モーツァルト作じゃなければ聞かないの?: 子守唄とヴァイオリン協奏曲
うちの子が赤ちゃんだった頃に、毎日歌っていた子守唄がありました。
我が子を寝かしつけるたびに歌っていたのですから。わたしの人生において決して忘れ得ぬ歌です。
子守唄K.350
ヴォルフガング・アマデオ・モーツァルト作曲とされる子守唄には、350番というケッヘル番号が付されています。
毎日歌っていたのは、堀内敬三作詞の日本語訳。食器棚の中をネズミが駆け回っていた時代の歌。
三拍子のブラームス作曲の子守唄よりも、八分の六拍子のモーツァルト(フリース)の子守唄の方がわたしはずっと好きです。終結部のピアノ伴奏部分の落ちてゆく音形は前半の単純な歌との対比ゆえに非常に美しいのに。誰が書いたかに関わりなく、名作はもっと聞かれるべき。そして歌われるべき。
音楽史上最大のオペラ作曲家の一人であるモーツァルト (1756-1791) は、数多くの素晴らしい歌曲を作曲した名歌曲作曲家でもあります。オペラアリアのような歌唱のプロのためではない、民謡のような誰にでも歌える歌が歌曲です。
こうした誰にでも歌える民謡のような形態の歌曲は、後のフランツ・シューベルト (1797-1828) によって極められますが、歌芝居歌劇「魔笛」の作曲家モーツァルトの歌曲は数こそ多くはないものの、質においては歌曲王シューベルトにも匹敵するものです。
人生の最期を描き出した「夕べの想い Abendempfindung K. 523」のような音楽を知らないでいたならば、わたしの人生は随分と色褪せたものとなったのではとさえ思えるのです。
名作モーツァルトの子守唄は、いまではプロの歌手に歌われることがほとんどない。
理由は、実はこの曲、モーツァルトの真作ではなく、ベルンハルト・フリース (1770-1851) という人の作曲だとわかってしまったから。
フリースはベートーヴェンと同じ年の生まれなので、フリースの音楽語法はモーツァルトのそれによく似ています。モーツァルトが書いてもおかしくなかったような佳品です。
しかしながら、どんなに良い曲でも、実は楽聖の手による音楽ではないと判明されると、愛好家は好まなくなるし、演奏家も演奏しなくなる。
求められているのは、モーツァルト作であることなのでしょうか?
モーツァルト大好きという方でも聴いたことがない、などという事態さえも生じているようで、残念なかぎり。
モーツァルトの偽作贋作
モーツァルトのお好きな皆様、これから紹介するヴァイオリン協奏曲をお聴きになられたことがあるでしょうか?
ザルツブルク時代のティーンのモーツァルトの大傑作である、全5曲とされるヴァイオリン協奏曲、実はなんと6つ目と7つ目と8つ目もあるのです。
真偽の疑われているヴァイオリン協奏曲集
第六番変ホ長調 K.236
偽作であると第二次大戦の後に判明して以来、現在ではほとんどコンサートホールの演目に上ることのなくなった名作。現在ではヨハン・フリードリヒ・エック (1767-1838) の作だとされています。
数多の往年の名ヴァイオリニストたちの優れた録音が残されているというのに。
ジャック・ティボー、ユーディ・メニューイン、ヘンリック・シェリング、ジャック・カントルフなどなど。
超有名な第五番がK.219であり、この第六番はK.236。
つまり、この曲は第五番よりも後の時代に書かれた音楽であると当初考えられていたように、第六番は、ザルツブルク宮廷楽団のコンサートマスターを務めていたモーツァルトの若書きの真作よりも聴き応えのあるという意見もあり、わたしもまたその意見に与したいですね。
実際のところ、モーツァルトの5つのヴァイオリン協奏曲は、モーツァルト全作品の中では、まだまだモーツァルトの本当の魅力に乏しく、飽きやすい音楽です。どんなに素晴らしくとも、壮年期の深みを獲得していない19歳の若者の作品。
同じヴァイオリン協奏曲ならば、数年後のパリ時代の協奏交響曲K364と比べると、若い作曲家の作曲技法の格段の進化に驚嘆します。
モーツァルトはその短い人生の中で、どんどん進化して深化してゆくから音楽芸術史上の奇跡なのです。
モーツァルトの存在が、音楽史上数多く存在する神童作曲家たち(後世のメンデルスゾーンやサン=サーンスやリヒャルト・シュトラウスなど)から隔絶するものとされるのは、神童時代のレベルに安住しないで、生涯にわたって学習し続けて、さらなる高みへと昇っていったがためである、とわたしは信じています。
モーツァルトは空前絶後でした。
壮年期の作品群にヴァイオリン協奏曲が存在しないことは全く残念至極です。
第七番ニ長調 K.271a
この第七番は、20世紀になってから出版された作品ですが、19世紀前半のパリに遺された文献から発見されたようです。
1778年のモーツァルトのフランス滞在時の作品でしょうか。少年モーツァルトは渡英前の1763ー1764年、そして帰路の1776年にもフランスにいたことがあります。
重音奏法などの多用はモーツァルト的ではないですが、なぜだかモーツァルト作にされています。作者は未だに不明。
モーツァルトの未完成の作品に手を加えて完成作としたのか(そういうものもいくつかあります)新発見があるまでは誰にもわかりませんが、モーツァルト作だとしても、これは編曲されたものでしょう。でもヴァイオリン音楽として、とても素敵な音楽です。
モーツァルト的な部分とそうでない部分が混じりあっていて、第七番は六番ほどにはモーツァルト的ではないのです。モーツァルトの同時代人ではない、19世紀人の手になる作品かもしれません。
第八番ニ長調<アデライード協奏曲> K.Anh294a
同じモーツァルトの作風を真似るにしても、20世紀になると事情が変わります。
20世紀は調性音楽崩壊の時代。もはや美しいメロディやハーモニーを書いていると古臭いと馬鹿にされる時代。西洋音楽の歴史は和声の進化こそが第一とされていて、進化し続けて進化の限界に辿り着いたのが20世紀。
和声の革命家クロード・ドビュッシーは、伝統的な三和音を使うことをやめて、四和音での音楽を発展させました。アルノルド・シェーンベルクは伝統的な機能和声を放棄して、音階を12の半音に均等に分けて使うという、十二音音楽(無調音楽)を創始。バルトークは12音じゃ足りないとさらに細かく音を分けて微音(マイクロトーン)の音楽さえも手掛ける始末。
微音は中国音楽やインド音楽にもあり、ここで世界音楽と一体化して伝統的な西洋クラシック音楽は終焉を迎えるのです。
もはや鑑賞することすら難しい「音楽のための音楽」の究極。
もはや新しい語法では書けなくなった芸術作曲家は、シベリウスのように筆を折るわけです。
さてそのような20世紀、それでも美しい古い時代の手法で作曲したい人たちはどうしたか。
18世紀の美しくわかりやすい音楽のスタイルで作曲しても、もはや誰も相手にしてくれない。
だから苦肉の策として、過去の有名な作曲家の名を借りて、「埋もれていた新作を発見しました」として自作を発表するのです。フリッツ・クライスラーはそうした作曲家の代表。
どこぞの名もなき作曲家がロココなスタイルで新曲を書いてもダメだけれども、それがモーツァルトの新作だとすれば、だれもが聞きたがるのです。
さて、ヴァイオリン協奏曲第八番が出版されたのは1933年。編曲者と名乗るフランス人ヴァイオリニストのマリウス・カサドシュ (1892–1981) の手によって。
カサドシュは10歳のモーツァルトによって書かれた草稿から編曲したと主張。最初のページにはルイ15世の4番目の娘である王女アデライード(1732–1800)に献呈されたと書かれていると語ったそうです。
アデライードはルイ15世の娘で、ルイ16世の叔母。
生涯未婚で、オーストリアからマリー・アントワネットが嫁いできたときにも、ヴェルサイユ宮に在住で、ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人を嫌い、マリーとデュ・バリー夫人 (1743-1793) との暗闘を手助けしたなどのエピソードが知られています。漫画「ベルサイユのばら」にもほんの少し登場します。
ヴァイオリン協奏曲「アデライード」は、やがて後年、著作権問題でカサドシュはこの曲が自作であると1977年に公表。
でも名前を伏せて聴くと、ほんとに見事にモーツァルトのスタイルで書かれているのは凄いのです。
上記のヴァイオリン協奏曲第7番は折衷スタイルでよくわからないですが、このアデライード協奏曲は、今後発達した人工知能がモーツァルトのスタイルのヴァイオリン協奏曲を書くならば、こんな風になるであろうというような一曲。
作曲家カサドシュは、モーツァルトの作曲技法を自家薬籠中のものとして、自由自在に若いモーツァルトのようなヴァイオリン音楽を書き上げています。
是非ご一聴ください。
名曲だから聴くのか、モーツァルトの作品だから聴くのか。なかなか難しい問題です。
西洋音楽の歴史において、名曲も山のようにあり、厳選するならば、名作曲家のものに限るというのは正しいのですが、偽作贋作であると判明したならば、もはや鑑賞されなくなるのは寂しい限りですね。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。