完全比の三和音とトルコ行進曲 (中編)
ピタゴラス音律の問題を紹介して終わった前回からの続きです。
今回は表題にした完全比の三和音のお話。
純正律 Just Intonation におけるオクターヴ間の12音の割り出し方について。
ピタゴラス音律と純正律の問題点が理解できると、ようやく私が取り上げたいモーツァルトの「トルコ行進曲」を語ることができるようになります。
数式計算を今回も楽しんでいただけると嬉しいです。数式がややこしいと思われるならば、比率の計算式は読み飛ばしてください。
純正律という三和音によるドレミファソラシド
ピタゴラス音律におけるドレミファソラシドでは、和音を作ると微妙なずれが生じてしまうことが判明しました。
特に三度の音程は美しくないために、三度は不協和音扱いさえも受けたのでした。
ですので、修道士たちはピタゴラス教団とは別のアプローチでドレミファソラシドの音を模索しました。
キリスト教教会が重要視したのは、三位一体を象徴する三和音。
三和音は、モーツァルトの音楽劇「魔笛」K.620でフリーメーソンを象徴する三の数字としても登場します。
魔笛ではフラット記号の三つの変ホ長調の三和音が何度も象徴的に鳴り響きます。三人の侍女に三人の童子や数々の三重唱。
まったく魔笛もバッハの「ゴルトベルク変奏曲」に匹敵するほどに三だらけなのですが、三への偏愛の始まりはキリスト教の三位一体ゆえです。
ピタゴラス音律は五度を徹底的に突き詰めてゆくことで得られる調律でしたが、すでに音楽的な真理として判明している次の比率を用いることで、キリスト教会は完璧な三和音の響きを導き出して、ピタゴラス教団とは異なる比率の「ドレミファソラシド」の音律を見つけ出したのでした。
完璧な三和音の響き
三和音の比率を見つけてみましょう。
ドソ(完全五度)の比率を倍にすると
ドが4になったことで、ドミの比率4:5を組み合わせることができます。
同じように、ドファラも求められます。
ドファは比率3:4ファから。
ファとラは長三度の関係にある音なので、長三度の響きを応用すると(ドミの比率4:5をファラとして置き換えることができる)を応用すると(比率3:4と比率4:5を組み合わせると):
シレソも短三度の比率を用いて求めることができます。
シとレの音程は短三度=比率5:6。レとソの音程は完全四度(比率3:4)。つまりソは、レの6を4/3倍すると8と求められます。
つまり、これらの三和音の比率を使うと、最も一般的な和声進行に使われる I, IV, Vの和音は完璧な響きを持つということになります。
脱線:三和音だけでできた交響曲
モーツァルト (1756-1791) が八歳(!)の頃に書いた最初の交響曲、交響曲第一番 K.16は、この三つの基本の和音だけで作られています。
1764年にロンドンを訪れて、当時ロンドンで最も人気ある作曲家だった大バッハの末子ヨハン・クリスティアン・バッハ (当時二十九歳) に認められて、バッハの弟子になるのではなく、バッハと対等な音楽家として親交を深めていた頃の作品。
まったく、なんて大人びた子供なんだろう!
この音律を用いて、この交響曲を演奏すれば、完璧な三和音の響きを堪能できることでしょう。
古楽器使用のオーケストラは、機械的な平均律ではなく、古典調律を採用するために、モダン楽器のオーケストラよりも刺激的な音響として、われわれの耳に届くのです。古典調律についてはまた次回に。
アーノンクール盤の録音の和音には個性が感じられる。
やはり調弦具合が違うのだと思います。
でもこういうモーツァルト時代の復刻楽器では調性が変わるたびに楽器を調律しなおさないといけないので不便極まりない。
十八世紀の音楽ってそんなものだったのでした。弦楽器は曲ごとの弦の微調整なんて当たり前かもしれないけれども。
フルートならばフラット系は低めの音色なんてことを指揮者は要求する(管楽器では曲ごとにピッチを変えるのは練習さえ積めばさほど難しくはない)。
個性のない調律の平均律でばかり演奏される現代のポップスやジャズでも、この調律法を用いれば、C, F, Gのコードの響きが完全無比に美しくなるということになります。
完璧な和音の音律のドレミファソラシドは?
以上の比率にはドレミファソラシドの全ての音が含まれていましたが、新しい音律のためには、ドからの各音の比率を求める必要があります。
ドは1
レはソのドミナントで五度の関係にあるので、3/2x3/2=9/4(2より小さくするために1/2をかけて9/8。
ミは比率4:5から5/4
ファは比率3:4から4/3
ソは比率2:3から3/2
ラはドファラ比率3:4:5から5/3
シはシレソ比率5:6:8から、少し複雑な計算をすれば見つけられます
シの見つけ方
シレソ比率5:6:8のソを基準としてドに対するシの比率を求めるのです。
5:6:8の「8」に注目。
まずは全比率を8で割って「ソ」を1にして、計算しやすくします。
この1が3/2(ドとソの比率)となれば、解は得られます。
3/2倍してソをドからの比率に合わせましょう。
という具合にドを基準とした各音の比率がすべて得られました。
前回調べたピタゴラス音律とは違う比率が得られましたね。
ドレミファソラシドの第七音「シ」に関しては、ピタゴラス音律の「シ」はあまりに複雑な数だったので、新しい比率の方が使いやすいですね。
これが純正律 Just Intonation と呼ばれる音律です。
ピタゴラス音律の「ミ」はウォルフの五度の唸りの原因でもあったのですが、ドミソの和音を作るのに大事な「ミ」がこの音律では完璧な比率なのです。美しい三度はこの音律の最大の魅力の一つ。
五度の唸り
しかしながら、ラの比率5/3には問題が生じます。
完全五度の関係となる「レ」から3/2倍となる正確な比率は、ピタゴラス音律の「ラ」の方なのでした。
理論上ではD-A(レラ)の音程比率は2:3にならないといけないのですが、レが9/8だとすれば、5度の音程を作る3/2をかけると
つまり、純正律のラはレから完全五度のラよりも少し低いのです
この誤差は シントニック・コンマ と呼ばれています。
この誤差ゆえに、ドミソの三和音が完璧な純正律では、レファラの和音(iiの和音)を使ったり、ドッペルドミナントと呼ばれるレファ#ラの和音を使って転調したりすると、ひどい唸りが生じるのです。
でもラが比率5/3であるからこそ、サブドミナントの和音が完璧に響く。
なので、この比率を変えることはどうにも許容できないのです。
音程差の計算
次に各音の音程(音と音の間隔)を計算してみましょう。
音律は基準の音からの比率で決められるオクターヴの中の各音の相対値ですが、音は常に揺れている波長なので、音程比率の計算に足し算引き算は使うことは出来ません。
音程の比率を上げるには掛け算、下げるには割り算を使いますが、少しわかりにくいかもしれませんね。
ですので、練習問題をしてみてから、実際の音程計算をしてみましょう。
練習問題:
ソの音から完全四度低い音を求めたいとする場合、音楽的知識を持つ人には
であるとすぐに経験から分かるのですが、ここでは比率は計算して求めましょう。
高い音を右側に、低い音を左側に現した数直線上では、右方向の高い音の方に動かすには掛け算、逆の左方向の低い音の方に動くには割り算すれば良いと考えます。
理屈さえわかれば比率計算は簡単です。
それでは本番の音程差の計算です。
音程計算:本番
高い音を低い音で割ると簡単に求めることができます。
ですが、ドレミファソラシドの各音の音程差を計算してみると、次のように、全音音程が二種類できてしまうことが判明します。
つまり、純正律のドレミファソラシドの音程は一定ではないのです。
全音と半音が異なるのは当然ですが、全音の音程が二種類できてしまうのです。
二つの全音は専門用語では
と呼ばれています。
つまり、三和音を作らせると完璧な純正律は、メロディを歌わせると音程が均一ではなくなってしまうため、歌うには美しい音階にはならず、演奏が非常に難しくなってしまうのでした。
純正律の12音階
二種類の全音は、ドレミファソラシドの間にある半音の音の比率を探るに当たっても大きな問題です。
ここまでわかっているのは:
半音は比率16:15となることがわかっていますので、この比率を使えば、二種類の全音を二分できるはずです。
全音は半音が二つという音ですが、この場合は均等な半音値は期待できそうにありません。ですが、小全音、大全音の比率を16/15で割り算すれば、半音比率は決定できるはずです。
まずは小全音。
しかしながら、大全音では16/15をかけても、得られるのは32/27=1.118518という歪な比率で
という美しい整数による分数比にはなりません。
16/15ではなく、近接した分数17/16を使うと
を見つけることができます。
つまり、大全音(ドレ・ファソ・ラシ)の間の半音は、17/16か18/17のどちらかを採用することになります。
少数で表すと:
同じく小全音(レミ・ソラ)は16/15と25/24に分けることができます。
いずれも微小な差なのですが、半音も二種類の全音に対して、やはり二種類ずつ見つかるのでした。
したがって先ほどの表は次のように書き換えることができます。
以上のようにどうにか半音の比率が決められそうですが、半音の候補は複数あることになり、これでは全く実用的ではありません。
完璧な三和音の比率から導き出された音なのに!
次の動画では、純正律と平均律のドミソの三和音の違いを聞くことができます。純正律で転調して嬰ハ長調のドミソを鳴らすときの音のズレはひどいものです。
純正律のドミソを聞いた後に平均律を聞くと音が違っていることが確認できます。
英語だけですが、だった二分なのでぜひ聴き比べを体験してみてください。
純正律まとめ
三和音の完璧な比率を保つ純正律(素晴らしい長所)は大いなる欠陥を持っていることがこれで判明しました。
純正音階の短所をまとめると:
全音と半音が二種類存在してしまう。ドレミファソラシドの各音の音程は不均等になる。
ドッペルドミナントとしてバッハに愛され、のちにジャズに基本コード進行として転用される II-V-I の最初の和音 II の和音は、二つの半音値による不均等な三度音程、低めの五度音程のために、唸りを生じるので、複雑な転調すると響きがおかしくなる。
このように、3:2という五度の黄金律で調律したピタゴラス音律でも、ドミソの完璧な和声の比率4:5:6で合わせた純正音階でも、最も美しいドレミファソラシドは作ることができないということが証明されました。
ですが、中世のキリスト教会では、美しい三和音の純正律はアカペラ歌唱としては使われ続けてゆくのでした。
歌声の不思議
教会で使用され続けたのは、純正律の音階の不均等さも、人間の声の不安定さにはふさわしかったといえるからでしょうか。
というのも、よほどの訓練を積まない限り、ドレミファソラシドの全ての音を正確なピッチで歌うことが難しいのは皆さんもご存じのとおりです。
素人の歌声が上ずったり(シャープになると大全音かも)ずれ落ちたりする(フラットになると小全音かも)ことは日常茶飯事。
半音が大きくずれると小全音の音程に近くなることでしょう。
教会堂に響き渡る歌声はそれほどに完璧ではなかったのでは、と私は推測しています。
すべての修道僧が音楽に長けていたわけがあるはずはないのですから。でもすべての僧侶たちは祈りのために歌ったのでした。
音階や和声の微妙なずれを問題にするのは、プロフェッショナルな音楽家たちばかりです。
やがて、キリスト教教会が社会を支配していた長い長い中世は、教会以上の力を蓄えた王侯たちが群雄割拠するルネサンス時代の到来とともに終わりを告げて(15世紀ごろ)、新しい音律が発見されます。
純正律とピタゴラス音律の弱点だった三度と五度を微妙に絶妙にずらす工夫が理論的に確立されるのです。
バッハが好んだ「程よい調律 Well Tempered」である古典調律、そしてモーツァルト父子が好んだ中全音律(ミーントーン)の登場です。
次回に続きます。
長い数学(算数)のお話、ここまで読んでくださってありがとうございました。
あまりに数字ばかりで疲れてしまったはずですので、次回紹介する予定だった内田光子盤モーツァルトソナタから第10番ハ長調K.330をどうぞ。
おそらく世界で最も美しい「ドミソ」の音楽録音です。
ドミソの和音の比率は4:5:6という画期的な録音です。どうしてこの録音が特別なのかはまた次回に。
参考文献:
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。