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ベートーヴェン最後の作品「さらばピアノよ!」???

Noteで面白い呟きを見つけました。

Adieu to the Piano (英語)=「さらばピアノよ」(日本語)
Glaube, Liebe, und Hoffnung(ドイツ語)=意味は「信仰、愛、希望」

という題名のピアノ小品を紹介していたのでしたが、とても懐かしいなと関心をそそりました。

そのわけは、いまもなお、この曲はルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの作品だと言い伝えられている、ということにでした。

「さらばピアノよ」というポップピアノ音楽

ベートーヴェン研究では、Op.Anh.15 として取り扱われている曲。

Op.Anh.15は「作品おまけ15番」といった意味。ドイツ語のAnhang は英語で Appendix やSupplement という意味。

作品番号なし(WoO=Werke ohne Opuszahl)ではなく、あくまで「付属、おまけ、付け足し」。

作品番号なしの場合は、意図的に作曲家が生前に出版しなかったり、遺作となった作品です。

ベートーヴェン中期の大傑作ハ長調ソナタ「ワルトシュタイン」の第二楽章のために書かれたけど、全曲が長くなりすぎるとして採用は見送られたにもかかわらず、「お気に入り」のアンダンテとして、作曲者にプライヴェートで愛された「アンダンテ・ファヴォリ」はWow.57として知られています。

Anhangの場合は、「アンダンテ・ファヴォリ」のように大事じゃない作品という意味。

作品番号なしにも分類されない未完成作品などが Anhnag。

ですが、この曲はピアノ初学者に長年、大変に人気のある曲。

ベートーヴェンの死後11年後の1838年に、ベルリンの出版社によって、「ワルツヘ長調」として最初に出版されて、その後、ロンドンの別の出版社がなんと

Beethoven's Adieu to the Piano, being his Last Composition

ベートーヴェン最後の作曲「さらばピアノよ」

という題名を付けて売り出したところ、大人気になったのだとか。

ベートーヴェン「最後の」の音楽だなんて嘘っぱちです。

ああ商魂たくましい出版社ですね。

曲名、題名はいつも時代でもとても大事。

ポップ音楽でも、良い題名がつけられていないと注目されないし、人気も出ない。Noteでも読み手の目を引くタイトルをつけないとあまり読まれない。

ベートーヴェン作曲ではなく、

『ベートーヴェン最後の作曲「さらばピアノよ」』

という題名の曲で、作者の名前は明記しなかったという出版戦略。

どうして「さらば」なのか?

別にピアノに「お別れ」をいう曲ではなく、おそらく最後のピアノ曲という位置づけだからでしょう。

自分=ベートーヴェンが死んだら、もうピアノが弾けない、最後の曲なので「さらば!」

こうして凝りに凝った題名のおかげか、とても演奏しやすい初心者向きの曲ゆえにその後、楽譜は版を重ねてベストセラーになり、19世紀20世紀を通じて、いまもなお人気の一曲。

「エリーゼのために」(バガテル・イ短調=WoO.59)が弾ければ、この曲だって弾ける、という演奏難易度の低い曲。

プロや上級者が弾くには退屈な曲だけれども、初心者が「エリーゼのために」と一緒に弾けるかもしれない、と思わせてくれる魅力にあふれていることは間違いなし。

誰が書いたにせよ、初心者が頑張って弾くには最高の曲といえるのでは。

ベートーヴェンの甥カールから見た叔父ルードヴィヒを描いた短編を以前に書いたほどに作曲家ベートーヴェンの人間性が大好きなわたしとしては、ベートーヴェン作ではない、ということだけは特筆したいのだけれども。

ならば何が違うのか?

この曲の最初の正式題名は「ワルツ・ヘ長調」。

ベートーヴェンがワルツ?

笑ってしまいますよね。

ベートーヴェンには優雅なワルツは似合わないし、そもそもワルツは19世紀になってから普及して大人気となった音楽形式。

ベートーヴェンはソナタ形式楽曲の第三楽章に必須の優雅な三拍子の宮廷舞曲のメヌエットを、野卑でダイナミックなスケルツォに置き換えて音楽を作曲した人でした。

ベートーヴェンの若かったころにはワルツはなかったのでした。モーツァルトにもハイドンにもワルツの作曲はありません。

ワルツを作曲した最初の楽聖の一人がベートーヴェンよりも一世代下の同時代人シューベルト。

ベートーヴェン晩年の長大な大傑作ピアノ曲「ディアベリの主題による変奏曲」の主題もワルツなので、最晩年のベートーヴェンは間違いなくワルツを知っていましたが、年老いて功成り名遂げた人は新しいことに取り組むよりも、自分の人生を形作ってくれた、自分に親しい創作方法をより深めたいと思ったはず。

この意味でも、ベートーヴェンはワルツなんて書かなかった(暇つぶしに新しい形式のワルツを書いてみようなんて気まぐれはあったかもしれないけれども)。

ワルツ「さらばピアノよ」は非常にベートーヴェン的なスタイルで書かれていながらも、やはりベートーヴェンとは次の世代のシューベルトやウェーバーなどの世代のスタイルで書かれているのです。

最後のピアノソナタ三曲のあとに書かれた、ベートーヴェンの晩年の傑作バガテル作品119、作品126などとは全く違うスタイルの作品。むしろ、楽曲スタイルとしては上記のシューベルト的。

長いスラーが動きの大きくない
ベートーヴェン的なメロディにつけられていて
右手の分散和音もベートーヴェン的
ピアノソナタ第27番作品90の歌謡調の
第二楽章に似ていなくもない

ベートーヴェン的なのは

  • 五度を強調した男性的な和声コード進行。

  • 抒情的な歌うピアノのメロディ。シューベルトやモーツァルトはもっと声楽的。

  • 抒情的なメロディに右手の分散和音。

  • 中間部は同主短調のヘ短調(フラット四つ)。属七の和音が全くベートーヴェン的。これもまた男性的な力強さと悲壮感が際立っていて何ともベートーヴェンっぽい。平行短調のニ短調でないところもベートーヴェンっぽい。

中間部(トリオ)のヘ短調
優雅に哀愁溢れるワルツとして弾くと素敵です
強拍を強調して
武骨に弾くとベートーヴェン的(笑)

「エリーゼのために」とは違って、この曲には作曲者の自筆譜も残されていないのですが、この曲の作者が誰であろうと、きっとベートーヴェンの音楽が好きだった人なのでしょう。

ベートーヴェンらしさが溢れていて素敵なので、二次創作として素晴らしい。

作者不詳の「ベートーヴェンの『さらばピアノよ』」という音楽はきっといつまでも「エリーゼのために」とともに、ピアノを弾いてみたいと習い始めた人に、この曲を弾けるようになりたい、頑張ろうと思わせてくれる尊い音楽であり続けることでしょう

だからもっともっと知られてほしい音楽ですね。

ピアノを弾かない人、特に楽器を弾かないクラシック愛好家にはあまり知られていないのだけれども。

模倣犯な売り上げのための音楽?

「さらばピアノよ」は、きっとベートーヴェンのファンがベートーヴェンの作風を真似て作った、いまでいうところの同人誌みたいな音楽だったのでは。

同人誌作家は自分では創作できないけれども、誰かの作った作品をアレンジして別の作品に仕立ててしまうことが得意。

時にはとんでもないクオリティの同人作品が生まれてしまうことも(趣味の範囲内で仲間内で楽しむには良くても、販売などをすれば著作権侵害となります)。

たとえば、ずっと昔に読んで心から感動した藤子不二雄F先生の国民的漫画「ドラえもん」の最終回。

漫画家のプロを目指していた人が同人誌として「ドラえもん」最終話を考案して販売。

オリジナルの自作は残念ながら売れなかったようです。

ですが、「ドラえもん」最終話は大人気のために出版社に知られるに至り、小学館に売り上げすべてを賠償として支払って和解。

作者は道義的責任を取ってか、自らの才能の限界を感じてか、断筆。

でも藤子先生とは無関係の模倣作品はなおも愛され続けて、今でもネットで無料で読めるのです。

こういうのが1838年の「さらばピアノよ」ではなかったのかな、と私は考察しています。

当時は著作権法が確立されつつあっても、国ごとにやり方が異なるといった時代だったので、「ベートーヴェンの」と銘打っても、作曲者死後のことなので特に問題にもならなかったのだろうと思われます。

創作に役立つ模倣

小説家になりたければ、好きな小説家の本を一冊自分の手でコピーしてみればいい。

句読点一つの使い方でも、書き写すと勉強になる。

そして書き写さないと絶対に分からないこともある。

音楽だって楽譜を書き写すと本当によく勉強になる。

わたしは最近、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の音符をすべて楽譜作成ソフトMuseScoreに打ち込んでみたのですが、作曲の大先生について作曲を習うよりもより多くのことを学べました。

複雑な複旋律音楽を理解したければ、書き写すのが一番。

演奏して音を鳴らせても、各声部の動きはメロディを別々に取り出さないと分からない。素晴らしい体験でしたね。

絵画だってヴァン・ゴッホなり、ミケランジェロなり、荒木飛呂彦なりを模写してみると、アーティストの筆遣いどころか、息遣いさえも理解できるようになる。

でも模倣を模倣のままで終わらせてはいけない。

巨匠の手法を学んだのならば、それを使って創作をしてみないと。

だから「さらばピアノよ」を書いた作曲家がその後どうなったのかなと気になって仕方がない。

もしかしたら作曲家になったというベートーヴェンの隠し子の女性作曲家の作品だったりすると嬉しいのですが。

死後に発見された「不滅の恋人」の手紙の相手である
ジョゼフィーネ・ブルンスウィックの娘
マリア・テレサ(1813年生まれ)
父親のいない私生児
愛称ミノーナMinonaをひっくり返すと
Anonim=英語でAnonymous
「名無し」という女性
父親の血を受け継いだためか、彼女には音楽の才能がありましたが、
女性作曲家が活躍できる時代でもなかったためか、
音楽家としては大成しませんでした。
彼女の写真は若いころのベートーヴェンの肖像画にそっくり

何を書いてもベートーヴェンの二番煎じになってしまうので作曲の筆を折ってしまったのか。

ベートーヴェンという巨人の影響ゆえに、ヨハネス・ブラームスだって最初の交響曲を独自の新機軸を打ち立てて創作するのに、二十年もかかったくらいですからね。

あまり凄すぎる天才の作品には近づかない方がいいのかも。

でもですね、わたしは模倣を最高の学習方法として愛してきました。

好きな小説家の言葉やバッハの楽譜を書き写すのが好き。

いつの日か、巨匠らの手法をマスターして換骨奪胎して、自分自身の創作に生かせればなと思う今日この頃です。

「さらばピアノよ」!

いい曲ですよ。

絶対にベートーヴェン作ではありませんが。

本物の「さらばピアノよ」?

ベートーヴェン最後の創作ピアノ作品としては、私はこれが大好きです。

題名はロンド・ア・カプリッチオ「小銭を失くした怒り」(笑)。

Die Wut über den verlorenen Groschen (Rage over a lost penny)

ベートーヴェンがどこかに置き忘れたコインを家政婦さんがどこかにかたずけてしまった、盗んだと勝手に断定、いつものように家政婦さんと大喧嘩して、また家政婦さんに辞められてしまった、といった背景があるらしい音楽。

不機嫌なベートーヴェン(笑)
SDXL作成

作曲されたのは、まだ18世紀の終わりの1792年から1795年くらいと考えられています。

ピアノ協奏曲第一番や第二番やソナタ作品2などを演奏会で演奏して、華麗な即興演奏、歌うレガート奏法、聴衆にショックを与えたダイナミックなペダル使用法でピアニストとして人気絶頂だった20歳代半ば頃の作品。

ですが、作曲を始めてほぼ完成させたのに、未完成のままずっと忘れられていて、最晩年に作品129として出版されたのでした。

若いベートーヴェンは演奏会で即興演奏した曲を家に帰ってから思い出して書き出してみたけど、出版するにはいまいち、だから曲としてそのまま捨て置かれてしまったのでは、というのが私の個人的な考察です。

出版したのはベートーヴェンの変奏曲で不滅の名を遺したアントン・ディアベッリ。この人も作曲家だったけれども、出版社も経営していたのでした。

さて、私としては、このロンド・ア・カプリッチョこそが、ほんとのベートーヴェン真作の「さらばピアノよ(最後のピアノ曲)」

老ベートーヴェン:ないぞ、ないぞ、ないぞ!俺の銀貨、どこにやったんだ、ヨハンナ!
家政婦:わたしは知りませんよ、先生。またどこかに出しっぱなしにして、おいたところを忘れてしまったのでしょう。
老ベートーヴェン:なんて言ったんだ、言いたいことはこのノートに書けと言ってあるだろ。コインは確かにここにあったんだ。わかったぞ、またお前が盗ったのだろう?
家政婦:Oh, my God!先生、ヒトを泥棒呼ばわりするなんて!今日という今日は許しませんよ!片付けできなくてだらしのないのは先生でしょう。
老ベートーヴェン:だからノートに書け!なんだその横柄な態度は!盗人ぬすっと猛々しいとはお前のことだ!ヨハンナのくせに!俺は大天才作曲家なのだぞ!
Etc. Etc.…

なんて情景が思い浮かぶ(笑)。

怒鳴り合う二人!
耳の遠いベートーヴェンには
会話帳に書き込んで
言葉を伝えないといけないけれども
きっと聞くに堪えぬ悪口雑言をメイドは
奇人変人の大天才に
何度も浴びせていたことでしょう
でもベートーヴェンには伝わらない

ロンド・ア・カプリッチオという作品は強弱強弱の二拍子。

左手が三和音や四和音を叩き、右手は細かい三十二分音符が快速で駆け回る。最初の出版ではハンガリー風(ジプシー風)とイタリア語で明記されています。メロディは右手から左手に移り変わり、何度も短調に大胆に転調。

ア・カプリッチオは「自由で衝動的に」といった意味。

音型が自由に変化して、ピアニストの手は鍵盤上を上から下まで駆け巡るという、音楽的な発想もユーモアにあふれている曲。

クレッシェンドしてスフォルツァンドで音符を強調して、時にはピアノからフォルティシモ!

描写音楽ではないけれども、音楽が予告もなく取り留めなく変化する感じは、顔を真っ赤にして突然怒りだしているベートーヴェンの姿が目に浮かぶような感じがしませんか。

題名がなくても、とにかくユーモラスで楽しいロンドなのですが、このネーミングセンスは素晴らしいですね。

自筆譜に書かれた題名はベートーヴェン本人の筆跡ではなく、どうやら悪名高い自称秘書アントン・シントラ―の手によるものと想定されていますが、だとすれば、シントラ―にしては良い仕事なのかも

ベートーヴェンの自筆譜
左上にシントラーの書き込みがある
ウィキペディアより

シントラーはベートーヴェンの最初の伝記本の作者ですが、大事な一次資料を改ざんしてベートーヴェンを事実を捻じ曲げてでも、ベートーヴェンを「偉人」として後世に伝えようとした人物

ベートーヴェンの音楽が大好きだけれども、ベートーヴェンの偉人らしくない、人間臭い部分を伝記から削除した人物なのでした。

シントラーは最晩年のベートーヴェンに無償の秘書として将来伝記を書くつもりでベートーヴェンの身辺に常に付きまとっていました。

一度は喧嘩して追い出されても、数年後には世話する人のいなくなった彼の傍に戻ることをまた許されて、臨終間際のベートーヴェンに身近だったのでした。

ですが貴重なベートーヴェンの会話帳は改ざん(最新の技術で今では書き換えられた内容のほとんどが判明)、楽聖ベートーヴェンにふさわしくない言動や、彼には不愉快な別の弟子(リースなど)とのやり取りが書かれていたらしいシントラー不在の数年間の会話帳はシントラーの手によって焼却さえもされたのでした。

しかしながら、この題名には笑えます。

シントラーは家政婦とベートーヴェンの怒鳴り合う日常風景をいつも見ていたはずなので、シントラーのこじつけにせよ、素晴らしいネーミングです。

聴いて楽しい、弾いたらもっと楽しいという、ベートーヴェンらしさ全開のユーモア名作です。

わたしにはベートーヴェンが生前最後に創作したピアノ曲としては、晩年に若書きのこの曲に手を入れて完成させたこの曲。

完成させたのは弦楽四重奏曲をたくさん書いていた頃。

ですが、ベートーヴェンはピアノにお別れなんか言わない人でした。

力作(作品130)の初演が大失敗したのは長大すぎる第フーガのためだと指摘されて(演奏が難しすぎたことも要因)、作品はひっこめたけれども、独立作品として出版して、その上にピアノ四手編曲版まで作成したのでした。作品134としてのちに出版されます。

でも編曲なので、最後のピアノ曲と呼ぶにはふさわしくない。

小銭を失くして探し回って怒り狂ってるベートーヴェンの日常を思い起こさせる楽しいロンド。

この曲こそが真のベートーヴェンの「さらばピアノよ」だとわたしは個人的には思っています。

「小銭を失くした怒り」の名演奏

次のヴィルヘルム・ケンプの演奏、味わい深いウィットに富んだ名演です。楽譜付きでどうぞ。

とにかく鍵盤を叩きまくる音楽。

でもスラーのフレーズは必ずレガートしながら。強弱強弱のリズムですが、第二拍にアクセントがつけられる部分はリズムを変えて。スフォルツァンドは明確に!

超絶技巧のキーシンは超快速で演奏時間は5分23秒。

ケンプの6分33秒と一分も違うという驚異の演奏。

キーシンが演奏会アンコールでよく弾く得意曲。

この曲の場合、テンポが速い方が怒り狂っている様子がまざまざと目に浮かぶようです。

まさに即興演奏的で、どこかジャズの速弾きさえも想起させるのがすごいですね。

ベートーヴェンの真面目なピアノ曲(月光とか熱情とか)しか知らないといわれる方にはぜひ聞いていただきたいです。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。