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シベリウスの知られざるノクターン

夜想曲ノクターンといえば誰もがショパンを思い浮かべるものです。

このジャンルの創始者は、後にロシアのサンクト・ペテルブルクで長く活躍したアイルランドの作曲家ジョン・フィールドでした。

しかしながら、ショパンはフィールドの創造したノクターンの可能性を極めあげました。作曲家ショパン自身の代名詞にまで高められた夜想曲がノクターンという英語で知られるのも、アイルランドの言葉が英語だから。フランスのパリで活躍したショパン創始のジャンルならば、ノクチュルヌであるべきでしたね。伝統的なイタリア語のノットゥルノとはこめられたニュアンスの違いを感じさせる音楽です。

フィールドの夜想曲第五番変ロ長調は、ショパンの有名な作品9の2の変ホ長調の作品そっくりのスタイルで書かれています。8分の12拍子で、雰囲気はほとんど同じ。

もちろん後輩ショパンが先駆者フィールドの真似をしたのですが、作品としてはショパンの創作が数段優れたものとなり(左手部分の低音の独特な和声は和声学の超天才の技です)、もはやほとんどの人が、フィールドの作品をショパンが模倣したとは信じません。

それほどにショパンのノクターンは素晴らしく、後世の作曲家はショパンのひそみに倣い、ロマンティックな夜の物思いのノクターンという名の作品を数多く発表します。

ショパンの同時代人メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」の中の一曲であるノクターンも、ショパンのピアノのためのノクターンとは違う、管弦楽のための作品ながらも、ノクターン音楽の最高傑作の一つ。ファンタジーな音詩の大家メンデルスゾーンの魅力全開な名曲です。

ショパンやメンデルスゾーン以後で最も有名なノクターンは、ロシアの日曜作曲家だったアレクサンドル・ボロディンの弦楽四重奏曲第二番の中のノクターン。ボロディンは平日には高名な化学者でした。

弦楽四重奏のノクターン。ショパンの衣鉢を継ぎながらも、我々の期待するロマンティックな夜の音楽のイメージそのものといった佳品。第一ヴァイオリン奏者によって奏でられる高音域での第一主題のメロディの魅力には抗し難いものがあります。

夜を想起させる音楽は更に書き継がれてゆくのですが、ショパンやメンデルスゾーン、ボロディン以外で、わたしが最も愛するノクターンを作曲したのは、フィンランドのジャン・シベリウスでした。

シベリウスの作品51は劇音楽「ベルシャザールの饗宴」。

メンデルスゾーン同様に劇音楽で、また四曲からなる組曲にも編集されていて、第三曲目がノクターンです。

劇は旧約聖書のダニエル書第五章に出てくる有名な挿話に基づいた作品で、レンブラントなどの画家によっても描かれてもいます (一番上に引用した絵画はレンブラント作です)。

一説によると、バビロンの王ベルシャザールは、バビロン捕囚というユダヤ人が異国に留め置かれた時代を舞台とした、ヴェルディ作曲のオペラ「ナブッコ(ネブカドネザル)」のネブカドネザル王の息子。

繁栄の頂点において、ベルシャザール王は大きな宴を開きます。ですが栄華を極めるバビロン王宮の賑やかな饗宴の真っ只中、王の目の前の虚空に不思議な文字が浮かび上がるのです。

ヘブライ文字を解読できるのはユダヤ人預言者ダニエルのみでした。ダニエルは文字を読み解いて、謎めいた言葉を王に伝えて、ベルシャザール王の最期を預言するのです。

ノクターンはそうした物語の中の一曲。旋律楽器であるフルートの特性を活かした素晴らしいソロによって導かれる美しい曲なのですが、交響曲作家シベリウスのほとんど知られていない隠れた名曲と言えるでしょうか。

あまりに美しいので、二十世紀最高のヴァイオリニストたち、ヤッシャ・ハイフェツやダウィード・オイストラフらによって愛奏されました。

こちらはフルートソロ編曲版。

哀切感たっぷりのへ短調の主題は一瞬、明るい長調に転じるも、幻想的な夜の哀しい響きがすぐにその場を闇に染めるのです。物悲しい夜の余情に心打たれます (追記: このメロディは映画「ロード・オブ・ザ・リング」の指輪の動機と全く同じですね。どこかで聞いたことのある印象的なメロディではありませんか)。

こちらは作曲家自身によって編曲されたピアノソロ版。

でもわたしは、シベリウスの書いたオリジナルな楽譜そのままのオーケストラ版が一番好きですね。

劇付随音楽としては1906年に作曲され、管弦楽団による組曲作品51の初演は翌年1907年。同時期に書かれた交響曲第三番ハ長調作品52とともに初演されたのです。

全四曲の組曲全曲版です。

英雄的、愛国的な作風の初期の時代(フィンランディアや交響曲第二番の書かれた頃)から、大衆を拒否したような深い内面的な後期の作風へと転換してゆく過渡期の時代の作品。

シベリウスの書いた最も美しい作品の一つなのでは。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。