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1954年の「二十四の瞳」から

けだるい八月の夏の日にはどこか太平洋戦争のことが自然と思い起こされるのです。

二度の被爆体験と終戦記念日があった八月は、日本の先の戦争を思い起こす月、わたしには八月は、夏休みやお盆である以上に、戦争を偲ぶ月です。

小学生の頃、暑い夏の日、夏休みなのに広島に原爆が投下された平和登校日には小学校に登校したりしました。

だからというわけではないのですが、名作の誉れ高い壺井栄の児童文学をもとにして、木下恵介監督が脚本を自ら書いて撮った、往年の名画「二十四の瞳」を観ました。

日本映画史上の最高傑作という呼び名も高い、本作「二十四の瞳」を観たのは生まれて初めてのことでした。

黒澤明監督の「七人の侍」とどちらが優れているか。

優劣つけられず、もうどちらを取っても好みとしか言いようがない。

今日はそんな古い映画のお話です。

高峰秀子演じる大石久子先生

当時29歳だった高峰秀子 (1924-2010) が映画の主演。

白黒の銀幕の中で本当に美しく、目の肥えた二十一世紀人の基準からしても、惚れ惚れとするような美しい女優です。

映画の最後、若さではち切れんばかりだった美しさを隠して、しわを書き加えた少しばかり老けた顔で苦難の時代を乗り越えた、人生に疲れた中年女性を立派に演じます。

女優魂ですね。

若々しさ溢れる映画冒頭の小石先生とは全く違った空気を漂わせる、
映画後半の高峰秀子
(先生なりたてが22歳ならば映画の最後は40歳なのですが、
あの戦争食糧難と精神的疲労する時代では人は早く老いたのです)
夫や男の教え子たちは戦死、末娘も食糧難の中、事故で失ってしまう
そんな人生の悲哀を知る女性を一身に演じているのです

昭和29年、終戦からわずか9年という時期に制作された白黒映画なのですが、近頃リマスターされた映像は本当に美しい。

自分が生まれるずっと前の、わたしが生まれる前から名作だと知られていた映画をいまさらながら見て、あまりの映像の美しさと物語の構成の素晴らしさに心打たれました。

ですがこの映画、自分には昭和世代には身近だった前の戦争のお話ではなく、もう七十年も昔の「歴史」映画に思えてしまいます。

わたしの両親の世代は昭和の高度成長期に「戦争を知らない子どもたち」だなどと呼ばれ、その子どもであるわたしは祖父の時代の出来事として、太平洋戦争をどこか身近なものとして、おかしな表現かもしれませんが、親しんできました。

でもわたしの子供たちの世代、今の十代の若者にはすでに歴史の中の物語です。

わたしが子供の頃、明治や大正の時代をもう自分とはあまり関わりのない歴史時代だと思っていたように。

戦前の宮沢賢治の童話や江戸川乱歩の推理小説も、子供の頃には自分の住んでいた世界とは隔たった遠い世界に思えたものでした。

賢治や乱歩の世界は、異国情緒を漂わせた不思議空間のようなものだったかもしれません。

いまでは昭和時代も、昭和レトロが令和の世で流行っているように、どこか遠い異国の風景。

だから昭和時代には反戦映画とも呼ばれた名作映画「二十四の瞳」はいまの自分には歴史ドキュメンタリーに見えなくもない。

映画の中の全てが遠い異国の情景のよう。

物語の描く世界

「二十四の瞳」は1920年代終わりから1940年代半ばまでの日本の貧しい田舎の小学校の先生とその教え子たちの物語。

大石先生演じる高峰秀子が主演だけれども、彼女の教え子の十二人も脇役ではなく、わたしにはみんな主演です。二十四の瞳はわたしには群像劇。

そんな全ての登場人物たちが活躍する映画の中で、わたしが特に注目したのは映画の中で使われた音楽(子供の歌う唱歌ばかり、すこしだけ戦時中の軍歌)。アニーローリーや荒城の月や浜辺の歌も。

かーらーすー、なぜ鳴くのー
からすはやーまーにー
かーわいーい、なーなあつーうの
子があるからよ

こんな歌がとても深くて懐かしい歌に思えてさえくる

歌のことはこちらの秀逸な記事で詳しく解説されています。

思わずNoteで見つけた珠玉のような記事。時々こんな記事に出会えるのはNoteの良いところですね。

俳優たち子役も含めて誰もが精一杯で素晴らしい。でもあまりに音楽に心奪われたので、わたしには映画の主題は、よく言われるように師弟間の愛情よりも、わたしにとっては時の流れの深さにより心動かされました。

音楽は時代を超えて次の世代へと伝えられるもの。わたしが知っていて、そしてわたしの次の世代も親しんでいる歌がずっと昔にも愛されていたという事実に感動します。

戦争も描かれているけれども、いまとなっては、戦争は不況と不景気の行き詰まりの結果でしかなく、戦争を描くことが物語の主題ではないのです。

物語のわたしにとって主題は、歌声にのって伝えられる時の深さなのです。

時間という主人公

小さな子供たちが青年になるに十分なふた昔にあたる十八年の時間の中が映画の舞台。

映画や物語というメディアが優れているのは、時間を物語ることに秀でていること。

時の流れの中で人がいかに変わってゆくのかを描くことができることが物語るという手法の特権。

古い遺跡は時の流れを感じさせてくれるでしょうが、往年の英華を偲ぶには、想像力が必要。

類い稀なる想像力がなくとも、現在と過去を対比してくれるので、映画や物語はいいのです。劇中歌われる名曲「荒城の月」も土井晩翠の格調高い詩句があるからこそ、瀧廉太郎の作曲に時の深さが込められるのです。

映画の場合は、映像と言葉。

「二十四の瞳」はごく平凡な田舎の島の人々の物語。

でも彼らの過ごした昭和時代初期の十八年間は特別なものでした。

戦争はもちろん大事なテーマ。でも庶民にとっての戦争とは次のようなもの。

その春(昭和八年)日本が国際連盟を脱退だったいして、世界の仲間はずれになったということにどんな意味があるか、近くの町の学校の先生が牢獄につながれたことと、それがどんなつながりをもっているのか、それらのいっさいのことを知る自由をうばわれ、そのうばわれている事実さえ知らずに、田舎いなかの隅すみずみまでゆきわたった好戦的な空気に包まれて、少年たちは英雄の夢を見ていた。 

原作第七章より

激動の時代の凝縮された時の深さがここに込められています。

戦争なんて彼らの日常でしかなく、彼らは善悪などで時代を判断せずにあるがままに精一杯生きていただけ。

映画はそんな彼らの暮らしぶりを唱歌にのせて淡々と映し出してゆく。そして知らないうちに世界は変わってゆくのです。

作者壺井栄の原作を読むと映画以上に時の流れの深さを実感することができます。

昭和の終わりに小学生だったわたしは推薦図書として題名を知っていながらも、いまの今まで読まないでいました。でも本当に読んで良かったと思います。

美しい日本語の、美しい日本の心が描かれた作品です。

原作は著作権が失効していますので、青空文庫から無料で読むことができます。

出版後、すぐにベストセラーとなり、二年後の昭和二十九年に映画化さえされたのでした。

先生への感謝が尊かった時代

物語はとても有名だと言われているのですが、映画を見る前のわたしのように、今のいままで知らない人もいるかもしれません。私はかなりの読書家なのですが、この本は盲点でした。

大事な部分が完全にネタバレようにハイライトだけ解説してみましょう。

昭和三年に小豆島の岬のはずれの小学校の分校に赴任してきた、新任の若い女の先生が受け持つ最初の生徒たちの数は十二人。貧しい家庭ばかりから集まってきた子供たち。

その子たちのキラキラした目の輝きは映画の中でも最も印象的な部分。

名子役でもなんでもない子供一人ひとりの顔が画面いっぱいに順番に映し出されるのです。木下恵介監督の素晴らしいカメラワーク。

こんなキラキラした目をした子供たちの目が二十四

十二人の小学一年生たちは純真そのもの。

小柄なので「小石」先生と子供たちに呼ばれる若い大石先生は、純真無垢な子供たちを精一杯に可愛がります。

貧しい地域の子供たちは幼くても学校以外の時間は家では働いている。働かないと家計が立ち行かない。そういう時代です。

だからこそ、学校の時間では子供たちに子供らしいことをさせてあげたい。先生は子供たちと歌をたくさんたくさん歌うのです。

わたしも外国に住む我が子の小さい頃は日本の歌ばかり聴かせて日本語を覚えさせました。歌ほどに言葉の勉強に役立つものはありません。

そんな先生ですが、砂浜の落とし穴に落ちて怪我してしまいます。

足を怪我して松葉杖に頼って歩く大石先生は遠い分校に通勤できなくなります。それまでは当時の田舎には珍しかった自転車通勤をしていたからです。

学校に通えなくなった先生を慕う生徒たちは、子供の足には遠い先生の自宅までみんなで訪ねてゆきます。

その時、こんな田舎では当時はまだ珍しかった写真撮影をします。

かけがえのない時間を閉じ込める写真撮影

人は誰しも、流れゆく時の流れの中の自分の存在に気がつく時、人生の深みを実感するものです。若い頃には分からなくても、自分が振り返ることのできるような過去を持てるようになった時、その昔の自分や仲間たちを懐かしく思う。

こういう感慨は小説や映画ほどに見事に表現できるものはない。

どんな写真も後になって見返すと思い出深いものなのですが、この映画ではこの写真の持つ時間の深さが本当に意味深い。

映画の終わり、写真の中のいく人もがもうどこか別のところに行ってしまって会えなくなる。戦地に旅立った男の子もいれば、家運が傾いて夜逃げした子、重い病で早世した子もいる。

でも同時にまた、小石先生が再び会うことのできた子供たちもいたのでした。

時間の流れの中で変わったものもたくさんあったけれども、変わらなかったものもあった。

あまりにも全てが変わってゆく世界の中で、変わらなかったのは、先生がかつての小さかった生徒たちを思う想い、大きくなった生徒たちが先生を慕う想い。

劇中何度も繰り返される唱歌の中には、昭和時代には卒業式の定番ソングだった「仰げば尊し」が含まれていました。

恥ずかしながらわたしはこの曲をよく知らず、今回初めてじっくり聞いたような気がします。

わたしの小学校や中学校の卒業式には、この歌は歌われなかったのでした。今思えば残念なことでした。

自分は特に尊敬できるような学校の先生に出会えなかったり、そんな先生が支えてくれたような楽しい学校生活を送れなかったためでもありますが、

仰げば尊し、我が師の恩
教えの庭にもはや幾年いくとせ

なんて言葉を文字通りに実感できるような学生時代を過ごせた人たちが羨ましい。

儒教的な道徳観とは無縁なわたしには、大石先生と子供たちの心の交流は「恩」なんていうものよりも、親子の感情にも似た思いやりに思えます。

人を慕う感情。慕情。情愛。懐かしい思い。

こういうものは時間の中で熟成されて醸されて、忘れ難い思いとなるのですね。

人と人のつながりはどれだけ一緒の時間を過ごしても思いやりがないと育ちません。

そんな当たり前なことも大石先生から学び直したような思いです。

泣きたい時は先生のところにいらっしゃい、わたしも一緒に泣いてあげるわ

時の深さに感慨を抱く

自分もまた、老いて死んでゆく存在だと悟るようになる時、本当に人生が意味深くなるような気がします。

無我夢中で生きている若いうちには分からないものを時間の中に見つける。

あっという間に過ぎていった時間を振り返る時、自分とは何だったのかがわかる。

「二十四の瞳」の場合、先生より若かった人が先に逝き、映画後半、先生はもはや若くない。でもそんな先生は最後に自分がかつていた場所、一番最初に教壇に立った岬の文教場(分校)に戻って再び先生になるのです。

生徒たちとの修学旅行
でも全ての生徒が来れたわけではなかった
先生にとっても激動の時代の束の間の楽しかった時間

記憶と思い出

この映画では、上に挙げた写真の中で時の深さが象徴されています。

映画を観ている途中では、この浜辺のクラス写真はただの記念写真。

でも映画を見終えた後に改めて同じ写真を見ると、身をつまされる思いがします。

かつてあったものが失われてしまったことの記録だからでしょうか。

いやそれだけてはなく、映画を見ることで映画の中の生徒や先生たちと一緒に同じ時間を過ごして、彼らに感情移入して、彼らと共に泣き笑い、そして十八年の時を映像を通じて追体験したからですね。

その時間を写真と共に登場人物たちと一緒に振り返る。

写真は追憶なのです。未来ではなく、いつだって過去の記憶。

英語では、人は Mortal であると言われます。

Mortal とは「有限の命を持っている存在」のこと。

聖書という宗教書の真髄は、人は自分が Mortal であることを知り、Immortal つまり永遠の命に至ることだとも言われます。

神様を信じると永遠の命を保つことができると。

肉体が滅びても、魂は神と共に永遠に生きるのだと。

でも非キリスト教的な考えでは、人は有限の生を持っているからこそ、人の命は尊いという考え方に行き着きます。1970年代に一世を風靡した名作アニメ「銀河鉄道999」のテーマもそれでした。トールキンの「指輪物語(映画ロードオブザリング原作)」では不死のエルフたちは人生に飽きて、短い命を完全燃焼する人間たちに軽い羨望を覚えているという記述もありました。

人の命の儚さ、人生の儚さを学ぶこと、ここに人生の素晴らしさがある。

人は誰もが死んでゆき、人生は一度しかないからこそ、大切にする。

誰かのことを大切に思えるのも、自分もあの人も同じような弱い存在だということを知っているから、Mortal だからなのだなってわたしは思うのです。

この映画には、そんな人生の儚さへの気づきが時の流れの中に見事に描き出されているのだと思います。

だから、誰もがこの映画を観て涙を流す。

ただあんな時代に生きた生徒たちが可哀想というのではなく、自分もまた、彼らと同じだからと思うと映画から受ける感銘はより深くなることでしょう。

あの頃のごく普通の日常の風景

昭和恐慌と呼ばれた貧しい時代の描写に心打たれます。

わたしには柳行李の古いお弁当箱が嫌で、百合の花の柄のお弁当箱が欲しくてたまらない松江という女の子のエピソードが忘れられません。

「このなの、うち恥ずかしい」

マッチャンこと松江はとても貧しくてみんなが持っているような可愛い柄の入ったお弁当箱を買ってもらえない。不景気で親にはそんな経済的余裕はない。

 そういってその場を流されたのだが、松江のためにさがしだしてくれたのが、古い昔の柳行李やなぎごうりの弁当入れとわかると、松江はがっかりして泣きだした。今どき柳行李の弁当入れなど、だれも持っていないことを、松江はしっていたのだ。世の中の不況ふきょうは父の仕事にもたたって、大工だいくの父が、仕事のない日は、草とりの日ようにまでいっているほどだから、弁当箱一つでもなかなか買えないこともわかっていた。しかし松江は、どうしてもほしかったのだ。ここで柳行李をうけいれたら、いつまでたっても百合の花の弁当箱は買ってもらえまいということを、松江は感じて、ごねつづけ、とうとう泣きだしたのである。しかし母親もなかなかまけなかった。
「不景気なんだから、ちっとがまんしい。来月になって、景気がよかったら、ほんまに買おうじゃないか。なあ、マツはいちばん大きいから、もっと聞き分けいでどうすりゃ」
 それでも松江はしくしく泣いていた。いつやむともしれないほど、しんねり泣きつづけるのは、よほどの思いにちがいない。そのままつづけばいつやむともしれぬ泣きぶりであった

原作第五章より

いまで言えば、お父さんのお古の地味なお弁当箱ではなく、大人気キャラクターのキュートなデザインのお弁当じゃないとみんなに笑われるというところでしょうか。

このお弁当箱、原作では映画よりも印象的に時を象徴するアイテムとして何度か言及されます。

小石先生が松江に届けた百合の花のアルミの弁当箱

そして松江の人生もまた、大きく不景気な時代に左右されてゆく。

先生も時の流れの中で変わるけれども、子供たちはそれ以上に変わってゆく。

主人公たちは、確かに彼らの時代があまりにも貧しかったから、あんな生き方を強いられたのでした。

でも彼らだけが特別ではない。

2023年、遠い海の向こうの欧州の果てのウクライナ戦争は直接的に我々には関与しませんが、戦争は世界経済に大打撃を与えるという形で、世界的な物価高騰を引き起こして我々の暮らしを逼迫されています。

昭和の初めの人たちも同じく少しずついろんな負の経済的影響を受けて、知らず知らずのうちにあのような終末へと至ったのでした。

時はじわじわと侵食してゆく。

そして後になって、その事実に思いが至る。

日常の中で暮らしている自分たちには日常の変化になかなか気づけない。

良い意味にも悪い意味にも、時の流れの素晴らしさを味わえることは大人の特権です。

子供にはこの時間の深さはなかなか分からない。

だからマッチャンの情けなさとやるせなさ、悲しさに、自分は大人としていたたまれなくなる。

いまではあの頃の日本だけが特別だったとは自分は思わない。昭和はもう歴史の中のことだから。1990年代のユーゴスラビアは1940年代の日本のようだったし、1960年代のベトナムも現在のウクライナもまたそう。

我々の時代にも戦争はあるのですから、あの頃だけが特別ではない。

現在の日本にもどこかに別のマッチャンがいるし、知らずに英雄になることを夢見ている子もいることでしょう。

出征してゆく竹一
「生きて戻るな」という軍歌の中、故郷を後にして二度と故郷の土を踏むことはなかった

あんな時代もあったんだ、でもそんな時代もまた、繰り返されてゆく。

そんな思いがしないではない八月です。


こちらのDaily Mortinからリマスター版、英語字幕付きで映画を鑑賞できます。

七十八回目の終戦記念日を数日後に控えた八月に。

視聴された方、または原作を読まれた方、あなたのご感想もぜひお聞かせ下さい。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。