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ベートーヴェン最後の年<1>:小説「グナイクセンドルフのカール・ベートーヴェン」

Karl Beethoven in Gneixenfdorf 

閉じられた扉を二度叩く。
返事はない。

甲高い歌声が扉の向こうから聞こえてくる。
どうやら上機嫌なようだ。
仕事がうまく進んでいるときにはああして、辺りかまわずに新しく生まれた楽想を大声で歌うのだ。

老いた大芸術家の仕事部屋となっている書斎への入室許可を求めるノックをする必要など全くないのだが、閉じている扉は必ずノックせよという教えを青年は子供の頃から、作曲家である叔父から嫌というほど言い聞かされてきていた。

ドアノブを回して内開きの扉を押し開けると、部屋中に南向きの午後の陽が斜めの光の縞となって差しこんでいる。
青年は不思議な思いにとらわれる。光は老いた男を照らし出している。

椅子に腰かけている、黒が斑に入り混じった灰色でぼさぼさの総髪に無精髭の猫背の小さな男は、出来上がったばかりらしいまだインクもろくに乾かぬ楽譜をじっと見すえながら、2拍子の舞曲のリズムで右の手を振り子のように揺らしている。

ウィーン近郊のグナイクセンドルフのベートーヴェンハウス。
甥カールと共に作曲家ベートーヴェンは弟ヨハンの所有していた家で数か月を過ごす。

老いた男は上機嫌で歌っている。ラーララ、ラ、ラ、ラ。

入室した青年に老芸術家は一向に気づくこともない。

青年の髪は長く伸び切っているが、その額には醜い傷がある。
老芸術家の傍らには、会話帳と呼ばれる小さなノートブックと濡れた羽ペンがおかれている。青年はノートに言葉を書き込むこともなく、古い木製の椅子をきしませながら歌う老人の視界を遮るように、手にしている手紙を漫然と指し示す。

ようやくにして歌声はやみ、老いた芸術家は正気に返って青年を見上げる。

「おじさん、ヨハン伯父さんから」
と青年は呟くが、彼の言葉は老いた芸術家には届かない。

「ああ、カールいたのか」
ようやくそう青年に告げる。
歌う男の笑みはもうすでに消え失せている。

「誰からだ」
とおもむろにカールの手にしている手紙を受け取ると
「なんだ、またヨハンからか」
といささかウンザリしたように手紙の封を切り、机の隅に置かれていた眼鏡を手繰り寄せて文面を少し遠めに掲げて読む。

耳の遠い芸術家は六つ年下の弟の家にここしばらく滞在している。

だが、一つ屋根の下に住んでいるにも関わらず、もはや会話などしたくもない不仲の兄弟はこうしてカールを伝書鳩か何かのように使いまわして日々の言葉を伝えあっている。

食卓も一緒にはしない。

自分を養育してくれた父親代わりの老いた芸術家の肩が震えている。
怒りにわななく老いた男は手紙を手のひらのうちでもみくちゃにする。

「愚か者めが!この俺にまた意見するというのか、ヨハンの俗物野郎が!」

カールはヨハン伯父が何を書いてよこしたかを察した。
激昂する老人を怒り狂わせるに十分な内容はもちろん、自分の行く末のことだ。

大声で罵り、うめき、怒り狂う。

このありさまを自分は何度目にしたことだろうか。
いまだに手紙を粉々にせんと格闘している伯父の書斎に差し込んでくる午後の陽を受け入れている窓の方へと足を向ける。

合唱:歓喜に寄す

どうしてこうも血を分けた実の弟にこれほどの悪態が付けるのかが不思議でたまらない。世間では叔父は欧州最高の作曲家であると知られ、二年前に初演された、1時間以上に及ぶ、合唱付きの大交響曲を耳にした誰もが感動の余りに涙した。

...抱き合おう、百万の人々よ! 
全世界にこの口づけを! 
兄弟よ、星空の彼方に...

カールも泣いた。
感動の余りに泣きじゃくった。

人類への愛を歌う不滅の音楽を作り上げた偉大な芸術家は、血を分けた兄弟を普通に愛することもできないのに。そして甥であるこの自分さえも同可愛がって良いのかも知らぬのだ。

作曲家は彼自身の父親が彼に対してそうしたように、カールに対しても音楽の勉強を強要して能う限りの音楽教養の全てを教え込もうとしたが、カールは叔父の押し付けるスパルタ的音楽修行を拒否。
やがて筆舌に尽くしがたい愛憎の渦巻く紆余曲折を経て、ようやく叔父と甥であるカールは世間を逃れてこの寒村で暮らしている。

音楽は嫌いだ。
でも叔父の作曲した力ある音楽の前にはひれ伏す他はないのだ。
この自分でさえも。

ヨハン伯父が所有するこの家には当初は2週間余りの滞在が予定されていたのだが、この休暇はもう2か月ほどへと伸びきっている。

グナイクセンデンドルフの田舎に来たのは、自分が都会から逃れたいとそう望んだからだ。これは自分が叔父に打ち克った証なのだと当年二十歳になるカールは信じている。自分が人生初めて絶対者である偉大な叔父に認めさせた自分自身の欲求だ。

軛からの自由

「正しい人間」に自分を仕立て上げようとした伯父との10年にも及ぶ長い格闘の末でカールの選んだ伯父からの自由を得る方法はピストルだった。

自分が死んでこの世の誰よりも悲しむのは母親ではなく叔父であることを知るカールが選んだ自由への逃走の最終手段は、こめかみに銃口を当てて引き金を引くことだった。

しかし使い慣れぬ小銃の反動に手元はぶれ、銃弾はこめかみを斜めに切り裂いて頭蓋骨に突き刺さり、おかげで一命は取り留めた。自死はカソリック教においては大罪であるがゆえに懲戒を受けたが、自分を溺愛する叔父の根回しと叔父の親友である有力者ブラウニング家の努力によって自分たちはこの田舎の一軒家に自分たちは潜んでいる。

あの叔父に勝ったのだ!

額の傷が癒えるまでの養生のために伯父が不仲だった伯父ヨハンに頼るとは思いもよらなかったが、自分は法律家にもならないし、音楽家にもならなくてよくなったのだと、カッコいい軍人になることをしぶしぶ叔父に認めさせた二十歳の青年は誇らしげに天を仰ぐ。陽の光が眩しげにカールの黒髪を照らす。

手紙はヨハン伯父がこの家を引き払えとの催促だろう。さっさと僕を軍隊に送ってしまえだとか書いているのだろうな。

自分を不器用にしか愛せないで虐待さえもした叔父は急速に老いた。

最愛の甥が拳銃自殺を試みたことを知った作曲家は一夜にして黒髪を失ったと後で知らされた。カールからすれば自業自得だと言いたいところだが、この人を憎むことはどうしてもできない。

自分を最愛の母親から引き離したのはこの人で、自分の言葉を聴かずにこの人が望む人生の鋳型に自分を押し込めようとばかりして失敗した耳の聞こえない最低な男であるとさえ思う。

それでもだ。
ありとあらゆる手段を使って自分に彼の信じる最高の教育を受けさせ、飢えさせることなく、自分に過剰なばかりの彼なりの愛情を注ぎ込んで育ててくれた。学業に成功したとは言い難い自分なのだが。

最高の教育には音楽も含まれている。
カールは当然ながら人並み以上の音楽的教養を身につけている。

この人の音楽には力がある。人の心を深く揺り動かして、どのような冷血漢にも忘れていた大切な感情を思い出させるのだ。力ある音楽。これまでの他のだれもが書かなかった音楽。それを理解できるだけの音楽教育をカールは身に着けているのだ。

グナイクセンドルフに来て、叔父は自分に対してとやかく言うことをやめた。その代わりに、この家の持ち主であるヨハン伯父と妻である義理の妹に当たり散らす。

叔父が言うように、ヨハン伯父は確かに音楽の「お」の字も知らぬ無教養な俗物かもしれない。でも薬局経営を成功させて今では大地主だ。社会的に成功した立派な人だよ、叔父は全くそうは思っていないのだけれども。

ヨハン伯父にはルードヴィヒ叔父に比べると感情の起伏が全く欠如している。感情や愛情を人に伝えることが下手だ。この点は兄弟よく似ている。妻である伯母さんにしても愛想はないが、人の悪口を言ったりはしない。彼女が時に寂しげなのは子を持てなかったからだろうか。

叔父は舌禍問題の常習犯であり、叔父の悪態など聞き飽きている。

「カール、聴けえ!俺たちは明日の朝いちばんにウィーンに発つ。もうこんなところには金輪際来んぞ」

「ええ、ちょっと待ってくださいよ、馬車の手配はそんな急にはできやしませんよ」
カールは再び机に近づいて会話帳にそう書き込む。

「構うものか、こんなところにもう長居などできるか、シュテファンに明日帰ると手紙を書いてくれ、いや明日帰るならば伝えるまでもない」

ああまた始まった。すぐにこうして衝動的に行動する。この人はいつだってこうなんだ。

それでもだ。

グナイクセンドルフに来て、叔父は自分に対してとやかく言うことをやめた。

肉親への愛に飢えている叔父は自分に対する態度を変えた。これまでの自分への過剰なお節介が消えてしまったのはいいのだが、自分の心に空虚な空洞が生まれた。きっとそれほどに叔父は自分自身の一部として生きてきたからだ。いや叔父がこの僕を彼の一部として所有物としてしまいたがっていただけだ。でもそれ以来、叔父を今までとは違った人として見えるようになった。

内臓疾患を抱える叔父はワインが毒であることを知りながらもワインを痛飲することをやめない。ワインに溺れる叔父を見るのはつらい。泣きながら飲んでいる叔父を見るようになったのはグナイクセンドルフからだ。以前には決してなかったことだ。いままではどれだけ飲んでもあんな酔い方はしなかったのに。何かが変わった。

だがそれでも翌日には神懸ったかのようにペンを取り机に向かう。そして独り歌う。窓の外の空を見つめる叔父のまなざし。子供の頃に見た伯父のその眼光を放つ深い輝きに魅せられたことがある。作曲に取り憑かれた叔父の姿は崇高ですらある。

でもいまは目から光は失われて寂しげに諦めた人のよう。

でもどこか優しげで。あの強さがなくなるともはやこの老いた猫背の男はただの老いさらばえたごく普通の老人でしかない。こんな叔父のまなざしを今の今まで見たことはなかった。あれほどに他人を激しく罵り、そしてまた好意を持った人には最大限の愛を示し、激しく戦う音楽を書く叔父を自分は今まで理解できずにいたが、何処かあの優しいまなざしには心通じ合えるような気がする。

感謝の歌

あの歌を思い出す。
去年叔父の書いた新作の「病より癒えたことへの感謝の歌」(弦楽四重奏曲第15番作品132の第三楽章)。

いまはあの優しい調べこそが本当の叔父らしさなのだと分かる。

数多くの女性を愛したという。
でも誰とも結ばれず、数多くの友や支援者を舌禍により失い、生涯独身のままの大芸術家。自分は遂にこの偉大な叔父の子供にはならなかった。いやなれなかった。あまりにも偉大過ぎた。本当の幸福をも知らず、本当に誰かを愛することも愛されることもできなかった可哀想な人だ。だからなのだろうな。

叔父の最近の音楽は神の声を聴くかのようだ。

もはやあの悲愴ソナタや熱情ソナタみたいに強く主張せず、祈るかのような音楽ばかりを書いている。もはや戦うことをやめてしまったのか。よく旧約聖書のサウルの話をしてくれたな。あんな戦い敗れた人に共感しているのだろうか。自分は栄光に包まれているダヴィデ王の方が好きだ、どうしてダヴィデに玉座を奪われたサウルなのか。

サウル王を慰めるために竪琴を奏でるダヴィデ(レンブラント作)

ふと物思いから覚めると、書斎の椅子には老芸術家の姿はなく、隣向こうの部屋から義妹のマリアと大喧嘩をしている怒声が聞こえてくる。おそらく急に発つことを告げて前払いしていた家賃でも返せと交渉しているのだろう。

カールは女と男の口論の聞こえてくる部屋の扉を叩こうとするジェスチャーをするが、もう叩かない。振り上げたこぶしは虚空で止まり、やがてももう一度、振り上げてみるが、その拳は扉に触れることはない。

グナイクセンドルフに来て、叔父は自分に対してとやかく言うことをやめた。

カールは自分がもう叔父が求めていた甥ではなくなったことを知っている。自分がそう望み、ようやく叔父はそれを受け入れた。

額の傷を隠すに十分な髪の毛が生えそろったために包帯ももうしてはいない。そして過剰な愛情に反発し続けなくてもよくなった自分は、生まれて初めて崇高な祈りの歌を書く芸術家として叔父を理解できるようになったのだろうか。生涯愛されずに、だから肉親の愛を求めて自分を自分勝手に愛そうとした可哀想な叔父。

「...だから何度言えばわかる、この馬鹿女が!...ヨハン、お前も何とか言いやがれ!」

「ええ、そうですとも、わたしは貴方のようにお偉くも賢くもないですからね、ですがねえ、その偉い芸術家さまの言いぐさがそれですか、あきれてものが言えませんわ!...」

「ああ、なんて言いやがったんだ、だから何度言えばわかるんだ、言いたいことはこの会話帳に書けっていってるだろ!聞こえないんだよ!」

ベートーヴェン最晩年の会話帳より

満たされぬ愛は昇華されてピアノやヴァイオリンの歌へとなった。
叶わぬ思いは個人的な告白として、もはや誰も理解できない閉じた音楽となったのだろう。僕には叔父の最近作曲した弦楽四重奏曲など全く理解できないが、叔父の書いたアダージョには神の声が鳴り響いていると思うんだ。

桎梏ともいうべき叔父からの束縛からこうして自由になれたことで、この人から離れてゆくことで、僕はこの人が理解できるようになってゆくのだろうか。僕は、カール・ベートーヴェンはいつの日かこの叔父のことを誇らしげに誰かに語ることのできる日が来るのだろうか。

最後の弦楽四重奏曲

午後の陽は橙色に変わり、夜のとばりがまもなく降りてくることだろう。カールは踵を返して叔父の書斎へと再び向かう。暗がりにある叔父の机の上には最新作の弦楽四重奏曲の一楽章がおかれている。調性記号はフラットが二つ。叔父のお気に入りの色調のフラット三つではない、二つの変ロ長調。軽やかな感じを思わせる色調だ。

カールは手にとってヴァイオリンの旋律を辿ってみる。
どこかおどけているけれども、やはり幸福感溢れる軽快なダンスともいえる。絶えざる腹痛とまれに訪れる小康状態のはざまに生み出された幸福の歌。叔父が永遠にリアルな世界では手にしえなかった幸福な感情の歌なのかもしれない。

そうだ、踊れ、踊るんだ!

カールの目に涙が滲む。軽やかに融通無碍に舞う楽想、いままでカールには全く理解できなかった音楽がそこに書かれている。そうだ、この調べ、これこそが本当のルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンなのだ!

音楽は微笑み笑い転げる。

もう大ベートーヴェンの音楽は閉じた扉を開けてくれと叩く必要はない。ただしめやかに歌い語り、そして聴き手を導いてゆく。

カールはそう理解する。

やがて、いつの日か、僕は叔父と共に生きた時間のことを回想するのだろうか。

そして自分の子らに語るのだろうか。現世で報われることのなかった、お前たちの大叔父は本当の幸福を音楽の中にだけ表現することができて、そして語ることができたのだと。

もう扉を叩く必要はない。
叔父の心の扉は永遠に外の世界へと押し開かれているのだから。

つづき
ベートーヴェン最後の年<2>


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