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『二十四の瞳』と音楽家・木下忠司


佐藤利明(オトナの歌謡曲プロデューサー・娯楽映画研究家)

 木下惠介監督の代表作であり、日本映画の最高峰の一つである『二十四の瞳』は、風光明媚な香川県小豆島にある岬の分教場に赴任しした若き“おなご先生”と12人の純粋で美しい瞳の子供たちの、戦前、戦中、戦後を描いた感動篇。この映画で重要な役割を果たしているのが“音楽”、しかも明治、大正、昭和のこどもたちが口ずさんできた「童謡・唱歌」の数々である。

 壷井栄の原作を映画化するにあたって、木下監督は、弟で作曲家の木下忠司に「『二十四の瞳』の音楽は、全部唱歌で行けるかな?」と相談。そのアイデアに忠司も感心、楽曲のセレクションを二人で始め、映画全体の音楽イメージが作られていった。木下作品で「童謡・唱歌」というと戦後初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』(1951年)でも「ふるさと」が、牧歌的な浅間山麓の風景のなかでベストマッチしていたが、今回は「郷愁」と「叙情」をかき立て、観客が「あの時代への想い」を共有するために効果的に使われることとなる。

 木下忠司は、1916(大正5)年、木下惠介監督の4つ年下の弟として静岡県浜松市に生まれた。音楽家を目指して、武蔵野音楽学校で声楽を学び、1940(昭和15)年の卒業後、新交響楽団(NHK交響楽団)の機関誌「フィルハーモニー」の編集者となるも応召。戦後、兄の紹介で松竹に音楽部員として入社。1946(昭和21)年、木下惠介監督の『わが恋せし乙女』の音楽を手掛け、以後、木下惠介全49作品のうち45作品の音楽を担当することとなる。
『破れ太鼓』(1949年)では、次男で作曲家の平二役で出演、劇中で歌った主題歌が親しまれ、戦後日本映画を代表する音楽家として活躍。馴染みやすいメロディ、力強いテーマ音楽。喜劇、メロドラマ、ドラマ、文芸作品、そして音楽映画、多彩な木下惠介作品を、カラフルなサウンドで支えた木下忠司の音楽世界は、戦後の大衆音楽の歴史でもある。

 映画の劇伴奏だけでなく、『カルメン故郷に帰る』の「そばの花咲く」や『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)など、数々の映画主題歌も手掛け、多くの人々がそのメロディを口ずさんだ。木下監督がテレビに進出してからも「記念樹」(1966年)や「二人の世界」(1970年)など、数多くのヒット主題歌を手掛けている。

 そんな木下忠司だが、『二十四の瞳』では、「童謡・唱歌」が主役であることもあり、音楽家としては作曲よりも編曲の仕事に徹したという。その時に心がけたのは、挿入歌やBGMには前奏や間奏をつけないこと、観客にとって耳馴染みのメロディがリフレインされることで「童謡・唱歌」のイメージがより強くなるから、だった。

 劇中のBGMもほとんどが、「童謡・唱歌」のメロディをモチーフにアレンジしたものとなっている。150分の上映時間のうち、歌唱シーンも含め、音楽が使用されている場面は90分以上にも及ぶ。

 タイトルバックの子供たちの歌声と混声コーラスによる「仰げば尊し」から、観客は“懐かしき唱歌の調べ”の世界に引き込まれる。そしてサイレント時代から映画伴奏では定番だった「アニー・ローリー」のゆったりしたメロディが奏でられるなか、美しい小豆島の風景がスクリーンに展開される。音楽と映像が、これから展開される物語への期待を高めてくれる。続いて子供たちが「村の鍛冶屋」を歌うシーンとなる。BGMから挿入歌へのシフト、さらに各場面のBGMとなる唱歌のメロディが、叙情をかきたててゆく。そのあたりの音楽演出に注目して映画を鑑賞すると、より味わい深く『二十四の瞳』を楽しむことができる。

 数ある唱歌のなかで、主題歌として扱われているのが「七つの子」。壷井栄の原作では、「烏の手紙」(作詞:西条八十 作曲:本居長世)が登場するが、耳馴染みの曲でなかったために、“カラス”つながりで「七つの子」になったという。

 特に、男子生徒たちが成長し、戦争にかり出されてゆくシークエンスでの「日本陸軍」「露営の歌」「暁に祈る」といった軍歌は、それまでの美しい唱歌のメロディと一変。木下監督の戦争への怒りが、じわじわと伝わってくる。

【楽曲解説】

1  仰げば尊し 〜タイトル〜

 1884(明治17年)発行「小学歌唱集」第3編収録。長年作者不詳とされてきたが、2011年になって“Song for the Close of School”というアメリカの楽曲が原曲であることが判明された。日本では卒業式の定番として明治、大正、昭和にかけて歌われてきた。2007年には「日本の歌百選」に選ばれた。

2  アニー・ローリー

 スコットランド民謡として明治時代から親しまれてきている「アニー・ローリー」は、スコットランド美人として名高い、アンニー・ローリーをテーマに詩人のウィリアム・ダグラスが1700年に書いた詩に、1838年になって女流音楽家ジョン・ダグラス・スコット夫人が曲をつけたもの。明治時代に日本に入ってきて、無声映画の伴奏曲などで使われるようになり、親しまれていた。

3  村の鍛冶屋

 木下惠介監督が生まれた1912(大正元)年12月に、「尋常小学唱歌(四)」に収録された。劇中では岬の分教場の生徒たちが、通学途中に歌っている。歌詞は時代とともに書き換えられており、ここでは当初のオリジナルが使われている。ちなみに2番の「あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)」は、1942(昭和17)年には「あるじは名高いいっこく者よ」と改められた。

4  ふるさと ~下校のひととき〜

 本作のモチーフの一つである「ふるさと」は、1914(大正3)年に「尋常小学唱歌(六)」に収録。「朧月夜」「春の小川」と同じく作詞・高野辰之と作曲・岡野貞一とされている。

5  汽車は走る/七つの子/ひらいたひらいた

 「汽車は走る」は小学唱歌「蝶々」と同じメロディで、原曲はドイツの子供たちの雪遊びの歌。本作の主題歌ともいうべき「七つの子」は、野口雨情が作詞、本居長世が作曲。1921(大正10)年、児童文学誌「金の船」7月号で発表されたもの。「ひらいたひらいた」はわらべ歌として古くから親しまれてきた。大石先生と子供たちが電車ごっこをする場面は、小豆島の桜の名所、池田の城山で撮影された。

6  七つの子 ~12人の生徒たち〜

 「七つの子」をBGMに大石先生が自宅で、初めて岬の文教場で、生徒たちの出席をとったシーンを回想する。

7  あわて床屋

 1919(大正8)年、雑誌「赤い鳥」6月号で北原白秋の書いた詩に、一般公募で曲を募集。石川養拙のメロディが当選し、成田為三が編曲したものが発表されたが、白秋がこのメロディを気に入らずに、1926(昭和2)年に山田耕筰が改めて作曲。それが定着することとなった。

8  ちんちん千鳥

 おなご先生が怪我で学校を休んだために、おとこ先生(笠智衆)が懸命に歌の練習したのが「千引きの岩」。ところが生徒の反応が芳しくないので、急遽歌うのが「ちんちん千鳥」。ここで歌われているのは1921(大正10)年8月10日発行の『「赤い鳥」童謡 第五集』で作詞・北原白秋、作曲・成田為三の曲として発表されたもの(近衛秀麿が作曲したヴァージョンも親しまれている)。

9  ふるさと ~先生のお見舞い〜

 子供たちが親たちに内緒で先生を見舞いに行くシークエンスのBGMとして流れた「ふるさと」。主旋律のリフレインが多い劇伴奏のなかで、ここだけは例外的に間奏を巧みに入れている。

10  朧月夜

 先生のお見舞いに向かうシーンの続きで流れる「朧月夜」。1914(大正3)年、「尋常小学唱歌(六)」に収録された高野辰之作詞、岡野貞一作曲の唱歌。高野が長野県飯山市で小学校教師をしていた頃の菜の花畑の印象を詩にしたという。ここではメロディだけだが、戦後、大石先生が生徒の墓参りをする哀惜の場面では、子供たちのコーラスで歌われる。

11  七つの子

 岬の文教場で生徒たちが、本校へ移ることになり別れを告げにきた、大石先生を見送るシーンの曲。おとこ先生は例によって「千引きの岩」を歌わせようとするが、子供たちはやはり「七つの子」を歌う。

12  春の小川 ~5年の歳月〜

 それから五年「海の色も 山の姿も そっくりそのまま 昨日につづく 今日であった」とテロップが入る時間経過シークエンスのBGM。「春の小川」は、1912(大正元)年、「尋常小学唱歌(四)」に収録された唱歌。高野辰之作詞、岡野貞一作曲とされる。1942(昭和17)年の改訂まで「春の小川はさらさら流る」という歌詞で親しまれていた。

13  荒城の月 ~6年生〜

 大石先生の初めての生徒たちも六年生となる。前曲「春の小川」BGMに続いて、船を漕ぐ生徒たちが歌っているのが「荒城の月」。1901(明治34)年に旧制中学唱歌懸賞応募曲として土井晩翠が作詞、瀧廉太郎が作曲。映画では2番「秋陣営の霜の色〜」、3番「今荒城の夜半の月〜」、4番「天上影は変わねど〜」が歌われている

14  みなと  ~大石先生のお婿さん〜

 6年の子供たちが、船を漕いで船着き場にやってきたのは、大石先生のお婿さんを一目見ようとしたから。個性派として後に活躍する天本英世が演じた、大石先生の夫は、連絡船の船乗り。ここで流れる「みなと」は、1912(明治45)年「尋常小学唱歌(三)」に収録。長らく作者不詳だったが、1970年代になって、旗野十一郎作詞、吉田信太作曲と判明した。

15  星の界  ~松ちゃんへの手紙〜

 妹・百合が亡くなり、学校を休んだままの川本松江(草野貞子)を気遣う大石先生が、彼女への手紙を書く。授業のシーンにモノローグとして松江への手紙が読まれるバックに流れるのが、チャールズ・コンヴァースが作曲した「星の界(よ)」。賛美歌「慈しみ深き友なるイエスは」のメロディが文部省唱歌として採用され、広く親しまれることとなった。

16  星の界  ~松ちゃん、大阪へ〜

 その松江が、大阪に奉公に行ったと知らされ、その運命に涙する大石先生。ここでも「星の界」が効果的に使われている。

17  金毘羅船々 ~修学旅行〜

 生徒たちが修学旅行の船のなかで歌う民謡「金比羅船々」は、香川県の琴平山にある象頭山松尾寺金光院、通称・金比羅権現参りを歌ったもの。江戸時代後期には、金比羅参りがブームとなった。

18  浜辺の歌

 声楽の道へ進むことが希望の旅館の娘・香川マスノ(石井シサ子)が美しい声で歌う「浜辺の歌」はは、漢文学者・林古渓が東辻堂海岸をイメージして作詞したものに、1916(大正5)年頃、後に数多くの童謡を手掛けることになる、東京音楽学校在学中の成田為三が作曲。

19 アニー・ローリー ~将来への希望〜

 綴方の授業で「将来の夢」を書く子供たち、それぞれの夢、それにたちはだかる厳しい現実。優しく流れる「アニー・ローリー」のメロディ。

20 仰げば尊し ~卒業〜

 大石先生がはじめて受け持った子供たちの卒業式で、生徒たちが歌う「仰げば尊し」。一人一人の生徒たちの顔が、前半の初めての出席をとるシーンと、観客のなかで重なってゆく。歌詞は国語学者の大槻文彦、里見義、加部厳夫の合議によって作られた。

21 日本陸軍

 「海の色も 山の姿も 昨日につづく 今日であった」と時間経過のスーパーがリフレインされるなか流れる「日本陸軍」は、1904(明治37)年に発表された軍歌。作詞は「鉄道唱歌」の大和田建樹、作曲は深沢登代吉。1番「天に代わりて不義を射つ」は「出征」、2番「或は草に伏し隠れ」は「偵察」と、陸軍の兵科を歌い込んだもの。「しかし そこに住む人々の 生活はー 支那事変 日独伊防共協定 大きな歴史の 流れに おし流されていった」というスーパーに、木下監督の時代への想いが伺える。

22 七つの子/露営の歌/暁に祈る

 病床の片桐コトエ(永井美子)が大切にしている、想い出の写真に流れる子供たちの「七つの子」。あの時代はもう帰ってこない、という切なさ。それが軍歌「露営の歌」「暁に祈る」にかき消されてゆく。「露営の歌」は1937(昭和12)年9月にレコード発売された軍歌で、作詞は薮内喜一郎、差曲は古関裕而。男性コーラスがかぶさる「暁に祈る」は、1940(昭和15)年の松竹映画『征戦愛馬譜 暁に祈る』の主題歌としてヒットした戦時歌謡。流行歌が軍国主義を勇ましく謳い上げるものとなった時代を、この2曲が象徴している。

23 若鷲の歌

 映画音楽を担当した木下忠司が、唯一リアルタイムで知らなかったというのが、1943(昭和18)年、戦意高揚映画『決戦の大空へ』(東宝)の主題歌で、軍歌として流行した「若鷲の歌」(作詞:西条八十 作曲:古関裕而)。忠司は戦争で外地にいたために、この歌を当時、聞いていなかった。

24 朧月夜/埴生の宿 ~夫の戦死、8月15日〜

 戦死した島の人々が白木の箱とともに帰ってくる。雨の降る日、港で大石先生の長男・大吉(矢代敏之)が遺族を出迎えていると、父の戦死を報せに大石先生が走ってくる。戦争の犠牲はいつも庶民。静かに流れる「埴生の宿」は、イングランド民謡で原題は“Home! Sweet Home!”「楽しき我が家」というもので、耳馴染んだメロディがひときわ悲しく聞こえる。

25 朧月夜~墓参

 そして敗戦、夫だけでなく、男子生徒のほとんどが戦争で亡くなってしまった。その墓参をする大石先生。バックに流れるのが、これまでBGMだった「朧月夜」。平和は戻ってきたが、失ってしまったものは大きい。

26 七つの子

 大石先生が学校に復帰、かつての生徒たちの子供や妹たちが、一年生として入ってきた。そんな時に、かつての教え子たちがマスノの実家の旅館で同窓会を開いてくれる。そこで感動的に歌われる「七つの子」。山田洋次監督は本作へのオマージュをこめた、第37作『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』(1987年)で、式根島小学校の卒業生たちが、恩師・真知子先生(栗原小巻)を囲む同窓会のシーンで、この「七つの子」を歌わせている。

27 浜辺の歌   歌:月丘夢路

 大人になった香川マスノ(月丘夢路)が、万感の想いをこめて歌う「浜辺の歌」。修学旅行の船で歌ったシーンのリフレインが感動を誘う。

28 仰げば尊し  ~エンディング 〜

 教え子たちからのプレゼントの自転車にのり、雨の日も、風の日も、大石先生は学校へ通う。タイトルバック、卒業式、そしてエンディングで三たび流れる「仰げば尊し」は、子供たちと混声コーラスによる歌声で、優しく映画を締めくくる。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。