妻の裏切りや死への恐怖といった人生の深い苦悩まで、ありとあらゆることが描かれていると言えるでしょう。

良くも悪くもマーラーが描き出すのは生や死といった人生の普遍的な問題。11曲を数える交響曲では聖歌から軍楽隊の調べや都会の雑踏の音が入り乱れるのです。聖俗入り混じったマーラーの猥雑な音響を嫌う人もいると同時に、世界そのものを体現している音楽であると絶賛する方もおられます。

世俗的な要素がほとんどないカトリック音楽作曲家アントン・ブルックナー (1824-1896) の音楽ともしばしば対比されますが、シベリウスの音楽においてもまた、ブルックナーと同じく、世俗的な響きのない閉じた世界の音楽が聴かれます。

シベリウスの描き出すのは、ブルックナーの素朴な農民の歌やゴシック建築の大伽藍の穹窿きゅうりゅうから臨める宇宙や天上世界ではなく、徹頭徹尾、フィンランドの自然世界から垣間見るのことのできる森羅万象。私にはそう思えます。

若きシベリウス

シベリウスが特に孤高の境地を極めるようになるのは第三交響曲以降(それ以前の交響曲第一番と第二番は愛国主義的な音楽)。

第三交響曲はどことなくユーモラスでいて、真にフィンランド的な音楽を模索している音楽。やがてそれ以降は北国の冷たい詩情を体現したようなシベリウスらしさ全開な音楽になるのですが、作曲家が自分らしさを完全に自覚する様になるのは、1907年のマーラーとの会見以後のこと。

音楽史的には前期から後期への過渡期にあたる時期に現出したエポックメーキングな出来事がマーラーとの出会い。ここでシベリウスはマーラーとの違いを自覚して真逆の方向へと転換するのです。外へ向かうのではなく、内へと籠って行くのです。世界全体とは自分自身の中に。

シベリウスはマーラーとの出会いの後に他者との対話を拒絶したような内省的な交響曲第四番を発表。荒涼たる冬のフィンランドの情景が目に浮かびます。大衆を拒絶したようなエンターテインメントな要素の欠如した閉じた音楽。

フィンランドの暗い森の情景を通じて、峻烈なる大自然を前にした人間の実存とは何かを問う音楽。

シベリウスという名を伏せて聴くならば、フィンランドという言葉は音楽からは出てこないかもしれません。

シベリウスの音楽を聴いてフィンランドを思い浮かべるのはナンセンスというクラシック通の方もおられますが、音楽は抽象的な音響を通じて、聴き手に具体的な何かを想像させる力を持ちます。

わたしはシベリウスの音楽に厳しい自然の情景を思い浮かべます。

ショパンやシュトラウスのような都会風でサロン的な洗練された舞曲や、田舎風のスメタナのポルカやドヴォルザークのドゥムキーでもなく、シベリウスの代名詞である弦や木管の厳しい悲しい調べは、やはり北の国の冷たい風や大気や深い森を連想させるものです。

そうした音楽を書くことに人生の全てをかけた作曲家がシベリウスでした。

交響曲のみならず、不滅のヴァイオリン協奏曲(英雄的な第二交響曲と深い高貴音楽への過渡期の第三交響曲作曲の間に書かれた音楽)や、劇音楽やピアノ小品や歌曲などにも、確かなシベリウスサウンドの刻印を見つけることができるのですから。

そういう作曲家であったシベリウスの最高傑作は、間違いなく作曲家が全精力を注いで書き続けた交響曲群。

シベリウスが死去するのは、マーラーの死後40年以上も後の第二次大戦後の1957年のこと。長い晩年の日々に交響曲第八番をほぼ完成させながらも、移り行く新しい時代の音楽と乖離する自作に満足できぬ老作曲家は総譜を暖炉の火にくべるのです。

交響曲第八番は永遠に幻のまま。

シベリウスが交響曲第七番作品105を発表したのは1924年のこと。シベリウスの死の年まで33年。絵葉書や本でしか見たことのない、澄み渡る北欧の自然の情景を思い起こさせるような厳しい作風の第七交響曲を聴きながら、マーラーの語った世界全体とはなんであったのかを想います。

二つの世界大戦をその目で見て(シベリウスの祖国フィンランドの国土は1939年にロシア帝国の軍靴によって踏みにじられました)そして第三次世界大戦の危機が危惧される2022年、世界の何が変わったのでしょうか。

交響曲を聴く意味を考えています。

ただのエンタメではない、人生とは何かを考える音楽が交響曲なのだと思い(多くの作曲家にとって、交響曲とはそのようなものでした)わたしはこんな音楽を学生時代より三十年近く聴き続けています。


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