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歌姫パトリシア・ヤネシュコヴァ

自分よりも年若い人の訃報に接すると胸が締め付けられます。

オペラファンのわたしが以前より高く評価していた、ドイツ生まれのチェコのソプラノ歌手パトリシア・ヤネチコヴァ(より正確にはヤネシュコヴァ)さんが乳癌でニ週間前に亡くなられていたことを今日になって知りました。

発表は一週間前の10月7日のことでした。日本のニュースは報じたでしょうか。

享年25歳、これから世界に羽ばたいて行こうという矢先の若い才能の突然の死。音楽界の大いなる喪失なのですが、若くして華々しくデビューしたために彼女の音楽活動の記録は幸いにしてかなりの録音と録画が遺されていて、YouTube などから無償で鑑賞できます。

この投稿ではそんな彼女の名歌唱を録画を通じて振り返りたいと思います。

追悼動画

死去の報道直後に急遽作られた編集動画。美人薄明とはよく言ったものです。

彼女の生涯を十三分で振り返ることができます。

パトリシアの「パパパのアリア」のババゲーナは今回初めて見ました。

彼女の母国語で歌われるドヴォルザークの名歌曲「我が母の与えたたまいし歌」、同じくドヴォルザークの晩年の名オペラ「ルサルカ」の名アリア「月に寄せる歌」。

彼女の透明感溢れる澄み切った歌声はまさに天使の声ですね。

ルサルカのアリアは全てのオペラアリアの中でも最も美しい歌のひとつで。

彼女の大先輩の同じチェコのルチア・ポップの歌をこれまでこよなく愛してきましたが、透明度の高さゆえに、わたしはパトリシアの歌をより好きになりました。

功成り名を挙げた交響曲作家ドヴォルザークの晩年の野心は
オペラの分野で成功することでした
そんなドヴォルザーク最晩年、人生最後の最高の歌がこの歌
わたしが全てのオペラアリアの中でも
最も好きな曲
モーツァルトよりもヴェルディよりもプッチーニよりも

動画後半、ロイド=ウェッバーのレクイエムの箇所に彼女の闘病中の写真が掲載されています。

本当に痛々しい写真だけれども、彼女が自分でSNSに紹介していた写真。片胸を大きく抉り取り、がん治療のために全ての髪の毛を失った彼女。

動画を制作したのはオランダの映像関係者(Dutch Video Productions)。死去のニュースの翌日に投稿された動画なのですが、こういうメッセージが最後に含まれています。

パトリシアの葬儀における
わたしの悲しみの感情をどうにかしようとした、わたしなりの方法が
この動画なのでした。
彼女のために本当に何かをしたい、でももうそれも叶わぬこと。
この悲しみをどうしたらいいのかわからない。自分にも娘がいて、とてつもなく悲しいことだ。
著作権侵害をお詫びします。わたしのチャンネルのこのビデオからはお金を頂きません。
パトリシアの両親、夫、家族と友達に力をお与えください
さようなら、パトリシア
今は天国で幸せであることを願っています
日本語ウィキペディアの記述は錯綜しているようですが、パトリシアは恋人と死期を悟った今年7月または6月に結婚していて、その旨を九月終わり、つまり死の数日前にフェイスブックに報告していたそうです。
彼女を知る人が祝福のメッセージを送っていた中での訃報だったそうです

ホフマン物語の「オランピア」

さてここからは著作権侵害ではない、彼女のチャンネルからの正規録音と録画。

初めて彼女に出会った動画はこれでした。この動画の彼女は18歳。

彼女の得意曲。フランス語歌唱。

わたしは2020年9月にフランスのオッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」を実演で観る機会に恵まれました。

舞台をとても楽しんで、家に帰ってから、オペラ中、コミカルであまりにも印象的なゼンマイ仕掛けの歌を歌う人形オランピアのアリアをインターネットでいろんな歌手を聴き比べたのですが、パトリシアの歌が演技も含めて抜群!

リハーサル風景

ネジ巻き式の人形に歌手がなりきらないといけないのですが、パトリシアの舞台はオペラではなくコンサート。

だから屈強な男性が舞台裏から動かない人形を運んできて、舞台上でネジを巻いてようやく歌い出すのでした。

舞台下から運ばれてきて
舞台上に下ろす
お人形は歌い出す
ときどき止まってしまうので、ねじ回しをしないといけない
ねじ回し人形は歌う🎵
熱唱ののち、再び舞台裏に運ばれてゆく!
素晴らしい演出でした。
オペラでも同様にねじ回しをしたりしますが、ここまで持ち運ぶことは少ない
こんなどうか唯一無二です

パトリシアは人形そのもの。コミカルな仕草も交えて、ソプラノが披露できる最高音域の音符たちを転がすように軽々と歌い上げるのでした。

モーツァルト!

パトリシアはモーツァルトが愛したチェコの国の音楽家らしく、モーツァルトを何よりも得意としていました。たくさんのモーツァルトの映像があります。

「フィガロの結婚」のケルビーノのアリア

次は伯爵夫人とのデュエット。

名作映画「ショーシャンクの空に Shawshank Redemption」で劇中に流れたアリアとして知っている方もいらっしゃるのでは。

ミサ曲 k339

モーツァルトのミサ曲中、最も美しいアリアの一つ、ラウダーテ・ドミヌム 主を褒め称えよ。

ヴァイオリン独奏で演奏されるほどの名旋律。モーツァルトは本当に声の作曲家なのだとつくづく思える音楽。

「魔笛」のパミーナ

夜の女王の娘パミーナのアリアはト短調のモーツァルトの作曲技術の全てを極めて書かれていると言われるほどの名アリア。

上記の喜劇的なパパゲーナが喜劇が得意な本来の彼女らしさかもしれませんが、こういう深い表現もできた彼女でした。

アヴェ・マリア!

この歌を初めて聴いた時、心震えました。

フランスの映画作曲家の21世紀の新作アヴェ・マリア。パリの同時テロ事件への追悼のための歌。

カッシーニ(ヴァヴィロフ)のアヴェマリア!

ヘンデルの名アリアも

セザール・フランクの名作「天使の糧」も

でもパトリシアはやはり喜劇がいい!

シュトラウスのオペレッタ「コウモリ」

もういうことないですね。超有名なアリア。

ロッシーニの歌曲「アルプスの羊飼いの娘」

他にもプッチーニやレハールがありますが、最後は闘病中の彼女が歌ったチェコ語の歌。

Absolutely free

印象的な題名の歌。病魔から自由になるために、放射能化学治療を受け、片乳をほとんど失うも、死の直前に結婚さえもして、最後まで歌うために闘病したパトリシア。

健康で安定した生活を送っている人にはわからないことかもしれないかもしれないけれども、生きることは尊いことなのです。

人生の苦しみからは無縁に思えるほどに澄んだ彼女の歌声は清らかで陽性な歌声でした。

歌声に翳りを含ませるにはまだ若過ぎた彼女。でもだからこそ、人生を達観したような透明さが特徴的なモーツァルトは彼女には唯一無二なレパートリーだったでしょうか。

パトリシア、旅立つには早過ぎましたが、これからも彼女の歌、聞き続けて語り継いで行きたいと思います。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。