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どうして英語ってこんなに難しいの?: (25)英語スキーマと日本語スキーマの違い

外国語は勉強すればするほど難しいと感じるようになります。

「無知の知」という言葉があるように、知れば知るほど、学ぶべき対象の深さがわかるようになり、外国語の難しさに慄いてしまうのです。

外国語の何が難しいかも知らずに、おかしな発音でおかしな文法で間違った単語で喋ったりしても、相手が理解してくれたりすることは往々にしてあるものですが。

相手があなたを理解しようとしてくれる時、あなたのレベルにまで降りてきて、あなたが何を語らんとしているのかを読み取ってくれるからです。

この段階では、外国語の何たるかを知らぬ、知らぬが仏。

でも言葉はコミュニケーションの道具なので、お互いの友好の心さえ通じれば事足りるならば、それでも十分。

外国語に何を求めているか次第。

でもその先に進んでゆき、極めようとすると、外国語の難しさを体感するようになります。

ソクラテス Socrates
/sάkrətìːz(米国英語), sˈɔkrətìːz(英国英語)/
無理やりカタカナで書くと、クラティーズが正しい英語読み

外国語の本当の難しさとは

外国語の難しさは、学習者の母語との親近性によって決定づけられます。

SVOのインド・ゲルマン語族の英語と、SOVで世界に仲間がほとんどいないウラル・アルタイ語族の日本語には本来全くのつながりがないわけですが、それゆえに生理的に日本語とは全く異なる英語は日本語を母語とする人たちには難しいわけです。

日本語を母語とする日本人は、発音が複雑な英語よりも母音がほぼ同じの太平洋の言葉や文法構造が似ている韓国語などの方が圧倒的に習得しやすい。

またヨーロッパ語でも母音体系が似ているスペイン語やイタリア語の方が学習しやすい。

日本人が英語を習うことは非常にコスパが悪いことなのですが、英語が国際語とされる時代に我々は生きているので、どうしても外国語=英語コンプレックスを戦いながら生きてゆくことになります。

外国語学習の4つの柱

  • 書けること・ライティング=Writing ---アウトプット

  • 読めること・リーディング=Reading ーーーインプット

  • 聞けること・リスニング=Listening ーーーインプット

  • 喋れること・スピーキング=Speaking ---アウトプット

この四つの難しさを克服しないと外国語をとても習得したとは言えない。

受動的な理解という意味で「読めること」と「聞けること」は同類。

能動的に使える能力として「書けること」と「喋れること」がやはり同類。

書き言葉として「読めること」と「書けること」、そして話し言葉として「聞けること」と「喋れること」が同じ仲間。

特に話し言葉の場合、物理的に

  • 英語耳

  • 英語喉

  • 英語舌

を鍛えないと全く物にならない。

この点、英語と日本語の発声方法はかけ離れているので、日本人には話すこと聞くことは訓練なしには、とてつもなく難しいわけです。

サモアやトンガの太平洋語ならば何の訓練もなく、ネイティヴ並にすぐに発音できて、意味が分からなくともほぼすべての言葉を聞き取れるのに。

いずれにせよ、これらの四つは密接に関連していて、書けても喋れるとは限らないし、読めても聞けるとは限らない。

英語をどの程度必要とされるかで何を特化して訓練するかは人それぞれでいいでしょう。

でもアウトプット=「喋れること」「書けること」に関して重大な問題があります。

ここに英語の本当の難しさがあります。

今日はそのお話です。

今井むつみ著「英語独習法」

こういう本を読みました。

久しぶりに良い実用書に出会えたなと、Noteでこの本を紹介されていた方に大感謝です。

成長してゆく子どもがいかに言語を習得するかの研究が作者の専門の言語認知。

読書しながら、今井先生の書かれていることに相槌を打ちつつ、英語学習はやはりこうなのだなと非常に共感をしながら読みました。

わたしもまた、英単語は文脈の中で理解されるべきという持論を持っていますが、この本からコーパスという世界中の文献から個々の単語の例文を集めてきたデータベースがあることを初めて知りました。

今井先生は語彙力こそが語学力なのだと喝破される。

どれだけ単語の意味に精通しているか。これが語学力。日本在住の方なので、発音よりも英語的な発想を極めましょうと言うのがわたしには新鮮。

「許す」という日本語。英語ではニュアンスの違いで似た訳語がたくさんあり、どれも同じではない。

Allow, Admit, Acknowledge, Excuse, Permit, Sanction, Forgive, Let, Approve, Accept, Grant, Absolve

漢語を使うと「許可する、認可する」など異なった訳語を使えますが、普通は単純に「許す」
単語ひとつをとっても文化背景の違いがあらわになります
次の動画の映画「アマデウス (1984)」の最後の場面
老いて自殺を図り、精神病院に収容されたサリエリは
「Mediocrities everywhere, I absolve you..I absolve you all」
「凡庸なるものたちよ、そなたらの罪を許そう」
と入院者たちに語りかけます
Absolveは「宗教上の罪を許す」でまず普通の和英辞典には出てこない
わたしもこの映画で初めて知りました

英語辞書を調べると一つの単語に対して、辞書次第ですが、たくさんの例文が掲載されています。

由緒正しいオックスフォード英語辞典と日本語のWeblio、そしてすぐれた英英辞典のDictionary.comを言葉の検索にわたしは活用していますが、コーパスはこれらの辞書の中の索引要素を特化させた辞書であると言えるでしょう。

https://www.english-corpora.org/ を開くと、いろんな言葉を集めたデータベースが利用できます。それがコーパスです。

例えば、映画コーパスを利用すると、ある言葉がどの映画でどのように使われたのかの例文を引用できるのです。登録は無料。Wikipedia コーパスなど、いろいろとユニークなデータベースが利用できます。

Serendipitousが最近の映画に使用された例
2008年の映画マンマミーアを前回の投稿に引用しました

コーパスは巨大なデータベースでマニア向き。映画コーパスは映画好きなわたしのお気に入り。

生きた英語がどういう文脈で使われているのかの例を知ることができることは魅力です。専門家の書いた辞書ではない、生きた英語なので、間違った用法も掲載されているのかも(笑)。

映画を物語ではなく、言い回しのために見たりするのも新しい映画鑑賞かも。英語の小説を読む時はわたしはそんなふうに読んでいるし。

料理好きの譬え

今井先生の本の中で最も感銘を受けたのは次の興味の違いの例。

わたしはこの譬えを自分の音楽鑑賞歴などを当てはめてみて、自分の音楽の興味の変遷と自分の楽器演奏能力の上達に関して全く腑に落ちたのでした。譬えはありとあらゆる興味の対象に適応することができます。

本の中の言葉をパラフレーズして引用してみます。

三つのシナリオをして三人の食べるものへの態度の違いが紹介されます。

料理への興味の話。こういう三人は当たり前のようにいますよね。

  1. 料理は食べれればいいという人ー最初は料理が全くできなかったけど、独り暮らしの必要性のために料理をいろいろ調べて覚えた。おいしい料理を作ろうという情熱はなく、食べれたらいいという次元の人。

  2. 料理されたものを食べるのが大好きという人、でも作ることに興味なしーつまりグルメで誰かが作ってくれる最高の料理を味わうのが好きで、高級レストランなどにも通うけれども、自分で作ろうとは思わない。ちょっとくらいしてもプロにはかなわないとも思ってる。

  3. 料理を食べるのも作るのも好きという人ー食べることが好きで、料理にも関心をもって、外食すれば家に帰って自分で調理してその味を再現してみたくなる。

この三人ではもちろん料理が最も上手になるのは三人目。

わたし個人も三人目のタイプなのですが、二人目のグルメ道に徹する人もわたしは嫌いではない。舌の肥えた人の経験談(自慢話?)はそれなりに勉強になる。

この話は語学学習者の態度を語るうえで出てきたものですが、わたしはこれを読んで真っ先に音楽に置き換えて考えました。

音楽の文脈では、

  • 一番目は女性ならば母親になれば子供に子守歌くらいは歌う、カラオケに誘われてば参加してそれなりに歌う。でもそれ以上でもそれ以下でもない。男性ならば行事ごとには音楽を用意したりする手配する、静かすぎるのは嫌なのでBGMなどで気分転換などには利用するくらい。音楽は外的な動機から必要とするけども、個人的には思い入れはない。

  • 二番目は聞き専。特にジャズやクラシックの趣味の音楽鑑賞の世界では、ものすごいマニアになるほどに音楽を聴くことが大好きで、CDやLPを集めて、コンサートにも通う。でも自分は楽器が弾けないし、人前で歌うこともできない。

  • 三番目は自分も楽器を弾いて、好きな音楽を自分で演奏してみたいとも思う人。自分に音楽を演奏したいという動機がある。

わたしは昔は二番目の部類でしたが、やがて楽器を習い始めて三番目になり、下手の横好きから今では好きこそものの上手なれの域にまでなれるかなというくらいになっています。

でも第三の人はしばしば第二の人の音楽的蘊蓄を持ち得ていないこともよくありますが、最終的に「音楽とは」を極められる人は第三の人でしょう。料理においてと同様です。

語学の場合

さて本論の英語学習に関していえば、第一の人、外的な理由から英語を学ぶ人はきっと必要に応じて「書く」「読む」「聞く」「話す」の技術を必要最低限だけ習得すればいい。

日本に住んでいる方ならば仕事で必要とされる分だけ学べばいい。外国語は仕事の一環くらいなもの。

でも興味の持ち方が個人の内的な欲求に基づいていないので、決して必要最低限以上の英語話者にはなれない。後述するように、永遠に日本人英語使用者の領域からは出られない。

二番目の場合。英語がとにかく大好き。洋楽が好きで、欧米の映画が好き。とても英語にも興味があるけれども、横文字英単語を日本式に読めたりカタカタ英語で読めるとそれだけで満足。英会話を習ったりもするでしょう。英語が好きいわれる欧米文化志向の日本人のほとんどはこの部類なのでは。

三番目は必死に自分で何かの理由のために英語を学びたい、または必要に駆られて学ばねばならない。「書く」「読む」「聞く」「話す」をいろいろ試行錯誤して努力して学ぶ。

でも三番目の人でも、いつか大きな壁にぶつかるのです。

自分が日本語を喋って日本文化にはぐくまれた環境で生まれ育ったことに。料理や音楽とはこの点が違いそうです。

非ネイティヴとの英会話

英語を必死になって努力して勉強しても、どうしても日本人英語らしさが抜けない人がたくさんいます。むしろそういう人がほとんど。

上述のように、英語はあまりに日本語の発音とは異なるので、筋トレして英語喉、英語耳、英語舌を鍛えない限り、日本語を最初の言葉として学んだ人は決して英語ネイティブの領域には足を踏み入れることもできない。

日本人で日本古典音楽を骨の髄まで学んだ人はその癖をなくす努力をしないと西洋音楽の感覚は学べない。

また和食至上主義な人は西洋料理を学ぶことに西洋料理の技法を学ぶことに大きな抵抗を感じるはず。

語学の場合、だれもが母語を話せるために、この母語の癖が問題となる。

だから、やがてどうしても超えられない壁と直面することになる。

語学は筋トレなので、鍛えればいつかは日本人でもRやLも発音できるようになるし、Aの四つの発音も区別できるようになる。ネイティブ並みの発音も発声も努力次第で獲得可能。

高度で知的な英語も書けるようになるし、英語もスラスラと読めるようになる。

でも日本人らしさを保ち続けている限り、「英語ネイティブのように」は喋れないし、書けないのです。

アウトプットすると馬脚を現してしまう。

それが今井先生の言うところの英語スキーマの欠如のためなのです。

スキーマの違い

Schema

/skíːmə(米国英語), ˈski:mʌ(英国英語)/
意味は図式や概要
または設計図のような感覚
脳の思考構造の仕組み

具体的にこんな例があります。

外国などに行き、語学学校などに通うと、または大学などで友達を作ると、圧倒的に仲間にしやすいのは、我々と同じように英語を母語としない人たちです。

中国人や韓国人やブラジル人やメキシコ人など、非英語圏の人との会話はとても楽しい。非常にわかりやすく、話も弾む。

なぜなら、英語ネイティブな発想の英語は使わないからです。

間違えても相手は分かろうとしてくれるし、下手同士でも英語という第二外国語という共通語を通じて心を通じ合わせることができるのです。

わたしも学生時代には親しい友達はマレーシア人やシンガポール人や韓国人がほとんどでした。

彼らとは下手な英語で何を話しても理解し合えたのでした。

また日本人の英語堪能な方の英語も非常に分かりやすい。日本語訛りのために聞きやすかったりもしますが、実は英語表現の発想が日本語由来だからです。熟語もほとんど使わないし。

別の例では、Don't you mind giving me your hands...?という疑問文。

英語では肯定ならば(手伝ってあげる)Noというべきところ、日本語では「ええ、かまいませんよ=Yes, I don't mind」というので、英語スキーマがないとYesと返答してしまう。

It's not badに対して相槌を打つには、Noと答えるべき、でもYes, not badと日本語スキーマは答えてしまう。

つまり英語的な発想を英語中に自然に使えないのです。

これが母語のスキーマ問題。これの克服が外国語習得の課題。

スキーマとは思考回路の違いなので、正確にも適応されます。
例えば内向的な人と外向的な人では行動パターンが決定的に異なります。
英語と日本語の違いもこれに近い。
似たような概念の言葉も両者の間では機能の仕方が異なるわけです
言ってみれば、外国語習得は内向的な人が外交的な思考回路を学ぶことと同じ
生理的に無理を感じてしまう

外国人同士は母語がたとえ中国語やスペイン語などと異なっても、喋る英語や書く英語は非ネイティヴなので、英語ネイティブとは違った思考で英語を駆使する。

英語がコミュニケーションの道具でしかないならば、これでもいいのでしょう。

でも彼らが喋っている英語は、本当の英語文化に根差した英語ではない。

欧米を離れて英語は世界言語として機能しているけれども、そういう使い方では、英語ネイティブには自然には通じない。

非英語ネイティブとのコミュニケーションには困らなくても。

英語文化に根ざさない共通語としての英語はLingua Francaと呼ばれる
中世ヨーロッパでは
ヨーロッパ人と通商するアラブ人は
アラビア語とラテン語が混じったような共通語で会話していたのでした
Francaはフランク帝国(のちの神聖ローマ帝国)と言う意味
外国人の話す英語文化発想に根ざさない英語はまさにLingua Franca

逐語訳できない口語表現

英語とは欧米文化圏の産物。

そのことを例示するために、ある英語の極めて英語的な言い回しのフレーズを二つ紹介いたしましょう。

とにかく英語文化思考な英語の言い回し。

そのままの逐語訳では意味をなさない、意訳しないと通じない言い回し。

熟語、イディオムだとも言えますが、故事成語的な深い由来はなく、英語的な発想の口語表現。スラング的だけど、スラングのように時代や地域限定ではないほんとに英語らしい英語表現。

Tell me about it (本当だよね、その通り、わかるよ、全くだよ)

逐語訳すると「そのことをもっと言ってくれ」ですが、同意や共感を現した言い方で、本当にもっと言ってくれという命令文ではないのです。

「そうだろ、そのことをもっと喋って」

という意味ですが、普通は相槌を打つためのフレーズ。

いまではれっきとしたイディオムなのですが、こういう言い方はわたしの日本語スキーマはなかなか許容しない。

I know what you meanならば、日本語的直訳、でも英語ネイティブはこんな言い回しあんまり使わない。Tell me about it はとても良く耳にするのだけど。

古い映画では、しばらく前に亡くなられたオリヴィア・ニュートン=ジョンの「Grease (1978)」のこのセリフが有名。

訳すなら「そうだろ」「マジだぜ」「そうだよな」とかそんな感じ。

Beats me (分からない、理解不能)

これは It beats me の省略形。

「それは自分を打ち負かす」=「理解に負えない」=「それはわからない」という意味。

わたしが大好きなティム・バートンの映画「Big Fish (2003)」にはこういう場面があります。

She said that the biggest fish in the river, gets that way by never being caught.
What'd she say?
Beats me.

「川で一番大きな魚は普通の釣り方では捕まえられないと彼女は言ったんだ」
「どうして」
「わからない」
ユーアン・マクレガーとヘレナ・ボナム=カーター
Ewanˈ/juːən/は知らないと間違える名前かも
ウェールズやスコットランド起源の名
「Youth=若さ」や「God is gracious=神は慈悲深い」という意味で
EwenやEuanやEugeneも同じ意味

I don't know, I am not sure, と同じだけど、そのことは自分を打ち負かすという言い方が「わかんない」になるのです。

いつも I don’t know を連発している人はこれを覚えると、全くわからないと言うことを伝えやすくなります。分からないにも幅がありますから。文脈次第で使い分けるのは初心者には無理でもユーモアにはなるかも。

Beats me. こういう発想は日本語にはないですね。

英語的でBeatという言葉を「打つ」「打ち負かす」などとだけで理解していると永遠にわからない。自分の理解を超えている、理解不能なものは自分をやっつける、それがわからない。わからない対象は自分に対して攻撃するように働きかける。

Beatが日本語の「打つ」に相当するとしても、Beatには日本語の「打つ」と同じ言葉ではなく、意味は部分的には共通するけれども、イコールではないということです。

打つはHit, Strikeとも訳せるけれども、Hits meやStrikes meはほとんど聞かない。単語の持つ意味が違うからです。

Hitは物理的に打つ。Strikeは精神的に打つけど、Beatよりも深い打撃。

語学とは単語力である。

こう言うフレーズ、まだまだあります。

直訳しては言葉の含蓄する意味が違うために意味不明となります。

今井先生は著書の中で、

  • See ーー見ることで理解した、理解できないと見えていない

  • Watchーー観察する

  • Lookーー物理的に見えること

がいかに違うかを調べることを解説されています。

どれも「見る」でも、それぞれ違うし、SkELLのようなコーパスを使えば、どういう言葉が一緒に使われるかがわかります。見るにも他にもニュアンスの違う単語がたくさんあります。

用例を比較することで単語の違いが明瞭に理解できる。

他にもIntuitionとInstinctの違い。直感と本能とも訳せるけれども、どういう場面で使い分けるかは難しい。

RecomendとAdviseは?

SkELLを使うとどういう言葉それぞれの単語に伴われやすいのかが判る
Highly tecommendedはよく使われるけれども、Highly advisedとは言わない
Wrongly advisedはあり得ても、Wronly recommendedは変。

とにかく似た言葉を比較して、言葉同士の関連性を学びながら「語彙を増やせ、単語力を高めよ」というのが英語上級者になるための今井先生のお言葉でした。

英語ってイギリス人の発想から生まれた外国語。

スキーマ、思考の仕組みの違いを徹底的に学ぶには、似た言葉の含蓄する意味の違いを知ることなのです。

どんなに発音矯正して母語の訛りのない万人にわかりやすい英語を発音できるようになり、流暢に喋れるようになっても、英語的な発想の英語を喋れないと本当に英語を理解したことにはならない。

つくづくそう思わざるとえない。

逆に日本語語彙で英語に訳しきれない言葉もたくさんある。

2004年にノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣だったワンガリ・マータイさんは日本語の「もったいない」という単語を世界的に広めました。

マータイさんの英語は分かりやすいですね。英語スキーマを持たない人だから。

もったいない=Wastefulでは決してないのです。

もったいないは物を大切にするべきと言う思いがこもった言葉。どこか日本的アニミズム発想の言葉。

英語のWastefulは即物的で、資源の無駄遣い以上のニュアンスはない。

まさに日本語スキーマの代表のような言葉

わたしは日本語大好きなので、英語スキーマを受け入れることにしばしば抵抗を感じます。きっとケニアのスワヒリ語により親近感を感じることでしょう。

まとめ

英語って徹底的に外国語。ああ英語って難しい。

スキーマの違いを克服して、英語文化的な発想から英語をアウトプットしようというお話でした。そして語彙力を増やすには、辞書を引いて文例で覚えましょうと。

映画の活用はとてもいいですね。特に日本語字幕付きで見て英語の表現と比較することがお勧めされています。

英語学習の最終段階、英語的発想の学習、それが英語スキーマの獲得なのでした。

追記:

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