ピアノのバッハ 21: ブザンソン演奏会
リパッティの「パルティータ第一番」
それでは死を前にしたリパッティが選んだ、バッハ作品の中の唯一の大曲である「パルティータ第一番」に目を向けてみましょう。
リパッティのバッハ録音に選ばれた曲は七つあります。
いくつかの曲には複数の録音が確認されますが、最晩年のものが録音的に最も優れていています。
ピアノ協奏曲ニ短調(1990年に発見された1947年の非正規ライヴ録音)
オルガン小曲集のコラール・ブゾーニ編曲版(BWV639&BWV659:1950年7月ジュネーヴ録音)
パルティ―タ第一番変ロ長調(1950年7月ジュネーヴ録音、9月ブザンソン録音)
アンダンテニ長調(チェロソナタ:ヤニグロとの共演:1947年チューリッヒ非正規録音)
コラール「主よ人の望むの喜びよ」(1950年7月ジュネーヴ録音)
シチリアーノ(フルートソナタ変ホ長調の編曲:1950年7月ジュネーヴ録音)
バッハの七点はショパンの九点に次ぐ録音数。
リパッティのバッハへの思い入れの深さが感じられますが、バッハの数多い作品の中で選ばれた大曲はバッハの作品1の「パルティータ第一番」だけでした。
ピアノ学習者が好んで弾く優雅な楽想と上品な舞曲が詰め込まれた「フランス組曲」でも、ピアノ学習者のバイブルともいえる「前奏曲とフーガ(平均律曲集)」でもなかったことが興味深い。
「六つのパルティータ」には思索的な深みを持つ第二番や第六番がありますが、第一番は全六曲の中で最も生命力に富んでいて、祝典的な楽天的な音楽。
サラバンドの後半で音楽は少し陰るのですが、それ以外は、とにかく明るく楽しい曲。弾けば元気になれる音楽です。
それもそのはず、バッハが以前お世話になった、前の雇用者ケーテン候の跡取りの誕生祝のための音楽なので、希望と喜びに溢れているのです。
リパッティの演奏、病魔の影を微塵にも感じさせない明るく楽天的な演奏。
きっと病身のリパッティは、この曲が持つ生命力に深い喜びを感じとったことでしょう。
わたしは最後の両手交差するジーグの躍動感に特に心打たれます。
右手のメロディは左手を交差して、一拍目と四拍目は高音域、二拍目と三拍目は左手の下の低音域というパターンでひたすら続いてゆく舞曲。
弱拍の第四拍目は次の強拍の第一拍目に引っ付くような感じで奏で得られますが、リパッティの演奏は他の誰よりもリズミカル。
きっと演奏理念として徹底してきた弱拍の強調がここで生きている。
第四拍と第一拍が完璧な弾みをもって有機的につながれるので、アップビート感が半端ではないのです。
他の楽曲も、カンタービレなバッハでありながら、生き生きとしたリズムの躍動感が失われないのは、強拍弱拍を明確にした完璧なリズム感を持つ演奏だからでしょう。リパッティは弱拍を絶えず意識して演奏していたからこそ、この歌いながら踊るバッハの演奏が実現したでしょう。
われわれの歩みは、右利きのわたしの場合は、左足を踏み出して足の裏で大地を踏みしめるようにしてから、左足を浮かせるようにして前に出します。左足が軸足で、踏みしめられた左足を支えにして右足を軽く浮かせて前に進ませるような感じです。
歩みは強拍弱拍の繰り返しに通じます。
バッハの音楽はそのようなわれわれの歩みをも思い起こさせるものですが、リパッティの演奏のテンポ感は両足が大地を蹴り上げて走り出すのではなく、左足右足、左足右足、という歩みの動きそのものだと思えるのです。
最も人間的で自然な歩みのような音楽。
リパッティの最後の録音のほとんどは、録音プロデューサー・ウォルター・レッグの指揮のもと、ジュネーヴのスタジオで死の年の1950年7月に行われたのでした。
8月にはカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団とのモーツァルト協奏曲演奏も録音されます。ルツェルンにおいて。
最後の公開演奏会は同年9月、フランスのブザンソンにおいて行われました。
最後のリサイタル:9月16日
スイス国境にほど近い、フランスのブザンソンにおける演奏会は、リパッティが最後に公の場に現れた最後の舞台でした。
遺された録音はクラシックファンの間では神格化されています。
1950年9月、欧州中の音楽愛好家たちは、このリサイタルがリパッティ最後の演奏会になることを知っていました。
評伝には、重病のリパッティの傍らに常に寄り添っていた妻マデレンが演奏会の模様を詳細に報告した手紙が載せられています。
英文を翻訳して、ここに全文掲載します。
リパッティの最後の演奏会のCDを初めて聴いたのは1990年代でした。
音質は1950年の録音としては高品質でしたが、デジタル録音の鮮明さには程遠いものでした。
それでも拙い音の中から流れてくる、あまりにも澄み渡った、凛としたピアノのタッチに深い感動を覚えたものです。
ですが、あのころから三十年、AIは音楽鑑賞の世界にもパラダイムシフトとも言いたくなるような大変革を引き起こしていて、リパッティの最後の演奏会の録音もまた、当時の息遣いそのままの音質で蘇ったのでした。
昨年2023年のAIによるニューリマスタリングをYouTubeから無償で聴くことができます。
昔の古い音質のままのCDは捨ててしまいましょう。
AI復刻ヴァージョンはわたしの所有しているCDよりも数段優れた音質です。
満場の観衆の拍手から始まって、美しいタッチで弾かれるバッハのパルティータ変ロ長調が流れ出します。
あの頃の会場の臨場感そのままに。
曲と曲の間ではアナウンサーがフランス語で曲目を説明します。
モーツァルトのソナタの前では、リパッティは変ロ長調の分散和音(つまり前のバッハのパルティータの最後の和音)を鳴らして、この曲は終わったと宣言して、やがてホ長調の属七の和音を奏でます。
つまり次のモーツァルトがイ短調なので、このように和声的につながるように和音を奏でているのです。
モーツァルトのあとには、イ短調から三度上の変二長調の和音を、まるでカデンツァであるかのように美しく掻き鳴らして、次のシューベルトの即興曲変ト長調を導きます。
次の即興曲変ホ長調が終われば、再び変ホ長調の美しいアルペッジォを鳴らして、次の変イ長調のワルツを弾くという具合に、ブザンソンの演奏会全体が一曲の作品であるかのように、和声的に五度から五度へとつなぎ合わせたのです。
リパッティにとって、ブザンソンリサイタルそのものが一つの作品だったのでした。
リパッティ最後のリサイタル録音のリマスター音質は驚くほどに鮮明。
音質が上がったためなのか、ライヴ演奏特有の瑕疵がはっきりと聞き取れるようになったほどですが、そんなことは全くのところ、どうでもよくなります。
録音された演奏からは、ただただリパッティの歌心だけが伝わってくるのです。
抽象化された舞曲集であるパルティータのあと、陰影深い音色のイ短調のソナタは美しい舞曲であるかのように冴えわたるリズムゆえに、主観的な感情は配されて、美しい悲劇を客観的に眺めているかのような錯覚を覚えます。
愛らしい即興曲でもまた、リズムを刻む左手がどんなピアニストよりも雄弁。
プログラムの曲目は、全てスタジオ録音されたものと全く同じものなのでしたが、演奏内容はスタジオ録音のものをさらに上回る完成度。
リズムの切れ味が特にすばらしい。
弱拍を意識しているからこそ、音楽の持つ規則性が際立ち、誰の演奏よりもリズミカルな演奏としてわれわれは知覚するのです。
ピアノへの最も合理的な打鍵がリパッティの演奏特有の美しい音色を作ります。信じがたいほどに完璧な演奏。
死を直前にすれば鬼気迫る凄奏になるように思われますが、そんな気配を微塵にも感じさせないのです。
前述のマデリンの手紙を読むと、舞台上のリパッティの舞台に欠ける壮絶な想いに心打たれないではいられないのですが、リパッティの奏でた音楽は、リパッティの肉体的な衰えなどほとんど感じさせることのない、磨き抜かれた大理石のような輝かしい演奏なのでした。
この演奏を聴いて、演奏会前のリパッティがドクターストップを無視して、文字通り命がけで演奏会に向かったのだと誰が思うことでしょうか。
最後のワルツ
プログラムの最後は長大なショパンのワルツ集(生命力に富んだ舞曲集)。
死にかけの演奏家の音楽とは全く思えない、ほとばしる生命力が素晴らしい。
こんなにも胸を打つワルツ演奏は他にありえません。
ワルツという、ショパンの全作品の中でも最も軽薄で(サロンのためのエンタメとして作曲されたのがワルツでした)演奏技術的にもプロが弾くには音符が単純すぎる音楽を、これほど音楽的に演奏した音楽家は空前絶後です。
リパッティの死から74年後の2024年になっても、リパッティの最後の演奏を超えた同曲の演奏をわたしは知りません。
ルバートは左手のビートを決して動かすことなく、右手のメロディのリズムを崩すことですが、リパッティの天性の完璧なリズム感ゆえにどんなにルバートしても、音楽的に作品のフォルムが崩れることがないのです。
ショパンなどの音楽には、三拍子の中の8連音符や、カデンツァ的な13連音符や17連音符など、どんなにしても割り切れない音符が頻発するのですが、数学的に割り切れない拍なので、均一に弾くのは物理的にほぼ不可能。
なので連音符のどこかを長くしたり短くしたりして、なおかつ細かい音符が左手のリズムを崩さないで演奏しないといけないのです。
これがルバート。
割り切れる音符でも、一部の音符を短くしたり長くしたりしてずらしてもかまいませんが、どこかを長くすると、どこかを短くしないといけない。
リパッティの場合、どんなに右手のメロディが感情の高まりから揺れ動いても、トスカニーニにさえも称賛された鉄壁の左手のリズムがまるでメトロノームであるかのように崩れることがないのです。
リパッティは、他のピアニストがよくするように、曲の途中でテンポを速めたり遅めたりすることはありません(師匠コルトーの録音はテンポが揺れまくっています。酔っぱらているような揺れがコルトー録音の魅力なのですが)。
何度聴いても、リパッティのワルツに浮遊感(繰り返される強弱弱のリズムの正確さのため)ような感覚にめまいを覚えずにはいられません。
有名な「小犬のワルツ」がこんなにも感動的な例は他にありえません。
リパッティは、演奏効果の上がる大曲である、ワルツの中では最も演奏効果の上がる「華麗なるワルツ」をプログラムの最後に組んでいたのでしたが、ワルツ曲集での最大の曲、大変な運動量を要求するショパンの「ワルツ第二番変ニ長調作品34の1」を前にして、ついに力尽きてしまうのでした。
アンコール
最後の一曲を残して、リパッティは退場。
でもしばらくしてから、手紙にもあるように、もう一度だけ舞台に戻ってきます。
アンコールのために。
最後の一曲の演奏は録音されませんでした。
舞台から去ってしまったリパッティが再び戻ってくるとは、リパッティの重い病症を知る録音エンジニアには、思いもしなかったことだったからです。
ワルツの代わりに演奏されたのは、リパッティが演奏会の最後に何度も演奏した、マイラ・ヘス編曲のバッハのコラール
なのでした。
以下の記事に詳細に解説したように、リパッティが最後に奏でた音楽は、ヨハン・セバスティアン・バッハが書いた最も美しい愛の歌でした。
最後のコラールを聴くことができたのは、ブザンソンでリパッティの最後の雄姿を見守るように見つめていた観客たちだけでした。
どんな思いを胸に抱いて、虚空へと消えていったディヌ・リパッティの白鳥の歌を聴いたのでしょうか。
ディヌ・リパッティは、人生最後の演奏会を、自分が世界で最も美しいと信じたであろう、愛の歌で締めくくり、実働わずか10年ほどの、あまりにも短かった、けれども本当に輝かしかった演奏家人生に終止符を打ったのでした。
ブザンソン演奏会の二か月前のスタジオ録音は今でも聞くことができます。
2016年のリマスターでどうぞ。
次回「ディヌ・リパッティの未完のコラール」に続きます。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。