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アニメになった児童文学から見えてくる世界<6>: 沈んだ都の物語

子供のために書かれた物語で一番面白くないものは、教訓的なもの。

良い子はこうあるべきとか、予定調和的な勧善懲悪もの、修身的なものはつまらない。

最も面白いのは、やはり冒険物語。

子供を冒険に連れ出す一番手っ取り早い方法は、親と引き離すこと。

そうすることで否応なしに、保護者のいない日常生活は冒険世界へと変容するからです。

子供の頃に見たアニメのエピソードで忘れられないものがあります。

世界名作劇場ではない、別のテレビアニメ「ニルスのふしぎな旅」(1980) です。

スウェーデンの空を旅する物語

北欧の大国スウェーデンでは知らぬ者のいない「ニルスの不思議な旅」は、同国のノーベル賞受賞作家であるラーゲルレーヴ女史によって書かれた、スウェーデンの様々な土地にまつわる伝承や自然の厳しさやすばらしさを子供にも語り伝えてくれる名作児童文学の傑作。

セルマ・ラーゲルレーヴ Selma Lagerlöf (1858-1940)

いたずらっ子のニルスは妖精を捕まえて悪さをしようとするのですが、逆に魔法にかけられて小さな体に変えられてしまいます。そして、家畜だと野生の鴨たちに馬鹿にされていたアヒルのモルテンの背中に飛び乗って、空の旅に出るのです。

魔法の力で動物の言葉が分かるようになった、小さなニルスは動物たちの目線から、世界とは何かを学ぶ。

まさに親から切り離されて冒険に出かけてゆく児童文学の典型。

「ニルスの不思議な旅」がスウェーデンの国民的文学である理由は、もちろん少年の成長を描いた優れた児童文学であることですが、スウェーデン国内を旅するニルスは国中のいろんな街を訪れて、スウェーデンという歴史ある国の暮らしの全てを学んでゆくといった趣があることです。

沈んだ都イスの伝説

ニルスの物語に含まれている伝承はスウェーデン独自の文化が誇るべきもの。しかしながら、子供の頃にニルスのアニメを見た私の心を打った不思議な物語が一つありました。

アニメのニルスの第14話は「月夜に浮かぶ幻の街」

それはフランスのブルターニュに知られる沈んだ都イスの物語。伝説のブルターニュの伝説がなんとニルスにも含まれていたのです。

それがわたしがこのブルターニュ伝説との生涯最初の出会いでした。

沈んだ都の伝説をご存知でしょうか?

大西洋に向かって突き出しているフランス西海岸の半島ブルターニュは、その地理的特異性ゆえにフランス文化上でも非常にユニークな存在。

英名のBrittany(フランス語でBretagne)はそのままBritaniaに通じます。ブリタニア島(つまり現代の英国)に住んでいた古代ブリトン人が対岸の半島に移りすみ、原住していた古代ケルト人と結びついてブルターニュが生まれるのです。

ジグソーのはまる英国側の一番下の部分はコーンウォール地方で、フランス読みするとコロヌアイユCornouaille=Cornwall。

太古の昔には、イギリス海峡を失くしてしまえば、対岸のイギリスの南側にジグソーパズルのピースのようにうまく当てはまったであろうことが、地図上から読み取れます。

そしてフランス側のコロヌアイユこそが沈んだ都イス伝説の舞台。

同じ名が対岸のブルターニュにも存在するのです(矢印の差している辺りがコロヌアイユ)。二つの地は間違いなく繋がりあっています。

ブルターニュはフランスの中心より最も遠い地であり、またイギリスと最も縁が深い地であるがゆえに伝説の地となるにふさわしいのです。

ケルト伝説の異郷ブルターニュはコーンウォールでありコロヌアイユなのです。

太古の昔には数多くのネアンデルタール人が居住していたことが考古学的に知られています。

ブルターニュは長らく独立国であり、フランスに併合されたのも15世紀も終わりの頃。独自の文化を育んできたことで今日のブルターニュがあるわけです。

ブリトン人とケルト人の文化の融合から生まれたブルターニュ文化の特徴は口承伝説。文字よりも口承を重んじたのです(聖なる事柄は文字にしてはいけないという伝統)。

ゆえに口承伝説がブルターニュ文化の真髄とさえなり、イスの伝説はブルターニュで最も大切な伝説の一つ。もうひとつの有名なブルターニュの物語は

トリスタンとイゾルデの悲恋物語

アイルランドのイゾルデ姫はイスの姫であるとも、イゾルデの夫であるマルケ王が伝説の都イスのグラドロン王の娘のダユーに呪われるなどというバージョンも存在するそうです。

イギリス側のコーンウォールは現在伝えられるトリスタンとイゾルデ伝説の舞台ですが(ヴァーグナーの楽劇も同様)、トリスタン終焉の地はフランスのブルターニュ。

ブルターニュには、トリスタン島なる名の島さえも存在します。しかしこのコーンウォール、もしかしたら、イスのコロヌアイユであった可能性無きにしも非ずです。トリスタン伝説には数多くの異本が存在するのですから。

本題であるイスの伝承に戻ると、伝えられる物語はこのようなものです。要約してみます。

コロヌアイユの王グラドロンは娘ダユーのために、堤防で囲まれた街イスを創り上げるのですが、繁栄を極めたイスのダユーと住民はやがて堕落し、水門は開かれてイスは水没。

しかしながら、善良な王グラドロンは逃げることを聖ゲノレより許されるのです。でも父親である王は放蕩娘ダユーを見捨てることができません。
そして王は娘だけを連れてイスを離れるのです。
王に見捨てられた街はいまも海底にあり、教会の鐘の音は今でも鳴り響いているのです。

これがイスの伝説。
海底から鳴り響いてくる鐘の音がイス伝説の象徴でしょうか。

イスにまつわる芸術作品

沈められた都の伝承は、古代ギリシアのプラトンが伝えるアトランティスにも通じます(アトランティスの起源は、紀元前17世紀のギリシア南のサントリーニ島のミノア噴火でヨーロッパ最古の文明であるミノア文明の滅亡が由来であるという説が濃厚)。

そして神の怒りを買った都というイメージは、バベルの塔を創り上げようとした旧約聖書のバビロンや天の火によって焼かれた、ソドムとゴモラをも想起させるものです。

アトランティスの場所を特定する試みは日本における邪馬台国の所在地探しにも似た所業にも思えるので、わたしは深入りしませんが、沈んだ都イスがブルターニュのどこにあったのかは、おそらく誰にも分らない。

波の音と共に響いてくる鐘の音が鳴り響く沈んだ都という物語に人々が魅了され、後々までに語り継がれていったという事実が興味深い。

海に呑まれた都伝説は、19世紀にフランスの作曲家エドゥアール・ラロによってオペラ化されます (1866–1888)。ラロは「スペイン交響曲」と呼ばれる名作ヴァイオリン協奏曲やチェロ協奏曲で最もよく知られている作曲家。

しかしこのオペラにおいては、悲劇に終わるべきイスの物語は王女の自己犠牲によって町は海底には沈みません。王女は人身御供となってイスの都を救うのです。

1884年にはエヴァリスト・リュミネによって「イスの王グラドロンの逃避行」が描かれます。

水没しようとせんイスより間一髪で逃げ出してきた、グラドロン王の白馬から海へと転がり落ちようとしているのは娘のダユー。隣の馬に乗るのは罪なき王を救出しに来た聖ゲノレ。

聖ゲノレは娘を見捨てよと王に告げる。ダユーは今まさに海に呑まれんとしている。こういうドラマのある絵画なのです。

リュミネ (1822–1896) もまたブルターニュの主要都市であるナント出身の画家。

リュミネ「イスの王グラドロンの逃避行」1884年

また、沈んだ町が海底より浮上して姿を現す情景を見事に音楽化したのがフランスのクロード・ドビュッシーのピアノ曲「沈める寺」。

前奏曲曲集第一巻の10曲目です。海面下より月明かりに照らされるなか、浮上する寺院の姿がピアノという残響の楽器の特性を最大限に生かした形で、音として描写されるのです。1909年から1910年の作曲。

スウェーデンのラーゲルレーヴのニルスが書かれたのもドビュッシーの作品とちょうど同時期 (1907–1908)。

ルナンの回想録

ブルターニュ出身の宗教思想家エルネスト・ルナン Joseph Ernest Renan (1823–1892)の著書「幼年時代青年時代の思い出」(1883) にはこう書き記されています。

ブルターニュに一番広く伝わっている伝説の一つは、いつの時代とも知れぬ遠い昔、海底に呑みこまれたというイスの町の伝説である。ブルターニュの海岸のいろいろな場所で、ひとは伝説の町の沈んでいる場所がここだと言って教えられるし、漁師達はそれについて不思議な物語をしてくれる。嵐の日には、確かに、波の合間に、この町の教会の尖塔の先が見える、と彼らは保証する。なぎの日には、鐘の音が、その日の聖歌のしらべをありありと響かせながら、海の底から聞こえてくる。もはや耳を貸す筈もない信者をミサに呼び集めようと躍起に鐘を鳴らすイスの町がわたしの胸の奥にもあるような気がする。私は度々そんな風に思うことがある。時には私は立ちどまって震える鐘の音に耳を澄ます。それは、別の世界の声のように無限の奥から聞こえて来る。老年が近づくようになってから殊に、夏の休息の間に、こうした消え失せたアトランチッド(筆者注:アトランティス)の遠い物音を集めるのを楽しみの一つとした。
島松和正「ドビュッシーとケルト伝説、沈める寺の誘い」より抜粋

このルナンの記述はまさにドビュッシーの作曲「沈める寺」そのもの。

イス伝説には我々が望むロマンティックな幻想物語の全てが面白いくらいに詰まっています。

  • 傲慢ゆえに神を怒らせて滅ぼされた。

  • 沈んだ都は罰として永遠に許されることもなく今も海底に。

  • 災害を引き起こしたのは美しい容姿の愚かな王女。または美しい心を持つ王女の自己犠牲バージョンも。

スウェーデンの沈める都

このようなロマンティックなイスの都の伝説が、スウェーデンのラーゲルレーヴの物語にも含まれているのです。

ですが、ラーゲルレーヴの解釈は大分、ブルターニュのオリジナルの伝説のものとは違います。きっとその違いの部分にラーゲルレーヴの想いが込められているのです。

ラーゲルレーヴ版ではこう伝えられています。

神の怒りをかい、海底深く沈められた都があった。100年に一度だけ生き返る機会を与えられ、海上に浮かぶことができる。

ニルスの物語には、イス(ヴィネータの都) 赦される可能性が示されているのです。

青空文庫に原作(第十四章:海の底の都)を見つけましたので、これをご紹介します。

ほんの10ページほどの短編ですが、味わい深い物語です。そしてここにイス伝説の本質が描かれていると思えます。

海の底の都(ニルスの不思議な旅より)

 おだやかな、よく晴れた夜でした。もう、ガンたちは、ほら穴の中にかくれて眠る必要はありません。みんなは山の頂きに立って眠りました。ニールスはそのそばのみじかい枯れた草の中にねころんでいました。
 お月さまが、あかるく輝いていましたので、ニールスは、ながいこと眠れませんでした。そして、ねころんだまま、家を出てから、もうどのくらいたつだろう、と、ふと思いました。かぞえてみますと、あれからもう三週間になります。すると、こんやは復活祭の前夜ということになります。「ブローキュッラから、魔女たちが家へやってくるのは、こんやだな。」ニールスはそう思いながら、ちょっと笑いました。というのは、妖精とか、小人のようなものは、ふだんからこわがっていましたが、魔女なんてものが、この世の中にいるとは信じていませんでしたから。
 こんや、もし魔女がくるとすれば、きっとニールスにも見えるにちがいありません。なにしろ、空はこんなにあかるく晴れわたっているのですから、これでは、どんなにちっぽけな点でも、動いてさえいれば、かならず見えるはずです。
 そんなことを、あれやこれやと考えながら、あおむけにねころんで、空を見あげていますと、なんだか、とても美しいものが見えてきました。お月さまは、かなり高いところで、まんまるくあかるく輝いていました。すると、お月さまのおもてをかすめて、一羽の大きな鳥が飛んできました。まるで、お月さまの中から飛びだしてきたようです。その鳥の姿は、あかるいお月さまを背景にして、黒く見えました。ひろげたつばさは、ちょうどお月さまのはしから、はしまでとどいています。からだは小さくて、細長い首と、細長い足をしています。ニールスはすぐに、コウノトリにちがいない、と気がつきました。
 まもなく、コウノトリのエルメンリークくんが、ニールスのそばにおりてきました。コウノトリは、からだをまげ、くちばしでニールスをつついて、起こしました。
アニメのコウノトリのエルメンリークとニルス
 すぐに、ニールスは起きあがりました。「ねむっちゃいないよ、エルメンくん、」と、ニールスは言いました。「どうしてこんなよなかに出かけてきたの? グリンミンゲ城はどんなぐあい? アッカおばさんに会いたいのかい?」
「こんやは、ねるのにはもったいないくらい、あかるいでしょう、」と、エルメンリークくんは答えました。「だから、仲よしのオヤユビさんをたずねに、カール島まで飛んできたんです。あなたが、こんや、ここにいらっしゃることは、カモメくんから聞きましたからね。わたしはまだ、グリンミンゲ城へは移らずに、あいかわらずポンメルンに住んでいるんですよ。」
 ニールスは、エルメンリークくんがたずねてきてくれたのを、心から喜びました。ふたりは、古い友だちどうしのように、つぎからつぎへといろんな話をしました。さいごに、コウノトリは、こんなに美しい晩なんだから、しばらくいっしょに遊びにいってみないか、と言いだしました。
 ニールスは、お日さまののぼるまえに、ガンたちのところへつれて帰ってくれるなら、もちろん喜んでいきたい、と言いました。コウノトリは、そうすると約束しました。そこで、ふたりは出かけました。
 エルメンリークくんは、またもやお月さまをめがけて、まっすぐに飛んでいきました。高くのぼればのぼるほど、海は下へ下へと、沈んでいきました。けれども、コウノトリの飛びかたが、とってもじょうずで、いかにもふんわりとしていましたので、乗っているニールスは、まるで空にじっととまっているような気がしました。
 エルメンリークくんがおりはじめて、下へ着いたとき、ニールスは、こんどはいやに早かったな、と思いました。けれども、ほんとうは、とても遠くまで飛んできたのです。なぜなら、コウノトリは、ニールスをおろしたとたんに、口をひらいて、「ここは、ポンメルンです。あなたは、ドイツにいるんですよ、オヤユビさん。」と、言いました。それを聞いて、ニールスはあきれかえってしまいました。じぶんが外国にきていようなんて、夢にも知らなかったのですから。ニールスは、すばやくあたりを見まわしました。ふたりは、やわらかい、美しい砂でおおわれている、さびしい浜べに立っていました。海べにそって、テンキ草の生えている砂丘が、長くつづいています。その砂丘は、あまり高くはありませんでしたが、ニールスには、陸地のほうが見えませんでした。
 エルメンリークくんは、砂丘の上に立って、片足をあげ、頭をうしろにそらせて、くちばしをつばさの下につっこみました。
「わたしが休んでいるあいだ、しばらく浜べをぶらついてきてもいいですよ。」と、コウノトリはオヤユビくんに言いました。「けれども、またここへもどってこられないとこまりますから、あんまり遠くへいっちゃだめですよ。」
 ニールスは、まず、むこうの陸地がどんなふうか見ようと思って、砂丘の一つにのぼろうとしました。ところが、二、三歩あるいたかと思うと、なにか固いものが、木靴の先にぶっつかりました。からだをかがめてみますと、砂の上にすっかりさびついた、小さな銅貨が、一枚落ちています。でも、あんまりきたないので、ついひろう気にもなれず、足でけとばしてしまいました。
銅貨を海岸で見つけたニルス
 ところが、もう一どからだを起こしたとき、ニールスは、どんなに驚いたことでしょう! それもそのはず、二足とは離れない目のまえに、高い黒ぐろとした壁と、大きな塔のある門が立っているではありませんか。
 たったいま、かがんだときには、そこには、たしかに海がキラキラと、なめらかに輝いていました。それが、いまは、狭間や塔のある壁で、かくされてしまっているではありませんか。さっき目のまえには、海草がうちよせられて、山のようになっていましたが、いまは、そこには大きな門が、ひらかれているのです。
 ニールスは、これはきっと、まぼろしみたいなものだろうと思いました。けれども、べつにこわがる必要はないと思いました。たしかに、これは、危険な魔物や悪魔のようなものではありません。壁も門も、じつに美しくできています。それで、ニールスも、つい、そのうしろにはどんなものがあるか、見たくてたまらなくなってきました。「よし、こいつはいったいなんだか、見とどけてやろう。」と、思いながら、ニールスは門を通って、はいっていきました。
 アーチの下には、ニシキもようの服装をした番兵たちが、えの長いやりをかたわらにおいて、すわりこんで、サイコロ遊びをしていました。みんなは、遊びにむちゅうになっていましたので、ニールスがそばを駈けていったのには、すこしも気がつきませんでした。
 門にすぐつづいて、大きな平らな石をしきつめた、広場がありました。まわりには、高いりっぱな建物が立ちならんでいて、そのあいだに、せまくて長い通りがありました。
 門に面した広場には、人びとがいっぱいいました。見れば、男の人は、しゅすの着物の上に、毛皮をふちにつけた長いマントを着て、はね毛の飾りのついたぼうしをななめにかぶり、胸には、世にも美しいくさりをさげています。どの人もどの人も、すばらしい身なりをしているので、みんな、王さまのように見えます。
 女の人たちは、ずきんをかぶり、せまいそでの長い着物をきています。やっぱり美しく着かざってはいますが、とても男の人たちの華やかさには及びません。
 このありさまは、おかあさんがときどき、箱の中からとりだして見せてくれた、昔のお話の本の中の絵に似ています。ニールスは、なかなか、じぶんの目を信じることができませんでした。
 けれども、男よりも女よりも、もっともっとふしぎに見えるのは、この都です。どの家も、破風が通りに面するようにつくられています。しかも、その破風が、きらびやかに飾りたててあって、まるで、どれがいちばん美しいかを、きょうそうしあっているようです。
美しく着飾った沈んだ都の人たち
新しいものを、きゅうにたくさん見ても、それをすっかりおぼえてしまうことは、なかなかできないものです。しかし、ニールスはあとになってからも、段々のある破風だけは思いだすことができました。そこには、キリストと使徒の像が、安置されていました。それから、壁のくぼんだところにいろいろの像が置かれている破風や、色ガラスをはめこんだ破風や、白と黒の大理石でしまをなしている破風なども、思いだすことができました。ニールスは、すっかり感心して、こういうものをながめていましたが、とつぜん、「こんなものは、まだ、見たことがない。これからも、二どと見ることはないだろう。」と、思いました。そこで、あわてて、町の中へ駈けだしていって、通りをのぼったりおりたりしました。
 通りはせまくて、まっすぐでしたが、ニールスの知っている都会とはちがって、ここにはいたるところに人がいました。年とった女の人たちは戸口にすわって、紡車をつかわずに、ただ一本の糸まき竿で、糸をつむいでいました。商店は、ちょうど露店のようなぐあいに、通りにむかって開いていました。職人たちは、みんなおもてで仕事をしていました。あるところでは、魚油をにたてていましたし、またあるところでは、皮をなめしていました。またべつのところでは、なわをなっていました。
 もし、時間さえあったなら、ニールスは、いろんな物の造りかたを、残らずおぼえてしまうことができたでしょう。ニールスは、このほかにも、いろんなものを見ました。たとえば、宝石師がゆびわやうでわに宝石をちりばめるところや、挽物師が鉄をあつかうところ、それからまた、靴屋が赤いやわらかい靴をつくるところや、金糸工が金糸をぐるぐるまわすところや、織物師が金や銀を反物の中に織りこむところなどを見ました。
 でも、立ちどまっているひまはありません。なにもかもが消えてしまわないうちに、できるだけたくさんの物を見ておこうと思って、ニールスは、どんどんさきへかけていきました。
 高い壁が市のまわりをとりまいていました。ちょうど、小さな垣が畑のまわりをとりまいているように。どの通りのはしにも、塔と狭間のある壁が見えました。そして、その壁の頂きには、輝くばかりの武装をした兵士が歩いていました。
 ニールスが、その都のはしからはしへ走っていきますと、こんどは、ちがった門に出ました。そのむこうには、ひろびろとした海と港が見えます。港には、まんなかにこぎての席があって前とうしろにへやのある、古風な船が浮かんでいました。ちょうどいま、あるものは積荷をし、あるものはいかりをおろそうとしていました。仲仕や商人が、いそがしそうに走りまわっていました。そこらじゅうが、がやがやしていました。
 けれども、ニールスは、気がせくので、ここにも長くいるわけにはいきません。また、町の中に駈けもどって、大きな広場にきました。そこには、三つの高い塔のある大きな教会が立っていました。その深いまる天井のあるアーチには、たくさんの像が置かれていました。そこの壁は、美しい彫刻がほどこされていて、一つ一つの名も、みんなとくべつに飾りをつけられています。そして、その開いた門から見えるすばらしさには、ただ、ただ驚くばかりでした。金の十字架、金で飾りたてた祭壇、金の衣を着た僧侶たち! 教会のまむかいには、ギザギザのある屋根を持った建物がありました。その屋根の上には、塔が一つ、空にむかってスラリと高くつきでていました。それはたぶん、市役所でしょう。教会と市役所のあいだには、広場をとりかこんで、さまざまの飾りのついた、見るも美しい破風のある家々が立ち並んでいました。
 ニールスは、あんまり駈けまわりましたので、あつくなって、くたびれてきました。もう町の中のいちばんすてきなものは見てしまったんだから、これからは、もうすこし、ゆっくり歩こうと思いました。やがて、ある通りにまがっていきました。そこは、町の人たちが美しい布を買うところのようでした。見れば、おおぜいの人たちが、小さな店の前に集まっています。商人は、金らんや、かたいしゅすや、おもたいにしきや、ピカピカしたビロードや、うすいヴェールや、クモの巣のようにすきとおったレースなどをひろげていました。
 さっき、早く走っていたときには、だれひとり、ニールスには注意をはらいませんでした。みんなは、ちっぽけなネズミが、ちょこちょこ駈けまわっているのだろうぐらいに思っていたのです。ところがいま、ゆっくりと通りを歩いていきますと、商人のひとりが、ニールスの姿を見つけて、手まねきしました。
 ニールスは、さいしょはこわくて、思わず逃げだそうとしました。けれども、商人はニコニコしながら手まねきしては、ニールスの気をひこうとするように、美しい絹ビロードを、台の上にひろげてみせました。
 ニールスは、頭をふりました。そして、「ぼくなんか、いつまでたっても、そんな布は一ヤードだって買えやしないんだ。」と、心に思いました。
 ところが、こんどは、通りにならんでいる店の人たちも、みんなニールスの姿を見つけました。目のとどくかぎり、どこにもかしこにも商人が立って、手まねきしています。みんなは、りっぱなお客のことは忘れてしまって、ニールスにばかり気をとられているのです。見ていますと、商人たちは店のすみっこに走っていっては、いちばんいい品物を持ってきて、それを台の上にならべながら、むちゅうになって手をふっているのです。
だれもが小さなニルスに物を買ってもらおうと必死
 ニールスは、かまわずどんどん歩いていきました。すると、商人のひとりが、台をとびこえてきて、ニールスをひきとめました。そして、銀いろの布や、まぶしいほどピカピカ光る美しいもうせんを、ニールスの目の前にひろげてみせました。
 ニールスは、ただ、ニコニコするよりほかはありませんでした。ニールスのような、ちっぽけな、まずしいものには、そんな品物を買うことができないぐらい、わかりそうなものです。ニールスは、立ちどまって、じぶんはなんにも持っていないから、このままいかせてくれということを、みんなに知らせようと思って、からっぽの両手を、ひらいてみせました。
 すると、商人はうなずいて、指を一本あげてみせながら、その美しい品物の山を、ニールスのほうにつきだしました。
「この人は、金貨一枚で、これをみんな売るっていうんだろうか?」と、ニールスは思いました。
 と、商人はおっそろしく小さな、すりへった銅貨を一枚とりだして、ニールスに見せました。そして、なんとかして売ろうと、むちゅうになって、さらに、大きなおもたい銀のさかずきを二つ、その山につけ加えました。
 ニールスは、ポケットの中をさぐりはじめました。もちろん、銅貨一枚持っていないことは、しょうちしきっているのですが、思わずしらずそうしてみたのです。
 ほかの商人たちは、このあきないがどうなることかと、じっと見守っていました。そして、ニールスが、ポケットの中をさがしはじめたのを見ますと、みんなは、じぶんの店にとんで帰って、金や銀の装飾品を手に持てるだけ持ってきて、ニールスのまえにならべてみせました。そして、銅貨一枚くれれば、これをみんなあげるということを、手まねで知らせました。
 ニールスは、チョッキのポケットからズボンのポケットまでひっくりかえして、なんにも持っていないことを、商人たちに見せました。と、どうでしょう。ニールスよりも、ずっといい身なりをしているこの商人たちの目には、みるみるうちに涙があふれてきました。みんなが、あんまり悲しんでいるようすなので、ニールスも、すっかり心を動かされました。そして、どうにかして助けてやれないものだろうかと考えこみました。すると、ついさっき、浜べで見た、さびだらけの銅貨のことを、ふっと思いだしました。
 ニールスは、すぐさま通りを駈けおりていきました。すると、運よく、さいしょにはいった門のところに出ました。大いそぎでそこを通りぬけて、さっきあった小さな銅貨をさがしはじめました。
 すぐに見つかりました。ところが、それを拾いあげて、町の中へ駈けもどろうとしたとたんに、これはまた、どうしたというのでしょう。目のまえに見えるものは、ただ海ばかりで、もはや壁もなければ、門もありません。番兵の姿も見えなければ、通りも、家も見えません。ただ、海がひろがっているばかりです。
 ニールスの目には、思わず涙がうかんできました。さいしょのうちは、じぶんがいま見たものは、まぼろしであったろうと思っていましたが、それもまもなく忘れてしまいました。ただ、なにもかもが美しかったということだけが、思いだされるのでした。そして、都がとつぜん消えてしまったいまは、口で言いあらわせないほどの深い悲しみをおぼえるのでした。
海底へと沈んでゆく都
 そのとき、コウノトリのエルメンリークくんは目をさまして、ニールスのところへいきました。けれども、ニールスは、コウノトリの来たことに気がつきませんでした。そこでコウノトリは、気づかせるために、くちばしでニールスをつつきました。
「あなたはここに立って、わたしのように眠っていたんですね。」と、エルメンリークくんは言いました。
「ああ、エルメンリークくん、」と、ニールスは言いました。「いまさっき、ここにあった都はなんだったの?」
「都を見たんですって?」と、コウノトリは言いました。「あなたは眠って、夢を見ていたんですよ。」
「いいや、眠ってなんかいなかったよ。」と、オヤユビくんは言って、いま見たことを、のこらず、コウノトリに話して聞かせました。
 すると、エルメンリークくんはこう言いました。「わたしの考えではね、オヤユビさん、やっぱりあなたはこの浜べで眠って、いまのことをみんな、夢にみたんだと思いますね。そのわけを、いまお話ししましょう。じつは、鳥の中でいちばん物知りのバタキーというカラスが、わたしにこんなことを話してくれたことがあるんですよ。むかし、この浜べには、ヴィネータという名まえの都があったそうです。その都は世界じゅうのどんな都よりもお金があって、りっぱでした。ところが、ふしあわせなことには、その住民たちがだんだん、こうまんちきになって、はでなことがすきになったんです。バタキーの話では、そのばちがあたって、ヴィネータの都は、洪水のために海の底に沈められてしまったそうです。けれども、その住民たちはそのままで、死んではいませんし、その都にしても、やっぱりほろびてはいないんです。そして、百年めに一どずつ、むかしのままの華やかなありさまで、海の底から浮かびあがってきて、かっきり一時間だけ、この浜べにじっとしているんです。
「うん、その話はほんとうにちがいない。」と、オヤユビくんは言いました。「だって、ぼく、それを見たんだもの。」
ところが、その一時間のあいだに、ヴィネータの商人が、だれかに品物を売ることができなかったばあいには、その時間がすぎると、また都は、海の底に沈んでしまうんですよ。だから、もしもあなたがね、オヤユビさん、ほんのちっぽけな銅貨でも持っていて、商人に払ってやることができたら、ヴィネータはいつまでもこの浜べにとどまっていて、そこの住民たちも、ほかの人間たちと同じように、一生を暮らして、死ぬことができたでしょうよ。
「ああ、エルメンリークくん、」と、ニールスは言いました。「どうしてきみが真夜中にやってきて、ぼくをつれだしたのか、いまになって、やっとわかったよ。ぼくがあの古い都を救ってやれると、きみは思っていたんだね。だけど、きみの思うように、うまくいかなくって、ほんとうにざんねんだよ。」
 ニールスは両手で顔をおおって、泣きだしました。
ニールスとエルメンリークくんのどちらが、よけい悲しそうだったか、それはちょっと言うことができません。
涙を浮かべて悲しみに暮れるニルス

今まで知らなかった世界を、魔法で小さな体にされて動物たちと旅することで学んだニルスが見たもの。それは沈んだ都でした。

ニルスはこの沈んだ都と遭遇することで、人としてイスの都の運命を悲しみ涙する。

ニルスが浮上した沈んだ都に足を踏み入れたはとても彼の成長にとって大事なことだったと思います。

小さなニルスに委ねられたイス (ヴィネータの都) の運命は、ニルスには果たすことができない。

失われてしまったものは取り戻せない。

失くしてしまったもの。

人生は喪失によってできている。ニルスは喪失を学ぶ。大人へと一歩近づいたのです。

説教じみた教訓物語なんかではない、人生とは何かを伝える物語なのだと私は思います。忘れ得ぬ物語です。


参考文献:

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。