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蜘蛛に噛まれる

ある日突然、蜘蛛に噛まれていました。

噛まれて軽い痛みを感じた頃には、分厚い防寒用ジャケットに覆われていた右腕の肌には数か所の噛み傷が。

帰宅してすぐのことでした。

外出用の服を脱いで、長袖のシャツをまくり上げると、かゆみの原因はすぐに見つかりました。

一の腕の柔肌に醜く刻まれた、明らかに虫刺されな赤い斑紋。

猫を一匹飼っているので、蚤にでも噛まれたのかとも思いましたが、蚤とは違うタイプの大きな噛み傷。

やがて周りが赤くはれて膨れ始めました。服を脱いでも噛み傷を残していった張本人の姿は確認できず、何に噛まれたかわからないままでしたので、とりあえず蚊などの虫刺され用の抗ヒスタミン剤を塗っておきましたが、炎症は収まらず、軽いかゆみはうずき始めたのでした。

大江健三郎の中編小説に「河馬に噛まれる」という作品がありますが、河馬ではなく、どうやら蜘蛛に噛まれたらしいと判明した頃には手遅れというかもう右腕の肌はピンク色にかわり、肌は軽く腫れて膨れていたのでした。

インターネット自己診断して、どうやら蜘蛛らしいというところに落ち着きましたが、人を噛むような蜘蛛に噛まれる経験など今までに全くなかったのです。とんだ災難でした。

遅ればせながら、ほとんど思わしい効果を見せてくれない抗ヒスタミン剤をやめて、ステロイド剤に切り替えましたが、今日でもう噛まれて数日なのですが、いまだに痒いですね。

思い出したように時々痛みのセンセーションに襲われます。

オーストラリアには人を殺傷するほどの猛毒を持つ蜘蛛が生息していることが知られていますが、ニュージーランドはオーストラリアとは全く違った生態系を持つ地域。

でも噛む蜘蛛がすぐそばにいたなんて、驚天動地の驚きです。大袈裟!(笑)でも、これもまた人生経験です。

ニュージーランドの毒蜘蛛

大江の小説では、アフリカでは凶暴な河馬に立ち向かう者は戦士として尊敬されるのだとか。蜘蛛と戦っていいことなどありそうにありませんが、蜘蛛は噛むという教訓を忘れぬために、私の住んでいる地域(NZ北島)でも見つけられる毒蜘蛛を調べてみました。

人を噛む蜘蛛はそれほどに多くはないそうです。

でも人里では滅多に見かけない英語でRedBack、マオリ語でカティポー Katipōと呼ばれるタイプは非常に危険です。

NZの切手に描かれたKatipo

オーストラリアのRedbackはかなり大きくて恐ろしいですが、NZのタイプは小さい。

いずれにせよ、わたしを噛んだらしいものは、よく見かける普通の黒い蜘蛛でしょう。たまたま服の中に入りこんで、パニックになって噛んだというようなことだと思います。蜘蛛にとってもとんだ災難だったでしょう。

家の隅に蜘蛛の巣を張るような蜘蛛は普通は人畜無害。鬱陶しい蠅をとってくれるからと重宝がられる方もいますよね。

ですが実際のところ、どんな蜘蛛でも毒液を持ち、捕まえた獲物を麻痺させて、生きたまま獲物を頂くのです。

人が人家周辺で見かける蜘蛛を怖がる必要がないのは、人があまりにも大きくて、人家の周りで巣を張る蜘蛛は大抵、人の大きさに比してあまりに無力だから。日本の郊外でよく見かける細い体躯のジョロウグモが人を噛むなどあまり想像できません。

粘着力のある蜘蛛の巣をつくって獲物を待ち構えるタイプはそれほどに攻撃的ではありませんが、それでも狩猟型という部類に属するそうです。

世界中に生息する蜘蛛の全てが糸を張って幾何学的な模倣を空に織るわけではなく、半分ほどの蜘蛛は、巣を張って待つばかりではなく、積極的に昆虫や小動物などを狩に行くのです。

この歩き回って獲物を狩るタイプは時には危険。

因みに毒は英語でPoisonと呼ばれますが、似た言葉のToxicは中毒という意味、そして猛毒という意味では Venom が一般的に使われます。

毒のある蜘蛛と言えば、A Poisonous Spider と普通に呼びますが、Venomousなどというと、それこそ本当にサソリや毒蛇と同じくらい恐ろしい毒を持っていると誰もが思いますよ。

Venomousな蜘蛛でなくてよかったです。Venomousならば救急車で搬送されていたところでした。

「ジョジョの奇妙な冒険」から学ぶ蜘蛛毒

都会に住んでいると蜘蛛を危険な生き物であると認識することは余りないかもしれませんが、名作漫画「ジョジョの奇妙な冒険・第五部」にはこういう描写があります。

体を小さくされたナランチャは雲に襲われます。
カラー版・第五巻より。

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要するに、ほとんどの蜘蛛の毒というものは待ちさせるために使用され、捕食した獲物を殺さずに食べるのが蜘蛛。だから蜘蛛に噛まれると(毒液を注入されると)すぐに死んでしまうことはなく、痺れてしまうのです。

人の場合は、アレルギー反応のために痒くなったり痛みを感じるのです。

映画「ロード・オブ・ザリング:王の帰還」では、主人公フロドはシェロブと呼ばれる巨大な蜘蛛に襲われました。毒針に刺されても死なないで、痺れて動けなくされてしまいました。従者のサムは毒に侵されたフロドを死んだものと思っていたのですが、あとで毒のために仮死状態にあるだけだと気づくのです。蜘蛛は死んだ獲物は食べないのです。

でも噛まれた人が死んでしまうような猛毒を持つ蜘蛛もいます。虫の世界も奥深いものです。

「蜘蛛の踊り」の描かれる音楽

さて折角ですので、虫にまつわる素晴らしい音楽をご紹介いたしましょう。

音楽に描かれる虫では、やはり空を優雅に舞う蛾や蝶がしばしば音楽的題材として表現されます。

蝶々は、例えばショパンの練習曲作品25-9やグリーグやシューマンの小品など。

炎に焼かれる姿が何とも痛々しく、ある意味、人生を象徴しているかのような印象を与えるために炎を共に舞う蛾も音楽になりました。

モーリス・ラヴェルの「夜蛾」

モーリス・ラヴェルの名作「夜の蛾」は我が身を火に焼かれる闇夜を舞う悲しい蛾の姿の見事な描写。

ピアノ曲集「鏡」の第一曲。

4分ほどの小品ですが、半音階を駆使して怪しい翅のある虫が舞う情景が哀しげに音化されています。曲集「鏡」の第二曲は「哀しい鳥」で、第三曲目は管弦楽化もされている「海原の小舟」。そして最後の曲は舞踏曲「道化師の朝の歌」。どれも筆舌に尽くしがたい名作です。

ジョジョ第五部の主人公ジョルノは、生命の象徴なのか、テントウムシを自身のトレードマークにしているなど、どこか不思議な少年。

テントウムシは愛らしくていいですね。フランスのビゼーに「テントウムシ」という歌曲もありますが、不気味な容姿の蜘蛛はほとんど音楽には取り上げられません。

さて、ラヴェルにビゼーと、フランスという国は虫に馴染みが深い。フランスは日本人なら誰でも知っているであろう、昆虫の観察に生涯をささげたアンリ・ファーブル (1823-1915) の祖国。

そして英語圏ではほとんど知られぬ「昆虫記」という名著をものしたアンリ・ファーブルを擁するフランスは、もう一人の印象主義的作曲家アルベー・ルーセル (1869-1937) をも生み出したのでした。

ファーブル昆虫記から生まれたバレー音楽

若い頃は海軍に所属していたという異色の経歴の持ち主のルーセルは、ドビュッシーやラヴェルの同時代人。

一般的な音楽ファンには親しまれているとはいいがたいのですが(代表作の第三交響曲は20世紀最美の交響曲のひとつ)、印象主義的な音楽を愛される方には親しんでほしい作曲家ですね。芸術的インスピレーションが都会にしか住んでいなかった作曲家とは一風異なるのが魅力です。

後期にはより古典的な作風に変化しますが、ルーセルの初期の傑作バレー音楽の名は「くもの饗宴 The Spider’s Feast (Le Festin de l'araignée)」。

ファーブル昆虫記の記述にインスパイアされて、蜘蛛が主人公のバレエが生まれ、ルーセルが音楽を担当したのでした。

現在では音楽だけが知られていて、バレエの舞台の映像では残念ながら見つかりませんでした。現在では「くもの饗宴」は管弦楽組曲版がしばしば演奏会の曲目になります。

1912年から翌二年にかけて作曲されたルーセルのパントマイム・バレエは30分ほど。とても素敵な音楽が付けられていて、わたしはCDで組曲版を愛聴していました。

非常に緻密で、20世紀前半のカラフルなオーケストラ音楽の粋ですね。蜘蛛の踊る情景の音化は聞きどころですが、食べられてしまう虫たちは哀れなものです。また後半は主人公が蜘蛛から蜻蛉かげろうへと変わり、虫の命の儚さが踊りとして表現されるのです。

20世紀フランス音楽は、印象主義という言葉でしばしばひとくくりにされますが、19世紀ドイツの力強い音楽と印象が異なるのは、半音階的な和声を駆使することで、音楽の推進力となるいわゆる「V-I ドミナント・トニック」の和声解決をひたすら避けてゆくがために、フランス音楽は儚い淡い美しさを表現する最高の 音楽となりえたのです。

英語やドイツ語のように言葉の中に強いアクセントのないフランス語は、日本語のように音が平板に流れてゆき、言葉の音楽もまた、どこか優しくて緩やかで儚いのです。そんなフランス的な美を蜘蛛などの虫たちの踊りとして音楽化したルーセル。

この音楽を好きになって欲しいですね。

音楽は聴き手を元気にしてくれるものかもしれませんが、忘れていた静かな世界へと我々を誘ってくれるものでもあります。

蜘蛛に噛まれるなどという経験も、わたしに自分の知らなかった人生の別の形を照らし出してくれたようなもの。人生には痛みもあるんだってことを時には思い知るべき。自分自身の体の痛みを知らないような奴は人の痛みもわからないものです。共感しないし、感情移入も出来ない。痛みを知る人ほど、他人に優しくなれるって本当だと思います。

フランス音楽のような繊細な音楽から、こんなことへと想いを馳せました。

日本のNHK交響楽団による演奏でどうぞ。

虫たちの生と死の営み。残酷で静かだけど、美しい世界かもしれません。人もまた時間の長さこそ違えど、死んでゆく存在なのですから。

アルベール・ルーセル 交響的断章「くもの饗宴」(バレエ組曲)
(00:05) 1. 前奏曲 
(03:58) 2. 蟻の入場 
(05:06) 3. 蝶々の踊り 
(08:24) 4. 蜉蝣(かげろう)の孵化
(10:06) 5. 蜉蝣の踊り (13:24
6. 蜉蝣の死 (15:29
7. 寂れた庭に夜の闇は降りる 
指揮:ジャン・マルティノン NHK交響楽団 
録音:1963年5月11日 東京文化会館 (実況録音)

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。